――自ら執筆し、編集にもあたった「ナチス映画論」で近年のナチス関連映画の状況を「雨後の筍の如く」「インフレ」と評しています。なぜナチス関連映画が近年たくさん作られているのでしょう。
テーマとして見たときに、ナチスというのは「悪役」として、安心して使えるいわば楽な素材です。現在進行形で起こっている世界の独裁や虐殺は慎重な扱いが必要ですが、ナチスにそうした配慮は必要はありません。また映像的な魅力もあります。壮大な式典や行進、スタイリッシュな制服、大げさな身ぶり手ぶりなど「見栄え」する要素に満ちているからです。政治的、社会的作品だけでなく、コメディーやホラー、時にはポルノでも描かれるのは、その娯楽としての使用価値の高さが影響しているでしょう。
――そもそも、ナチス関連映画はいつごろから流行しているのでしょう。
少し、歴史を長いスパンで見てみましょう。実はナチス絡みの映画はずっと作られているんです。ナチス自体が自分たちの宣伝のために映画を利用した一方で、敵国だったアメリカや欧州諸国も反ナチスの映画をたくさん作りました。ドイツの敗戦後はとりわけ旧ソ連が共産主義の敵のファシストを打倒したということでスターリン賛美の戦争映画を作っています。
ただ戦後のドイツでどうだったかと言えば、しばらくナチス関連の映画はほとんど作られなかった。自国のネガティブな過去に向き合うのはやはり困難だったということだと思います。過去の傷には触れず忘却したいという国民の願いもあったでしょう。1950年代には、戦争の英雄を描く一部の作品を除いてナチスの蛮行やホロコーストなどなかったかのような状況が続きました。
それに対してもう一度歴史に対峙しようという動きが始まったのが1960年代です。戦後生まれの世代が大人になり、親たちがナチスと戦争の時代に何をしてきたのかと疑問をぶつけます。それがニュージャーマンシネマの中心的なテーマにもなりました。
ホロコーストに関して、多くの当事者がすでに亡くなっているだけでなく数少ない生存者もその内実を語りたがらなかった。ただ、後にアメリカを中心にユダヤ系の組織や団体が、ホロコーストを「忘れられないように、きちんと語り伝えないといけない」とロビー活動を展開し、やがてメジャーな映画やテレビでホロコーストが扱われるようになります。その成果として1978年テレビシリーズ「ホロコースト 戦争と家族」がアメリカで放送され、大きな反響を呼びます。
――戦後ドイツを紹介する多くの本で紹介されるテレビドラマです。どんな作品だったのでしょう。
あるユダヤ人の一家と、ナチスに加担したドイツ人の一家の視点から迫害を描いた作品ですが、例えばドイツ人の描き方をとっても、当初はいやいや殺戮(さつりく)に加わっていたのに慣れていくような、それまでの冷酷残忍なステレオタイプ的ナチスではないリアルさがありました。
ドイツでもアメリカ放映の翌年に放送されて、非常に高い視聴率を獲得しました。それまでもホロコーストについてもある程度は知られていたでしょうが、映像というインパクトある手段で、ドイツ人が初めてホロコーストの実情に触れた作品となりました。
同時に、高視聴率を得たことは、アメリカやドイツの映画業界にとって、こうしたテーマの映画やドラマが商業的にも成立する、という手応えになったでしょう。
――ホロコーストを描いた作品としては、アカデミー賞を受賞した「シンドラーのリスト」(1993年)もあります。
日本では同じ頃、ホロコーストを関係者の証言で描いた9時間超のドキュメンタリー「ショア」も紹介されました。ホロコーストを見世物的にドラマ化した「シンドラー」には批判もありました。私自身もそうした批判を先に読んだため、「シンドラー」を見るまでに少し時間がかかりました。
ただ、実際に見てみると、スピルバーグ監督だけあって、一つ一つの場面の描き方のスリリングさなどやはりうまい。こちらも3時間超ですが、時間を感じさせない面白いドラマになっています。ドイツ人実業家のシンドラーは当初は自分の利益しか考えない日和見的なエゴイストですが、従業員のユダヤ人と付き合うことで変化していく。そうした人間的に共感できる部分も取り入れつつ、強制収容所の残酷なシーンは観客に相当のショックを与えるように描かれています。
スピルバーグ監督はユダヤ人ですから、どこまで当事者の心情を描くか、どこで距離化して線を引くか、かなり考慮しながら作ったのでしょう。
――スピルバーグ監督は初期の「レイダース/失われたアーク」(1981年)にもナチスを登場させています。
全く趣が異なる娯楽作ですが、ナチスは常に彼が意識していたテーマなのかも知れませんね。「忘れさせてはいけない」という思いもあったのだと思います。シンドラーはテレビドラマのホロコーストと同じように、ドイツ人が向き合うべき作品、つらくても見なければいけない作品という、道しるべのような位置づけです。
――映像分野でも、ドイツは時間をかけて、少しずつ過去と向き合うようになっていったことが分かりました。とは言え、21世紀に「インフレ」を生むのはなぜでしょう。
ナチスドイツに関わった当事者、それは加害者も被害者も同様ですが、そういう人たちが生きている間はなかなか自由に描けない。特にドイツの場合は、加害当事国ですから、慎重になって当然だと思います。
ドイツではベルリン五輪やナチ党大会を映像化したリーフェンシュタールが2003年に亡くなりました。戦後もナチスに加担した過去を「反省」をしなかった人ですが、彼女の死の翌年に「ヒトラー 最期の12日間」が公開されたのは、象徴的に思えます。「12日間」は、ヒトラーが少女を膝に乗せてあやしたりといった優しい側面も描いており、大きな議論を巻き起こしました。独裁者の狂気ももちろん描かれていますが、ヒトラーの人間らしさを共感的に見ることができる訳ですから、ドイツにとってはこの描写は「事件」でした。
その約10年後の2015年にヒトラーが現代にタイムスリップする「帰ってきたヒトラー」が公開されました。客観的に、外からヒトラーを観察するのではなく、ヒトラー自身の視点から現代を見るという、かつてなら考えられない、あまりに大胆な設定です。
この映画の原作小説が2012年に発表された時はもっと大きな議論になりました。映画と異なり、全編がヒトラーの一人語りで、「わが闘争」の内容のような言葉がそのまま出てきたりするのですから、疑念や批判が続出するのもよく分かります。もちろんこの物語は現代社会への風刺として読むべきなのでしょうが。
――映画「帰ってきたヒトラー」は、ドイツ社会に漂う移民排斥の空気も捉えています。
ヒトラーのドイツ賛美や反ユダヤ主義の言説がまた受け入れられてしまう土壌があるのでは、との警告も含んでいて、まさに今に通ずる問題を描いている作品です。
近年になると、ドイツの周辺国、例えばオーストリアでも「私たちは併合された被害者だった」という一面的な見方とは別の、実はナチスに協力的だった部分への批判が語られ始め、映画での歴史の取り扱い方も多様化していきます。やはり時間が経過し、歴史を客観的に見ることができるようになったことが大きいと思います。
――日本でナチス関連映画が人気なのはなぜでしょう。
当たり前ですが、ドイツ映画全体から見ると、ナチスやホロコーストの映画は一握りです。ドイツ人がナチスに関連した映画を見て、いつも過去と向き合っているかと言うと、そんなことはなくて。ドイツ人が映画館やテレビで観るのはドタバタコメディーなどが主流で、そういう地域に根差した娯楽作はドイツで大ヒットしていますが、日本に持ってくるとどこが面白いかわからない。商業的に成功しないものばかりになります。
日本人にとって、フランス映画なら「ファッション」という要因があるように、「ドイツ=ナチス」のイメージはやはり強固なのでしょう。もう一つは、日本に限らずですが、「帰ってきたヒトラー」が描いたような社会の分断や分裂の兆しが世界の各地で見られるようになり、そうした社会のあり方に対する危機感を描く際にナチスドイツが適しているのかも知れません。
――実際には様々なジャンルの作品が、様々な作り手によって生み出されているということですね。
ドイツは移民社会ですから、トルコ系移民二世のファティ・アキン監督などは、暴力やセックスなど、それまでのドイツ人監督が扱わなかったようなテーマで大胆な娯楽作を撮って、高い評価を得ています。それが新しい芸術表現と認められることで、ドイツが戦後暴力やセックス描写をかなり慎重に取り扱ってきたことが分かります。
トルコや中東の移民の人たちは、ドイツでのナチスの過去との向き合い方にある種の頑迷さや滑稽さを見ているかも知れません。これは現在のイスラエルとパレスチナの関係をめぐる言説において、ドイツの困難な立ち位置が明らかになっていることとも結びつくでしょう。
ドイツ社会の多様化が進めば、ナチスや戦争の過去を全く新たな視点で描く作品が出てきてもおかしくないし、そうしたユニークな視点の登場に期待しています。