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映画「ボストン1947」モデルのマラソン選手・孫基禎さんの孫が語る祖父の人生と栄光

牧野愛博のThe World Inside Out 更新日: 公開日:
1936年のベルリン五輪のマラソンでゴールテープを切る祖父・孫基禎さん(朝日新聞社、右)と孫の孫銀卿さん(筆者撮影)
1936年のベルリン五輪のマラソンでゴールテープを切る祖父・孫基禎さん(朝日新聞社、右)と孫の孫銀卿さん(筆者撮影)

韓国映画「ボストン1947」予告編

――孫基禎はどのような人物だったのでしょうか。

朝鮮戦争(1950~1953)の前後を通じ、陸上選手の育成に力を注いだ人でした。私が物心ついたころは、すでに育成の仕事から退き、「スポーツを通じた世界平和」を訴えていました。豪快ではっきりと物を言う人でしたが、様々な経験をしたため、場をわきまえて発言をしていました。

五輪など国際大会の経験が豊富で、グローバルな視点を持っていました。国際ニュースを見ていると、常に自分の視点で考えを語っていました。「スポーツをする人間は世界平和に貢献すべきだ。その結果、選手も幸せになれる」と常に口にしていました。

80歳記念パーティーでの孫基禎さん
80歳記念パーティーでの孫基禎さん=1992年9月25日、東京都目黒区の目黒雅叙園、朝日新聞社

――ベルリン五輪の表彰式では、ユニホームの日章旗を隠して、日本から目をつけられる経験もしました。

私が昔、「ベルリン五輪のとき、ヒトラーと握手をしたの」と聞いたことがあります。祖父は「握手をした」というので、その手を握って「私は今、歴史と握手をしているんだね」という話もしました。

本人は複雑な思いがあったと思います。常に「1番以外は意味がない」とも語っていました。栄光を得たいと考えていましたから、ベルリン五輪マラソン競技で優勝したこと自体、とてもうれしかったと思います。

1936年ベルリン五輪の男子マラソンで日本代表として出場し、優勝した孫基禎さん
1936年ベルリン五輪の男子マラソンで日本代表として出場し、優勝した孫基禎さん=1936年8月9日、ドイツ・ベルリン、朝日新聞社

その後の経験が、様々なマイナスももたらしました。でも、90歳で亡くなった時、決して不満のある人生だったとは思わなかったと思います。100点満点でなくても、太く長い人生を生きた人でした。波瀾万丈だけれども、他の人にとても影響を与え、今でも与え続けている、すごく意味のある人生だったと思います。

――1947年のボストン・マラソンについては、何か語っていたのでしょうか。

1947年と同じく、祖父が監督を務めた1950年のボストン・マラソンの方が印象深かったようです。何しろ、1位から3位まで韓国選手が独占しましたから。ただ、1947年の大会では、父から「途中でコースに飛び出した犬のために、韓国選手が転倒した」という話を聞いたことをおぼろげながら覚えていました。映画を見て、思い出しました。

こうした、祖父が自宅で選手の面倒を見た時代も、(1950年6月に始まった)朝鮮戦争で終わりました。

1964年の東京五輪を前に来日した孫基禎さん。当時は韓国陸連の会長を務めていた=1964年10月2日、東京都内、朝日新聞社

――映画に出てくるソン・ギジョンは実際の孫基禎と同じでしょうか。

「自分にも他人にも厳しい人物」という点は同じです。ただ、映画ではセリフが韓国語ですが、私が日本語しかできなかったため、祖父は私には日本語で話をしていました。孫には難しいことは語らない人でもありました。

ただ、私の父は祖父からの影響で、あちこちで講演するときは、必ず、「ベルリン五輪のマラソンで優勝したのは日本だが、日本人ではない。その意味を考えてほしい」と話していました。「歴史と平和を考えてほしい」とも語っています。

韓国映画「ボストン1947」の一場面=© 2023 LOTTE ENTERTAINMENT & CONTENT ZIO Inc. & B.A. ENTERTAINMENT & BIG PICTURE All Rights Reserved
韓国映画「ボストン1947」の一場面=© 2023 LOTTE ENTERTAINMENT & CONTENT ZIO Inc. & B.A. ENTERTAINMENT & BIG PICTURE All Rights Reserved

――孫銀卿さんもマラソンをしているのですか。

私は子供心に、祖父の本心を聞きたいと考えていました。でも、祖父は幼い私に「お前にそんな難しいことは言わない」と語るばかりでした。言いたくなかったのかもしれません。その後、「日本語で尋ねたから答えてくれなかったのか」と思い、大学で韓国語を習いました。

韓国語で質問をしたとき、すでに祖父は高齢化が進み、質問の意味がよくのみ込めないようでした。そのまま亡くなり、私は(祖父が著した)書籍などで祖父の考えを想像しています。

バルセロナ五輪男子マラソンで韓国の黄永祚選手が優勝し、マラソンゲートの正面付近で応援していた孫基禎さんは満面の笑顔を見せた
バルセロナ五輪男子マラソンで韓国の黄永祚選手が優勝し、マラソンゲートの正面付近で応援していた孫基禎さんは満面の笑顔を見せた=1992年8月9日、スペイン・バルセロナ、朝日新聞社

ただ、同じことを経験すれば、少しは祖父の考えがわかるかもしれないと思い、マラソンを始めました。祖父が亡くなる前年、「マラソンを走りたい」と祖父に言ったところ、「そんな苦しいことを女性がしなくてもいい」と取り合ってくれませんでした。それでも、死去して3カ月後、韓国のマラソン大会に出て完走しました。

速度も疲労の程度も違いますが、走ることが追体験になると考えています。

――この映画を見ると、同じ追体験ができそうですね。

走るシーンの息遣いは、とても純粋なものだと感じました。そこで共感したものを、観客の皆さんがそれぞれの日常生活に置き換えて、何かを感じてくださったら、祖父も喜ぶと思います。