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昔は手弁当、いつしか厚遇に慣れ……日本人メンバーが語る「IOC委員とは」

World Now
猪谷千春氏=稲垣康介撮影

■もっと外交術を磨かないと 猪谷千春

IOC委員はプライドが高い。いわゆる一匹おおかみです。例えば、2006年冬季五輪の開催都市を決めた1999年ソウル総会。当初、スイスのシオンが有力だったけれど、招致委員会が投票前夜に祝勝会を開いたのが致命傷だった。「勝手に決めるな」と委員たちの反感を買った。

昔は委員の活動費はすべて手弁当だった。サマランチ会長が就任して、IOCの財政が豊かになってから交通費、宿泊費、さらに日当も出るようになった。今は最高は400ドル。飛行機の移動は、原則ビジネスクラスで、5000キロを超すとファーストクラスです。

国賓みたいな厚遇に慣れて、勘違いする委員も出た。それが招致をめぐる買収スキャンダルの温床になった。私にも家族旅行とか、危ない誘いはありましたよ。具体的に話すと、相手を傷つけることになるから言えませんが。

まだ、招致活動のルールが厳しくなかった長野五輪招致のころ、私は東京・表参道近くの自宅に、視察で来日したIOC委員を招いて幾度もパーティーをしました。サマランチ会長夫妻を含め、計60人呼んだかな。すべて自腹です。

私は伝統的な日本人気質ではなく、どんどん主張する外交的な性格だから苦にならなかった。米国の大学で学び、外資系企業でもまれた経験も生きた。

今、東京がめざしている2020年五輪招致が佳境です。日本はロビー外交が下手だと言われていますよね。私に言わせれば当然だと思う。

ふだんからIOC委員をはじめ、世界のスポーツ関係者と交流し、親しくなって初めて、日本の五輪開催への支持を訴えることができる。ただ握手して、急にお願いしても、票には結びつかない。

国際大会や会議があれば、どんどん出席して交流すべきだ。だから、日本人をIOC委員、理事にしようと本気で思うなら、よほどのお金持ちを選ぶか、JOC、もしくは国を挙げて財政的に支援しないと難しいでしょう。
(構成:稲垣康介)

いがや・ちはる 1931年生まれ。北海道出身。56年コルティナダンペッツォ大会のアルペンスキー回転銀メダルは日本人初の冬季五輪メダル。1982年から2011年までIOC委員。副会長も務めた。現在は名誉委員

■非常に強い仲間意識を実感 竹田恒和

竹田恒和氏=平井隆介撮影

私とIOCの「出会い」は、馬術の選手として初めて五輪に出た1972年、ドイツ・ミュンヘンだった。当時すでにIOC委員だった親父(おやじ)に、委員らが泊まっているホテルに呼び出され、西ドイツ五輪委員会委員長だったウィリー・ダウメ委員を紹介されました。

「この人が世界のスポーツ界のリーダーか」と恐縮しました。その時は自分が将来IOCに関わると思っていないから、ダウメさんは雲の上のような人だった。

それから40年。ロンドンで開かれた昨夏のIOC総会で、委員に選ばれた。日本出身としては1909年に初めて就任した故嘉納治五郎氏や親父らに続く13人目。

IOC委員というのは、仲間意識が強い。委員就任前は私自身、パーティーなどで談笑していても「仲間になりきれていない」と感じることもありましたが、委員になると「やあやあ、おいで」とみんな温かく迎え入れてくれた。

IOC委員というのは、自国の利益を考えるよりも先に、IOCが掲げる理念を体現するという使命がある。だから私の使命は、日本に「オリンピック・ムーブメント」を広めること。スポーツで相互理解を深めて豊かな社会を形成し、国際親善を尽くして、世界平和の構築に貢献する。

その意味でも、東京招致の成功に向け全力で活動している。五輪開催はムーブメントを広める最高の手法なので、この招致をどうしても成功させたい。

65歳とはいえ、まだなりたての新人。世界の諸先輩から教えを受けながら、五輪運動を進めていきたい。(構成:平井隆介)

たけだ・つねかず 1947年、東京都出身。父・恒徳は明治天皇の孫で、64年東京五輪の際のJOC委員長。五輪は、72年ミュンヘン、76年モントリオール大会に馬術で出場した。2001年に第15代JOC会長に就任し、8期目。