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ドイツ「過去の克服」の歩み 反省プロセスの光と影 石田勇治・東大名誉教授に聞く

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東京大学名誉教授の石田勇治さん
東京大学名誉教授の石田勇治さん=2024年1月13日、東京都、荒ちひろ撮影

――犯罪追及を始めとするドイツの戦後の取り組みをどう評価しますか。

ドイツの「過去の克服」は犯罪追及と被害補償を車の両輪としてきました。それは最初から決められた道を進んだのではなく、犯罪追及は1960年代から何度も激論を重ねた末、1979年に時効が撤廃され、その結果、現在も続いています。被害補償も1960年代に一度終結したとされましたが、1980年代にその不十分さが厳しく問われ、やがて救済対象が広がりました。戦時強制労働の被害補償が果たされたのは、ようやくドイツ統一後の21世紀になってのことです。

長い反省のプロセスを経てドイツは国際的に信頼される国になりました。自国の歴史的な過ちを認め、必要な謝罪を行い、犯罪者を裁き、犠牲者を補償する。これはどの国にとっても容易にできることではないでしょう。

「働けば自由になる」の標語が掲げられたザクセンハウゼン強制収容所跡の門
「働けば自由になる」の標語が掲げられたザクセンハウゼン強制収容所跡の門=2024年1月24日、ドイツ・オラニエンブルク、中川竜児撮影

しかし、手放しの評価は禁物です。犯罪追及で司法当局が使える「武器」はドイツ刑法だけです。ホロコーストなど前代未聞の国家的犯罪を本気で裁くつもりなら、特別法を制定するか、ニュルンベルク裁判で導入された「人道に対する罪」を刑法に継承すべきでした。それが行われなかったのは、戦後初期の司法界でなおも大きな影響力をもったナチ時代の法曹関係者らが、「遡及効(そきゅうこう=ある法律を成立以前にさかのぼって適用すること)」にあたるとして認めなかったからです。

――ナチ時代の法曹関係者らはその後も暗躍したそうですね。

刑法改革の議論が盛んだった1968年には、幇助(ほうじょ)犯の訴追を事実上封じる改正もありました。関わったのは、またもナチ時代の司法官僚でした。当時、世間はこの改正の重大性に気づかず、「机上の殺人者」と呼ばれた大物たちは、その重い罪が問われることなく静かにこの世を去っていきました。

こうした司法界の実態を見れば、フランクフルトでアウシュヴィッツ裁判を実現したフリッツ・バウアーや、クラルスフェルト夫妻らの活動がいかに重要だったかが分かります。彼らが目指したのは法の裁き、正義の実現でしたが、それにとどまらず、若い世代を中心に「ナチ犯罪」の実態を見つめる契機を与え、その後のドイツ社会に大きな影響を及ぼしました。

――捜査対象者は高齢化し、「終わり」が近づいています。

犯罪追及は被疑者がいなくなれば終わる。それは政府も国民も分かっています。犠牲者に思いを馳せる記念碑を建てたり、現代史教育に力を入れたり、ナチ時代の公的記憶を次世代に引き継ぐ「想起の文化」の取り組みはこれまで以上に重要になるでしょう。

観光名所のブランデンブルク門の近くにある「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」。花が供えてあった
観光名所のブランデンブルク門の近くにある「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」。花が供えてあった=2024年1月27日、ベルリン、中川竜児撮影

――ドイツのイスラエル外交の評価はどうでしょうか。

ショルツ首相は、イスラム組織ハマスがイスラエルを襲撃した直後の2023年10月、イスラエルの安全保障は「ドイツの国是」だと公言しました。たしかにイスラエルとドイツは特別な関係にあり、それは「過去の克服」の副産物だとも言えます。

イスラエル国旗やハマスの人質になった人の写真を掲げ、イスラエル支援を訴える人たち
イスラエル国旗やハマスの人質になった人の写真を掲げ、イスラエル支援を訴える人たち=2024年1月27日、ベルリン、中川竜児撮影

戦後、つまりホロコースト後のドイツでは、ユダヤ人の処遇は「民主主義のバロメーター」と呼ばれ、イスラエルとの関係構築はドイツが西側陣営に参入する「入場券」とも呼ばれました。刑法は反ユダヤ行為を処罰し、政治家が反ユダヤ主義者と見なされることは政治生命の終わりを意味します。

ドイツ人の中には強い贖罪意識から親ユダヤ、親イスラエルの感情を抱く者も少なくありません。しかし、政府がハマスの蛮行を糾弾する一方で、イスラエル軍の蛮行を自衛権として容認するのは、二重基準の非難を免れないでしょう。

パレスチナの旗などを掲げ、「パレスチナに自由を」と声を上げる人たち
パレスチナの旗などを掲げ、「パレスチナに自由を」と声を上げる人たち=2024年1月27日、ベルリン、中川竜児撮影

――ドイツが取るべき行動は何でしょうか。

ドイツは「人間の尊厳の不可侵性」を憲法(ドイツ基本法)第1条に謳い、これを尊重・擁護することを国是としてきました。「過去の克服」が目指したのは、この精神に基づき、過去への反省を糧にして民主主義の発展を支え、傷つきやすい、普遍的な人権を実りあるものにすることです。移民の背景を持つ者が人口の四分の一以上を占める一方で、極右・排外主義の高まりが見られる今日のドイツで、この目標をいかに実現するのか、いまが正念場であるように思います。