■ナチス大尉になりすました19歳
『ちいさな独裁者』の舞台はドイツ敗戦まで約1カ月に迫った1945年4月から始まる。ソ連軍などの攻勢が厳しくなる中、脱走した若きドイツ兵ヴィリー・ヘロルト(マックス・フーバッヒャー)が寒さと餓えにあえぎ放浪するうち、軍用車両やナチス将校の立派な軍服を見つける。身にまとったところへ年上の上等兵フライターク(ミラン・ぺシェル)が現れ、そのまま大尉になりすましてヒトラーからの任務をでっち上げ、フライタークを従える。その後も憲兵隊や本物の大尉らに出くわすが、巧みな嘘を重ね、ヒトラーの権威を笠に着ながら、狂気の独裁者ぶりを発揮してゆく。
実際のヘロルトが大尉になりすましたのは、当時わずか19歳。大尉と信じさせるにはいかにも若すぎるが、今作を見ると、だんだんそれらしくなっていくのが怖いほど見てとれる。身近にもきっと、思い浮かべられることだろう。急にそれなりのポストに就いた途端、トップの意向をちらつかせながら、それらしく横暴にふるまえたりするような人が。
■「良いナチス」が出てこない作品を
とはいえ、映画はヘロルトだけを悪として描いたわけでも、ヒトラーを頂点とするナチスにのみ責任を求めているわけでもない。
シュヴェンケ監督は「ヒトラーやゲーリングではなく、隣人や自分たち自身についての映画、『良いナチス』が出てこない作品を作りたかった」と語った。
「ナチスは加害者視点では語られてこなかった。ドイツは1950年代から過去に取り組む映画を作ってきたが、いずれも本当の意味で戦争に向き合ったものではなく、ほとんどはヒーローのような人物の視点から語られる。『悪いナチス』がいる一方で『良いナチス』もいた、というものだ」
そう話すシュヴェンケ監督が「反面教師」としたかった映画は、独・オーストリア・伊映画『ヒトラー~最期の12日間~』(2004年)だったという。え、ブルーノ・ガンツ(77)の見事なまでのヒトラー形態模写ぶりが話題となり、アカデミー外国語映画賞にもノミネートされたあの作品に問題が?
「常軌を逸した一人の人物=ヒトラーだけが恐るべき破滅を招いたという描き方だ。秘書という『良いナチス』が登場することにも、とても憤りを感じる。実際はほとんどの人たちは当時、立ち上がったり抗ったりせず、ただどっちつかずの形で生きただけだ。立ち上がった人の多くは亡くなったし、彼らの映画を作るのは何も悪いことではないが、人はそうしたヒーロー的人物になりたがり、倫理的な視点を持った人物と自分を重ね合わせて見る方が楽だと感じる。そんな風に安心して見られる映画など作りたくなかった。歴史はそうはなっていないのだから」
耳の痛い話だ。
「もし私たちが血にまみれた歴史を忘れ、 なりたい人間像に自分自身を当てはめて安らぎを得たら、非常にもろい状態になる。あやまちを防げるのは自分自身に正直な場合だけで、忘却を決して許してはいけない。奈落の底を覗き込み、どれだけ身近に起きたことなのか知る必要がある。ある意味、この映画は予防薬だ」
だからこそ、この映画はドイツなど欧州で高く評価された一方で、「ドイツではなお、今作と折り合えない人たちがいる」とシュヴェンケ監督。「当時のドイツ国防軍を汚すことになるためだ」
■「ただ巻き込まれただけ」という神話
シュヴェンケ監督は旧西ドイツ出身。幼い頃は、戦時中について「神話とともに育ってきた」と言う。「普通の兵士は虐殺にかかわらず、戦争にはただ巻き込まれただけ、前線で生き延びようとしただけだったという風に、学校でも教わる。よくわかっていたはずの両親も、私にそう伝えていた」
だが、特に冷戦後、ドイツ兵捕虜が撮っていた知られざる写真が旧東側諸国のロシアやポーランドなどのアーカイブから発掘・公開され、見方が変わってきたという。「普通の兵士が、殺害された人々が横たわる前でハイタッチをしている様子が写っていた。ドイツで大きな議論を巻き起こした」
シュヴェンケ監督の祖父がナチス政権下で政府の一員だったことも、今作の動機になったそうだ。「祖父はナチス政権下で行政に携わった。家族は話したがらず、引き出すのにも時間がかかったし、祖父の具体的な役割は今もはっきりしないが、(ユダヤ人を乗せた)列車が時間通りに出発するのを確認したりしていた。祖父は政府から多大な恩恵を受け、大きな家にも住んでいた」。その「大きな家」は、強制収容のため立ち退きを余儀なくされたユダヤ商人から接収したものだったという。
幼い頃に見た祖父はシュヴェンケ監督には「良いおじいさん」。一方で、のちに聞いた説明の多くは「納得いくものではなかった」。だからこそ、「普通の人たち」が惨事に加担していくさまについて、映画を通して考えたかったという。
今作の出演者には、リトアニアのホロコーストを指揮したナチス親衛隊幹部の日記の一部を読んでもらった、とシュヴェンケ監督。「この幹部は最初の虐殺の後に日記で、いかに打ちのめされて調子を崩したかつづっていた。彼でさえ、体調を崩すほどには人間性があった。私たちは当時のナチスを冷血な人殺しとみなしがちだが、彼らも人間で、乗り越えなければならなかったということだ」
■現代の独裁者にどう向き合うか
実際に撮影を始めた頃には、米国でトランプ政権が誕生し、欧州は移民排斥の声が高まっていたという。「私たちは今、(ナチス台頭の)1930年代と似た時代にある。ドイツで右派を支持する人は旧東ドイツ出身が中心。東西統一で何も得られず、置き去りにされたと感じ、残るわずかも失うのではないかと恐れている。リベラルが何もかもダメにした、だから厳しい措置が必要だ、という感情が蔓延している」
そのうえで、シュヴェンケ監督はこう強調した。「今の独裁者は、民主主義をないがしろにするために全体主義を掲げたりする必要がなくなっている。選挙にも勝つし、民主主義を形だけ存在させるリップサービスだってできる。プロパガンダのための宣伝省を持つ必要もない。自由に報道させた末に、それを市民の敵に仕立てればいいからね」。確かに、多メディアが林立するネット時代、為政者が自分を持ち上げてくれる報道だけを「正しい」と連呼すれば、当時のように手間をかけてプロパガンダ映画を作ったりする必要はない。
シュヴェンケ監督は、「とはいえ、彼らを壇上から引きずり下ろすべきだとは思わないし、それは間違いだ」と力説する。「彼らを黙らせれば、彼らと同じになってしまう。対話や議論に巻き込み、それでも考えは変わらないかもしれないけど、ともに何かを学ぶ。彼らにも話をしてもらう、それが民主主義だ」
だからこそこの映画も、「見た人に考えてもらう作品にした」とシュヴェンケ監督。「答えを私が示したりせず、見た人自身が今作で探求し、導いてくれるのが究極的にめざすところだ。この映画をみんなが同じように見るわけじゃないし、違う結論に至る人に出くわすかもしれない。でもそれが議論の入り口となって、話し合いが始まるかもしれない」