金正淑女史のインド訪問は2018年に実現した。文氏は回顧録で「(首脳の配偶者による)初めての単独外交」と主張。インド政府の招待に基づく公式の外交活動だとの認識を示した。
ただ、韓国メディアによれば、インド側は当初、康京和(カンギョンファ)外相の訪問を要請したが、韓国側が文化体育観光相の派遣を検討。金正淑氏が同行する考えを伝えたところ、インド側が金氏に対する招待状を送ってきたという。金氏は公式日程表にないインドの世界遺産タージマハルを訪問したため、韓国内で「観光旅行だ」という批判が噴出していた。
与党、国民の力からは、回顧録出版を受けて、「金正淑氏の疑惑を捜査する特別検察官法を成立させるべきだ」という声も出ている。文氏は回顧録で、金正淑氏のインド訪問を批判する声について「悪意のある歪曲だ」と切って捨てた。
一方、野党側は、尹大統領の妻、金建希女史がドイツ車の輸入販売会社の株価操作に関与した疑惑を巡る「特別検察官法」の成立を求めている。また、韓国のユーチューブチャンネルが昨年11月、在米韓国人牧師が一昨年9月に撮影した隠し撮り映像を公開した。牧師は300万ウォン(約34万円)で購入したクリスチャン・ディオールのポーチを金女史に渡したという。野党は法律違反の疑いがあると糾弾している。
どうしてこんなにファーストレディーの立ち居振る舞いに注目が集まるのか。
韓国に通算40年以上住み、「外務省最高の朝鮮半島専門家」と呼ばれた町田貢元駐韓公使(89)は「それだけ、大統領が巨大な権力を持っているからですよ」と語る。
韓国大統領は「皇帝と王様を足したような権力」(元韓国政府高官)を誇る。尹政権でもこんなことがあった。ある日、尹氏が食事会の席で元同級生の名前を何げなく口にした。同席していた閣僚が翌日、慌ててこの名前が出た元同級生に連絡を取り、政府関係機関のポストを提供したという。
町田さんは「大統領と一番長い時間を過ごすのはファーストレディーです。当然、大統領の考えにも影響力を発揮します」と語る。
尹大統領夫妻の距離は、韓国市民たちの注目の的だ。筆者の知人の一人は「尹大統領の外遊中、夫妻が飛行機のタラップを、手をつながずに上がったことがあった。ああ、ケンカでもしたかなとすぐ話題になった」と語る。周囲はこうした目でファーストレディーを見ているため、本人がどう思うかは関係なく、政争に巻き込まれる。
町田さんも「ファーストレディーに我も我もとあいさつに行くのは昔からある光景。手ぶらというわけにもいかないから、何かお土産を持っていきます。金建希さんは、野党の標的にされて、ちょっと気の毒な面もあります」と話す。インド政府が金正淑女史に気を遣って招待状を出したのも、「将を射んと欲すれば、まず馬を射よ」という思惑だったのだろう。
そして、町田さんが記憶している限り、過去最高のファーストレディーは朴正煕(パクチョンヒ)大統領の妻、陸英修(ユクヨンス)女史だった。陸氏は政策に口出しはしなかったが、民衆に不人気の夫に対し、立ち居振る舞いに気を配るよう、いつも言って聞かせていた。当時、朴大統領や側近たちに麦飯を食べさせ、庶民感覚を忘れさせないようにした。陸女史は1974年8月、朴正煕大統領の暗殺を狙った在日韓国人学生が撃った銃弾を浴びて死亡した。享年48。与野党を問わず、全国民が悲しんだという。
ソウルの外交筋は現ファーストレディーの金建希女史について「ファーストレディーらしからぬ振る舞いがみられるのも事実」と語る。
金女史は派手な服装を好み、流出した動画の音声によれば言葉遣いも上品とは言いがたい。昨年12月の外遊に同行した際、犬好きの女史はアムステルダムで動物保護団体に「犬の食用禁止は大統領の公約だ」と勝手に説明した。一方、尹大統領と岸田文雄首相が会食で、延々と飲み続けた際、突然、尹氏を「あなた、飲みすぎ!」と叱りつけたという庶民的なエピソードもある。
金正淑女史も金建希女史も、保守と進歩の骨肉の争いのとばっちりを受けた被害者という面もあるだろう。