ホロコーストを題材にした映画が、ついにここまで踏み込んだ。30日公開の独・オーストリア映画『ブルーム・オブ・イエスタデイ』(原題: Die Blumen von gestern/英題: The Bloom of Yesterday)(2016年)は、ナチスの加害と犠牲をユーモアやコメディーをまじえて考える問題作だ。祖父のユダヤ人虐殺の過去に触れたのを機に今作を撮ったクリス・クラウス監督(53)に、スカイプインタビューで背景を聞いた。
舞台は現代のドイツ。ホロコースト研究所で働くトト(ラース・アイディンガー、41)はナチス親衛隊の大佐だった祖父を告発した本を出して世間に評価されたが、親族からは勘当されている。そうして心の安定さを失ってきたトトは、ずっと企画してきた「アウシュビッツ会議」のリーダーから外される。そんな中、フランスからのインターン、ザジ(アデル・エネル、28)がやって来る。トトの本を絶賛するザジだが、迎えの車が独メルセデス・ベンツ製だと知るや激怒。ユダヤ人の祖母がかつて、ベンツのガス・トラックで殺されたためだ。それでいて歴史を茶化したりもするザジにトトは苛立ちを募らせ、アウシュビッツ会議の後任リーダー、バルタザール(ヤン・ヨーゼフ・リーファース、53)が商業主義に走るさまにも憤る。だがトトは次第に、会議に向けてともに奔走するザジと惹かれ合う。背後には、それぞれの祖父と祖母の物語が大きく横たわっていた――。
2016年の東京国際映画祭で東京グランプリとWOWOW賞を受賞。ドイツのアカデミー賞にあたるドイツ映画賞では、作品賞など主要部門をはじめ8部門でノミネートされた。ちなみにザジを演じたアデルはダルデンヌ兄弟監督の『午後8時の訪問者』(2016年)で主役の医師を演じている。ダルデンヌ兄弟にインタビューしたシネマニア・リポートを合わせてご覧いただければと思う。
それにしても、ホロコースト犠牲譚でコメディーとは。脚本・監督のクラウス監督はドイツ人。祖父がラトビアでユダヤ人虐殺にかかわっていた過去を知ったのがきっかけだった、とスカイプのビデオ画面越しに語った。
「89歳まで生きた祖父を、私は大好きだった。私も家族も、祖父が戦争に行ったことを知ってはいたが、ドイツ軍兵士としてぐらいの認識だった。だが彼はナチス親衛隊員としてユダヤ人を殺害、戦争犯罪を負っていた。祖父は決して語らなかったし、私も決して尋ねなかった。祖父はきっと話したがらないだろう、と思って控えた」。クラウス監督は振り返る。
だがある日、ユダヤ人虐殺者のひとりとして祖父の名が記された書物を見つける。「ベルリンの壁が崩れて以来、多くの文書が東欧から西欧に流れてきたことも大きかったようだが、私はまったくもってショックを受けた。それまでまったく知らなかったからね」とクラウス監督。そうしてベルリンにドイツ東部コプレンツ、ドイツ南部ルートヴィヒスブルクにワルシャワ、ワシントンと欧米の記録保管所へ足を運び、祖父についてリサーチを続けた末に、今作を考案した。
朝日新聞GLOBEでは9月3日発行号の紙面で高橋友佳理記者が特集「記録の力」を書いたが、クラウス監督が今作にたどり着いたのは、まさに「記録の力」が大きいと言えるだろう。
記録保管所では、犠牲者と加害者の記録が隣り合わせで保存されていたという。それもあってだろう、クラウス監督は犠牲者の子孫であるユダヤ人たちからよく話しかけられたそうだ。「彼らは『この先祖たちについてどう思うか?』と興味深そうに私に尋ねてきた。彼らはユーモアやウィット、ジョークも交えて話してきた。ナチスの子孫としては居心地が悪い。私はとても困惑し、動揺し、そのことについてホテルでずっと考えた。そうして、私が感じたこの困惑や動揺を、映画を通して多くの人にいわば追体験してもらおう、この恐ろしい問題をもとにコメディーを作ろうと思ったんだ」
トトとザジのキャラクターは、記録保存所で耳にした会話や、ドイツ人とユダヤ人のカップルについて聞いた話などをもとに作り上げたという。
今作は、祖父を含むナチスの面々がユダヤ人を追い立て虐殺した、ラトビア首都リガ近郊のルンブラの森でも撮影した。「私には恐ろしい経験だったし、撮影クルーにとっても、居心地の悪い感じがあった。それでも、まさに虐殺が起きた現場で撮ることは今作に必要なことだった」とクラウス監督は語る。
ナチスやホロコーストをめぐる映画や小説は数多く作られてきたが、笑いを交えた作品は世界中でタブー視されてきた。「ヒトラーが現代に蘇ったら?」という設定でヒットしたドイツ映画『帰ってきたヒトラー』(2015年)はヒトラーを真正面から風刺して画期的だったが、それでも「ホロコーストにユーモアを用いた映画は、これまで作られてこなかった」とクラウス監督は言う。
そのため、出資を募る段階から「きわめて困難だった。私と15年もの間一緒にやってきた仕事上のパートナーを失ったりもした。個人的にとても傷ついた」とクラウス監督は振り返る。
公開されると、ドイツの批評家を中心に賛否が分かれた。「ホロコーストをユーモアで描くなんて、道義的に許されるのか」「大量虐殺をめぐってユーモアやジョークを利かせていいのか」と大きな論争になったという。「そこには誤解がある。これは『ホロコーストのコメディー』ではなく、この恐ろしい問題についてふざけたわけでも決してない。ホロコーストの研究者、あるいはこの問題について内なる葛藤と向き合う人たちについてのコメディーだ。それが違いだ」
そもそも、「ナチスやホロコーストをめぐる映画や小説は数多く作られてきた」という私の印象自体、クラウス監督にしてみれば一面的だ。「戦中や戦後直後までの間に何が起きたかはよく取り上げられてきたが、孫の世代がホロコーストとどう向き合うかについてはほとんど語られていない。ホロコースト映画自体、今やずいぶん減った。ホロコーストを記憶するための日が1月にあるが、いわゆるお決まりのやり方で問題をとらえる。ナチスはまるで宇宙空間から来たエイリアンで、今のドイツ人とは関係がない、といった風に語り継がれてきた。ユダヤ人を虐殺した『怪物』たちについて考えはしても、彼らが自分たちの祖父世代で、誰もがそうなりうるということに思い至らない。たった2世代前であるだけに、非常に問題だと思っている」
自身がナチス政権下のドイツ人だったら、という仮定についてもクラウス監督は率直に語った。「トトは劇中、自分ならどうしただろうかと自問したが、私も考えると心がかき乱される思いだ。私だって、祖父と同じことをしたかもしれない。人としてどうかはともかく、当時の体制では歯向かえば罪人だ。恐ろしいことだ」
クラウス監督いわく、「ドイツは負の歴史を記憶し続ける点でよくやっていると思われるし、それは確かにそうなのだが、私の子どもたちはそうした歴史にもはや興味を持っていない」。これが欧州の新たな右派台頭をますます躍進させている、とクラウス監督はみる。「右派の台頭は、10年前には想像しなかったことだ。つまり、かつてと同じようなことがいつだって起きうる。だけど若い人たちは、学校で教わる歴史と、今の右派台頭とを結びつけて考えられないでいる。彼らの意味するところをわかっていない」
インタビューしたのはドイツ総選挙を控えた9月上旬だった。クラウス監督は自身の危機感を踏まえ、「メルケル首相のキリスト教民主・社会同盟が勝つのは明らかだし、右翼政党『ドイツのための選択肢(AfD)』や極右政党『ドイツ国家民主党(NPD)』大きく勝利するとは思わないが、彼らが議席を取る可能性はやはりあるだろう」と話していた。結果、懸念は現実のものとなり、AfDは初の議席を獲得して第3党に躍り出た。
「映画製作者として私は旗幟鮮明に、こうした勢力と、力の限り闘ってゆく。だが一方で、訴えが響かなくなっている。だから20年前のような主張を繰り返すのではなく、訴えを人々に届ける新たな方法を見いだすことが絶対に必要だ。私が今作で感じたのはそこだ」
世界中、そして日本でも広く支持を得づらくなっているリベラル派が、真剣に考えねばならない点でもある。
幸い、この「リスキーな映画」(クラウス監督)はドイツでヒットし、先述のようにドイツ映画賞では8部門でノミネートされた。日本でも、負の歴史についてこんな風に取り組む作品が出たら、どんな反応になるだろうか。