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「長崎の郵便配達」、被爆者に寄り添った元英空軍大佐の父 娘は封印テープ手に追体験

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映画「長崎の郵便配達」に出演したイザベル・タウンゼントさん
映画「長崎の郵便配達」に出演したイザベル・タウンゼントさん=©︎坂本肖美

「長崎の郵便配達」予告編=©️The Postman from Nagasaki Film Partners

――今回の映画は、どのような経緯でつくられたのでしょうか。

きっかけは2016年、日本から届いた一通のメールでした。川瀬美香監督は当時、谷口稜曄さんを取材していて、父が谷口さんの本を書いていた関係でフランスに私に会いに来たいという内容でした。

英語で書かれた日本からのメールだったのですが、はじめは何のことかよくわからなかったんです。それが父の本の関係だとわかって、驚きました。本の出版から30年以上経って、こんな連絡をもらうことになるなんて、思ってもみなかった。人生とは常にサプライズに満ちていて、奇跡のようだと感じました。

「ぜひ会いましょう」と返事をし、フランスに訪ねてきた美香を、実家の父の書斎に案内しました。「The Postman of Nagasaki」を含め、父が本を書いた場所です。父の書斎で美香と話し始めてすぐ、彼女はカメラを回してもいいか尋ねました。まったく計画していなかったし、何の準備もしていなかったのですが、私は「もちろん」と応じました。やってみよう、と。そのときから、私たちは一緒にこの作品をつくろうと決めました。 

被爆半年後の自分の写真を掲げながら演説する谷口稜曄さん
被爆半年後の自分の写真を掲げながら演説する谷口稜曄さん=2010年5月、ニューヨークの国連本部、加戸靖史撮影

――父ピーターさんの著書「The Postman of Nagasaki」は、どんな存在でしたか?

英語版が出版された1984年、20代のころに読んでいました。物語に引き込まれて、あっという間に読んでしまったのを覚えています。ただ、原爆によって現実に引き起こされたことがあまりにも非現実的で、初めて読んだときは、まるでフィクションのように感じていました。 

英空軍元大佐ピーター・タウンゼント氏
英空軍元大佐ピーター・タウンゼント氏=1957年5月、羽田空港、代表撮影

――出版の翌85年には、谷口さんがフランスのテレビ番組に出演されています。

私はスタジオの奥で、生放送の番組の撮影を見ていました。父が紹介してくれて、幸運にも谷口さんにほんの短い時間でしたが、直接お会いしました。父がお願いすると、谷口さんはシャツを脱いで背中を見せてくれました。とても衝撃を受けたことを覚えています。

なぜ谷口さんの背中にあのような傷痕があるのか、彼がどんなに苦しみ、何回もの手術を乗り越え、耐えてきたのか。当時はよくわからなかったことも、今回の映画制作を通じて、理解できました。谷口さんが自らの苦しみを前向きな力に変え、核兵器廃絶のために闘ってきたこと。とても勇気のいることです。私の父は、谷口さんの不屈の精神と尊厳を敬服していました。私もまた、谷口さんに大きな尊敬の念を抱いています。

「長崎の郵便配達」のワンシーン
「長崎の郵便配達」のワンシーン。谷口稜曄さん(中央)とピーター・タウンゼントさん(右)=©️The Postman from Nagasaki Film Partners

――映画は当初、イザベルさんが長崎の谷口さんを訪ねるストーリーの予定でしたが、制作を進めていた2017年8月末、谷口さんが88歳で亡くなりました。

谷口さんが亡くなったと聞いたときは、本当に悲しかったです。もう一度、本当にお会いしたかった。谷口さんはこの作品の大きな部分を担っていましたから、訃報を聞いて、これからどうしたらいいか、わからなくなりました。それでも、なんとか私たちにできることをしようと決めました。私たちはこの作品を完成させなくてはいけないと感じたんです。きっと谷口さんもそれを望んでいたと思いました。

「長崎の郵便配達」
「長崎の郵便配達」=©️The Postman from Nagasaki Film Partners

――そんなとき、ピーターさんが残した当時の資料がみつかったんですね。

父の書斎を探していたら、古いほこりをかぶった段ボール箱に保管してあった父のカセットテープを見つけたんです。まだ聞くことができますようにと祈りながら、すぐにパリの専門のところに頼んでデジタル化してもらいました。父が2度目に長崎を訪れた1982年から、ずっと書斎に眠っていたテープです。時間が経って、記録が消えてしまっていたかもしれませんでした。幸運なことに、まだ聞けることわかり、本当にほっとしました。

中身を聞いてみると、父が本を書くために取材に訪れたときのメモ用のテープだったことに気づきました。父が長崎で感じたことや見たものが、父の声で残っていた。テープを聴いた途端、私はまるで自分が長崎にいるかのように感じました。中には、谷口さんのインタビューの録音もありました。このテープを中心に、物語を構成していこうと決めました。

「長崎の郵便配達」
「長崎の郵便配達」=©︎坂本肖美

――映画では、ピーターさんの本を読み、テープに残されていた当時の音声を聞きながら、谷口さんがかつて郵便配達をし、ピーターさんが取材を重ねた長崎の街をたどっていきます。

撮影のため、2018年8月に初めて来日し、長崎を訪れました。父の声を聞きながら長崎の街を歩くのは、とても大きな体験でした。父がすぐそばにいるかのように、まるで父の見えない手が私をひいているかのように感じました。

谷口さんの家にもお邪魔しました。私は日本語が話せませんが、谷口さんの長女澄江さんたちとすぐに理解し合えた。谷口さんと父が多くの時間を過ごした部屋で、谷口さんの魂を感じました。谷口さんの新盆の儀式(精霊流し)に家族で参加させてもらい、谷口さんにお別れを言えたことにも感謝しています。

父が谷口さんに書いた手紙も見せてもらいました。2人がいかに深い関係を築き、平和への思いを共有していたかを理解しました。

「長崎の郵便配達」
「長崎の郵便配達」=©︎坂本肖美

――日本での撮影には、イザベルさんの夫と2人の娘さんたちも参加しました。

長崎での体験を私自身の家族、夫と娘たちと分かち合うことができたことも、とても意味がありました。娘たちに、彼女たちの祖父が長崎で見聞きしたこと、なぜ彼がこの本を書いたのか、そしてそれがなぜ彼にとって重要だったのかを、理解してほしかったのです。

父はパイロット時代の経験については話しましたが、自らの著作については語りませんでした。ですから、私は父の本については必ずしも身近に感じていませんでした。

だから今回、この物語が再び私の人生に戻ってきたことは、まるで父から選ばれたかのような、合図のように感じた。父は作家として、一般の読者に向けて書きましたが、同時に、自分の子どもたちに向けても書いたのではないか。自分が見聞きしたことを次の世代に伝えることを、父は自らの責任だと考えていたように思います。出版から30年以上経ってこの映画に関わることは、まるで父が、「さぁ、バトンを手にとって、今度は君が平和のメッセージを伝える番だ」と言っているかのように感じたのです。

「長崎の郵便配達」
「長崎の郵便配達」=©︎坂本肖美

――映画の冒頭でイザベルさんは、なぜ父がこの本を書いたのか、自身に問いかけていました。作品を通して、答えは見つかりましたか?

父の心は常に、戦争の被害者である一般市民、とりわけ子どもたちにありました。「The Postman of Nagasaki」を含め、戦争の被害者である子どもに関する本を3冊書いています。子どもたちが戦争の被害者であるという事実。突然殺されたり傷つけられたりした子どもたちの苦しみ。父にとって、受け入れがたい現実だったのだと思います。

また、父が核兵器に嫌悪感を抱いたのは、この兵器がすべてを破壊するからです。父は自然を愛していました。核兵器は、人々の生活を人間性を破壊し、木々や植物、この星のすべての生き物を破壊します。このことが、父にとって本当に大きな問題だった。だから、父はこの本を書いたのだと思っています。

「長崎の郵便配達」
「長崎の郵便配達」=©︎坂本肖美

――米ニューヨークの国連本部ではこの8月、核兵器を減らし、広めないために何をすべきかを議論する核不拡散条約(NPT)の再検討会議が開かれています。かつて谷口さんも登壇し、被爆半年後に撮られた、原爆の熱線で背中が赤く焼けただれた少年時代の自分の写真を掲げ、「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ヒバクシャ」と訴えました。一方で、核保有国であるロシアがウクライナに侵攻し、核兵器の使用までちらつかせるなど、核兵器の脅威は一層現実味を増しています。

いま、ウクライナでも同じような戦争の惨劇が起きています。多くの市民や子どもたちが犠牲になり、なぜこんな目に遭わなくてはいけないのかわからないまま、彼らの命は指導者たちの決定次第、手の中にある状態です。

私たちは平和と核兵器廃絶のためにできうる行動のすべてを起こさなくてはなりません。一つの国が一発の核兵器を持っているだけで、状況はあっというまに悪化しかねません。私たち一人一人が声を上げ、旗を揚げなくてはいけない。もし多くの人々が平和のために立ち上がれば、核兵器の使用を永遠に阻止するチャンスがあります。もちろん実現には長い年月がかかるでしょうし、とても難しい道のりでしょう。しかし、私たちは声を上げ、実現を望まなくてはならないのだと思います。この映画が、人々に核兵器廃絶や平和について考えるきっかけとなったら、うれしいです。

谷口さんが生涯をかけて訴え、父が書き残した平和のメッセージを、私もまた、この映画を通じて子どもたちに伝えたい。そしていつの日か、今度はかれらがバトンを手にとり、さらに次の世代へ伝えていく責任を果たしてくれることを願っています。