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「優等生」ドイツ、もう一つの顔 『帰ってきたヒトラー』

シネマニア・リポート 更新日: 公開日:
『帰ってきたヒトラー』より © 2015 MYTHOS FILMPRODUKTION GMBH & CO. KG CONSTANTIN FILM PRODUKTION GMBH

ドイツって、ヒトラー台頭の反省から歴史教育に力を入れ、難民や移民も積極的に受け入れてきた「優等生」じゃなかったっけ??

ドイツ映画『帰ってきたヒトラー』(原題: Er ist wieder da/英題: Look Who's Back)が17日、公開された。1945年に自殺を図ったはずのヒトラーが21世紀のベルリンでよみがえる同名ベストセラー小説の映画化だ。

道行く人に「役者かコスプレ芸人?」とおもしろがられ、テレビディレクターに見いだされてバラエティー番組に出始めると、巧みな発声や間合いで既存政治や貧困の蔓延(まんえん)を批判、テレビやネットで人気者に――。そんな筋書きのフィクションだが、映画化にあたって、小説にはない要素を組み込んだ。

『帰ってきたヒトラー』より © 2015 MYTHOS FILMPRODUKTION GMBH & CO. KG CONSTANTIN FILM PRODUKTION GMBH

「ヒトラー」が一般の人たちと接する場面の大半を台本なしでゲリラ的に撮影し、どんな反応を示すのかという「現実」を写し取ったのだ。「本当に彼がよみがえったら何が起きるのか、答えを得たかった」というデヴィッド・ヴェンド監督の狙いだ。

映画の後半、旧東ドイツ地域の酒場でヒトラーが「夜にドイツを思うと眠れなくなる」と演説をぶつ。超ショートヘアの女性客は「聞いてて涙が出た」「国のために死ねる」とうっとり。「その気概が必要だ」と応じるヒトラーに、男性客は「俺もやるよ」とがっちり握手した。

これも、台本なしですか? 日本での公開を前に来日した主演オリヴァー・マスッチ(47)に都内で聞くと、「その通り。すべてプロの俳優ではない一般客で、会話は僕の一言を除いて即興だったよ」。

主演したオリヴァー・マスッチ=仙波理撮影

撮影でドイツ各地を回った約9カ月間、マスッチさんはずっと「ヒトラー」でいなければならなかった。

インタビュー中、彼の顔を見ながらつくづく思ったが、ニュース映像で見るヒトラーとは似ていない。身長も15cmほど高い。だからこそ、象徴的な口ひげに人工の鼻など特殊メイクに毎回2時間くらいかかった。つまり、おいそれとは素顔に戻れない。「食事どきもトイレに行く時も、ヒトラーのまんま。小説と同じように、周りは僕を見て笑い、『何をしてるの?』と集まってきた。その間、ずっとカメラを回していたよ」

時には怖がって逃げ出す人もいた。だが行く先々で人気を呼び、スマートフォンなどで自撮りに応じた数は約2万5千回。「まるでポップスターだった」と振り返る。

「カメラの前で(一般の人が)本音を言うわけがない」。最初は周りにそう言われたそうだ。ところが、彼自身も驚いたことに、「撮影されていることがわかっていても、外国人排斥や人種差別を口にする人がいたんだ」。

映画には盛り込まれなかった、信じがたいエピソードを教えてくれた。ヒトラーになりきったマスッチが、集まった人たちに「政府から手当をもらう失業者をどう思うか?」と水を向けた。すると「強制的に働かせればいいんだ」と声が上がった。「まさに私が1933年に始めたことだ。強制収容所をまた立ち上げるのか?」とたたみかけると、返ってきたのは、「いいね!」。

テスト撮影ではこんなことも。旧東ドイツ地域の別のレストランに入ると、客はゼロ、テレビは壊れたまま。「お金がない」と言う店の女性に、マスッチが「誰のせいだろう」と聞くと、「外国人」。「ところで何人の外国人をこの地で見たことがある?」と尋ねると、彼女は「いや、ひとりも見たことはない」。

映画はドイツでヒットした一方で、「知識層」からは批判の声も上がったという。「こんなこと、起きっこない」。想像に難くない。歴史教育や周辺国との和解に力を入れてきた国として、認めたくない層はいるだろう。マスッチは言う。「10年前ならこんな撮影は成り立たなかっただろう。でも今は一線を越える人がいる。現実を直視しないといけない」

撮影の翌年にはパリ同時多発テロやケルン女性暴行事件が起き、難民への感情は悪化している。今撮ればもっと激しい言葉が飛び出すのでは。マスッチは撮影で接した極右政党「ドイツ国家民主党(NPD)」党員に「今はわずかな勢力だが、あなたがいれば拡大できる」と言われたそうだ。その言葉は、現実味を帯びて響く。

ヒトラー役への起用は、舞台俳優として観客との即興のやり取りも得意だったため。映画ファンにあまり顔が知られていないことも決め手だったとか=仙波理撮影

それにしても、ヒトラーを主役にして真正面から風刺した映画って、戦後あっただろうか。

米大手スタジオの創業者をはじめ、著名な監督や俳優にもユダヤ系が目立つハリウッドでは、ヒトラーは主に狂気のサイコパスとして描かれてきた。風刺映画としてはチャプリン製作・監督・脚本・主演の名作『独裁者』(米)があるが、公開は1940年。チャプリン自身は64年の自伝で「強制収容所の本当の恐ろしさを知っていたらこの映画は作れなかったし、ナチスの殺人的狂気を笑うことはできなかっただろう」と書いている。

つまりユダヤ人大量虐殺が明らかになった戦後は、ヒトラーを風刺の対象とすること自体、はばかられてきた。彼の人間味を描くことすら、アカデミー外国語映画賞ノミネートのブルーノ・ガンツ(76)主演『ヒトラー~最期の12日間~』(2004年、独・伊・オーストリア)でやっと解禁になった感がある。07年のドイツ映画『わが教え子、ヒトラー』はヒトラーをユーモラスに描いて批判を浴びた。

マスッチの話を聞いて、考えさせられたことがある。彼は役作りのため、約500本に及ぶ映像や録音を聞いて、ヒトラーの話しぶりを練習したという。とりわけ参考になったのが、列車内で自然に話す彼の貴重な普段の口調だった。「とても深みのあるソフトな声。プロパガンダ映画とはまったく違った」という。「そこで僕も街の人に、とても優しく、まるで父親のように、彼らの抱える問題に関心を寄せているという態度で接した。すると彼らは心を開き、本音を話し始めたんだ」

ちなみにこの列車内の録音は、フィンランド軍最高司令官との会話。『ヒトラー演説 熱狂の真実』の著書がある高田博行・学習院大学教授によると、「音声技術者が危険を覚悟で隠し録りしたんですよ。信じられないくらい穏やか」だそうだ。

『帰ってきたヒトラー』より © 2015 MYTHOS FILMPRODUKTION GMBH & CO. KG CONSTANTIN FILM PRODUKTION GMBH

こうしたヒトラーの「多面性」に多くの映画がいわば見て見ぬふりをしてきた。その意味でも今回の作品は画期的だ。

原作の邦訳文庫版に解説を書いたドイツ語翻訳・通訳者マライ・メントラインがこう読み解いてくれた。「ドイツでは『いつまで謝らなきゃいけない?』『自分のせいじゃないのに』と言う世代が出ている。ナチスの記憶をどう継承するか、ドイツはある種ゆきづまっていて、その危機感がこの作品の登場を促したのではないか」

日本にとって、決してひとごとではない。

世界の映画を通して社会に迫る――。映画マニア記者が世界の映画人へのインタビューを通して世界情勢を考える取材コラム「シネマニア・リポート」を始めました。随時掲載しますので、どうぞ、おつきあいくださいませ。