「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」
広島の原爆死没者慰霊碑にはそう刻まれている。この碑文に主語はない。人類の誓いであるからだ。
被爆77年となる今年8月6日、この慰霊碑の前で行われる広島市の平和記念式典には、過去最多の114カ国の駐日大使らが参列する予定だ(7月現在)。
しかし、自らの隣国ウクライナに侵攻したロシアと、その同盟関係にあるベラルーシからの参列はない。広島市が招待を見送ったためである。
広島市は2006年から各国駐日大使に招待状を送り、核保有国の首脳はそれ以前から招待を続けているが、今年はプーチン大統領の招待も見送った。ロシアがウクライナ侵攻を続けていることを踏まえた判断だった。
広島市が5月20日にこの方針を示すと、広島では賛否の声があがった。「招待すれば、侵略を平和のためと強弁するロシアに政治利用される恐れがある」との意見がある一方、「あくまで被爆地は被爆地の心を訴えるべく招待すべきだ。招待しないのは、ヒロシマが取り組んできたことに対する自己矛盾だ」と批判する意見も目立った。
この時、筆者(副島)は広島のメディアのある知人からメールで意見を聞かれ、こんな返信を送った。
この1週間前の5月13日、欧州連合(EU)の大統領にあたるミシェル首脳会議常任議長が広島市を訪問し、「世界から大量破壊兵器を廃絶しなければならない」と訴えていた。
ミシェル氏は平和記念資料館を見学し、芳名録に「今日の困難な世界において、われわれがヒロシマの悲劇的な記憶を決して忘れませんように、またわれわれの行動がその記憶に導かれますように」と記した。
そして、ミシェル氏は広島市の松井一実市長とも面会し、非公開の協議の中でこう提案した。核兵器の使用を示唆したロシアのプーチン大統領に被爆の実情を知らせるため、広島への招待状を送ろう――と。
松井氏は例年通り平和記念式典への招待状をプーチン氏に送り、出席を呼びかけることを伝えたという。
そこから急転直下、ロシアへの招待見送りの方針が決められるのである。
広島市の松井市長は5月26日の記者会見で「式典を政争の具にされたくない」と述べ、ロシアを招待することで参列を見送る国が出る可能性に懸念を示した。
同じ日、長崎市も足並みをそろえた。田上富久市長は「本当は招きたかったが、難しいのが現実。式典が厳粛に行われることを考えた」と強調。ロシアとベラルーシの代表が参列した場合、抗議で近づく人が出るなどの恐れを主な理由として挙げた。
背景に何があったのか。
広島市の幹部によると、最初はロシアとベラルーシの代表を呼ぶつもりだった。ロシアが核使用も示唆する中で、被爆の実相について改めて認識を深めてもらう絶好の機会とも考えていた。
だが一方で岸田政権は、ロシアを徹底的に国際社会から締め出そうとしている。広島市は、広島としての使命はもちろんあるが、広島選出の首相が率いる政府の意向も無視できないと考え、政府に聞いてみることにした。その後、政府と協議する中で、ロシアのウクライナ侵攻に対する「日本の姿勢」が誤解されないようにすることを優先する形となった。結果的には、これがロシア排除に向かうきっかけとなる。
確かに苦渋の選択ではあったが、理由に挙げたのは式典の円滑な挙行だった。招待するという行為自体が、混乱を招く恐れがあるのではないか――。そうした足元の懸念が、広島の人類史的役割という自覚を上回ってしまったように見える。
広島の人類史的意義を放棄した瞬間でもあっただろう。岸田文雄首相は「核兵器なき世界」を標榜している。被爆地・広島とつながる岸田政権であったが故に、広島の意義を損ないかねない皮肉な結果を生んだと言える。
ここには二つの問題点がある。一つは、広島が時の政権の立場を優先し、招待見送りを受け入れたこと。二つ目は、ウクライナ戦争に関しては米国といささかでも差異があることをしないという岸田政権の対米従属の体質だ。
この問題をどう受け止めるか、元外交官で作家の佐藤優さんに聞いてみた。広島が本来の人類史的役割を放棄したと受け止めていた。
ただ、広島市や長崎市の対応の背景には、日本の世論全体の雰囲気があると指摘する。民主主義対専制主義といった二項対立の「価値の体系」に寄りすぎた議論だ。「これ(広島市や長崎市の判断)も感情の熱気の中に入ってしまった。それが今の世の中の流れなんだという雰囲気になっている」と佐藤さんは述べた。
新聞記者時代に在韓被爆者問題を発掘し、1990年代に広島市長も務めた平岡敬さん(94)も、招待見送りを疑問視していた。
そして、招待しない理由が行事を平穏に進行させるためだという点にも、「いかにも行政的な感じで、本質的な議論ではない。仮に式典がぐじゃぐじゃになっても構わない。僕はそう思っている」と述べた。
日本の核軍縮問題の第一人者である黒澤満・大阪大名誉教授(軍縮国際法)も朝日新聞の取材に「式典には『全人類の平和をめざす』という普遍的な目的があり、直近の問題や時の政府方針と絡めて判断すべきではない」と指摘した。
朝日新聞の声欄にも、72歳の女性の「平和式典 戦争当事国招いて」という投書が掲載された。
唯一の被爆国だからこそ、現に無謀な戦争が行われている今だからこそ、戦争の当事国を含めた「平和の具」としての式典を開き、「人類」という観点で未来や平和を訴える場としての式典の在り方を、模索できなかったか。抗議などあらゆる不協和音を想定した対策を含め、平和外交の知恵を世界に示してほしかった。しかし、両市だけにそれを求めるのはあまりに厳しいだろう。平和を希求する、日本の強力な外交意思があってこそだ。
朝日新聞6月7日付朝刊(投書の一部抜粋)
ロシアの侵略行為は決して容認できるものではない。被爆者の中にも「戦争をやっている国の代表が、平和を願う式典に来るのはどうか」と疑問視する意見は確かにある。しかし、1989年の冷戦終結と1991年のソ連崩壊以来、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大がロシアを刺激してきた。はたして「排除」は事態を好転させるのか。
2014年のクリミア併合で主要国首脳会議からロシアが排除され、G8からG7に変わってから、プーチン大統領は「ロシアは核大国だ」と発言するようになった。「排除」は明らかに、悪循環につながっている。
ウクライナからの穀物輸出再開も、ロシアを取り込んで交渉したからこそ動いた。核問題もロシア抜きでは何も解決しない。
広島の平和記念式典への招待見送りに対し、ロシアのガルージン駐日大使はSNSで「恥ずべき措置。平和式典の主催者は『拒絶』を選んだ」と非難した。
ガルージン氏は原爆の日を目前に控えた8月4日、広島市の平和記念公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑に参拝・献花した。「米国が行った原爆投下という戦争犯罪の犠牲者の方々の冥福を祈り、遺族に哀悼の意を表し、被爆者の健康を祈るため」と述べ、広島市の招待見送りについては「ロシアが核軍縮に向けたリーダーであることを全く無視した決定だ」と批判した。
ロシアは、昨年は大使の代理、一昨年は大使自身が参列していた。ベラルーシのイエシン駐日大使は7月21日、離任あいさつで広島市を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花した。その際、報道陣に「不招待の決定は行き過ぎだ」と苦言を呈した。
本気で核廃絶をめざすなら、ロシアを排除して出来るだろうか。今回のような事態を繰り返さないためにこそ、ロシアと中国を取り込んだ軍備管理やリスク低減に向かえるよう、尽力するのが本来の戦争被爆国日本の姿ではないだろうか。理想論だと言われかねないが、だから軍拡しろというのも現実論とは思えない。
初の核軍縮と冷戦終結を実現した出発点は、1980年代にレーガン米大統領とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が抱いた「お花畑」の発想だった。2人は核を全廃しようとしたのである。
広島は時々の国際情勢に左右されることなく、原爆死没者慰霊碑の碑文のように、人類全体の平和のために、被爆地は排除ではなく包摂の広い精神を持ってほしいと個人的には思う。
広島がどれほど全人類的意義を持つのかは、現職の米国大統領として初めて広島を訪れたオバマ米大統領と、被爆米兵の遺族を手弁当で捜し続けた被爆者の森重昭さんとの、世界に発信されたあの抱擁のシーンが物語っている。
「原爆投下は人類の悲劇。命を落とした人の前に人種も国籍もない」との信念を貫いてきた森さんに、オバマ氏が人間として応えた瞬間だった。
ソ連大統領を退任後の1992年に広島を訪れたゴルバチョフ氏は、被爆地には強い思い入れを持っていた。
だからこそ1991年の現職時代、長崎を訪れて被爆者と対面したのだ。1986年のチェルノブイリ原発事故では「核の惨事」を痛感し、レーガン大統領に首脳会談を呼びかける契機ともなった。
その際、会談場所として「広島ででも」と候補に挙げたほど、被爆地の意義を理解していたのである。
今回、被爆国でありながら核兵器禁止条約の締約国会議にオブザーバー参加をしなかった日本は、世界にこんな風に見られたのではないだろうか。「核兵器なき世界」を標榜し、被爆地・広島選出の首相をいただきながら、人類的視点に立てず、あくまで日米同盟強化の枠内でしか動かない(動けない)国だ、と。
広島での平和記念式典にロシアとベラルーシの代表を招待しないよう、岸田政権が広島市にあえて求めたのも、その表れのように思われる。
核兵器を実戦使用し、その謝罪もせずに正当化している国の代表は招き、これから核を使いかねない国、だからこそ核の惨禍を知ってもらわなければならない国の代表は招かない――。それが、今の被爆地の現実であるとすれば悲しいことである。