詰め寄るアメリカの若者「イスラエルを止める方法ないのか?」
ダボス会議の前からどんどん悪化していた中東情勢。イエメンの反政府武装組織フーシによる紅海の船舶への攻撃、それに対する米英へのフーシの拠点への攻撃、さらにイスラエルとレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラとの応酬……。そんな中で「中東問題 出口はどこにあるのか」というセッションがあった。
登壇したのは、英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)所長のカリン・フォン・ヒッペル氏、中東専門家のジョンズホプキンス大学大学院教授ヴァリ・ナスル氏、国連のシリア特使のゲイル・ピーターセン氏ら、中東問題の第一人者だ。
「昨年10月7日(ハマスによるイスラエルへの攻撃)まで、この地域は長期的な安定に向かうと考えられていた」。そんな司会者の導入から始まったが、登壇者からはこの次に何が起きるのか予測がつかぬまま、情勢が「エスカレーションと拡大の両方に向かっている」という指摘が相次いだ。
ナスル氏は「10月まで、サウジアラビアとイスラエルとの国交正常化が進んでいたが、あらゆることが吹っ飛び、かすかに見え始めていたこの地域の秩序はなくなってしまった」と語り、一つの紛争ではなく、いくつもの紛争が絡み合いながら拡大して行っていることに危機感をあらわにした。
ピーターセン氏は「問題は、イスラエルがガザだけにとどまるのか、それ以上のことをしようとしているかどうかだ」と、イスラエルの行動がこの地域のその後に大きく影響すると指摘。
一方で、フォン・ヒッペル氏は「過去10年、中東地域は、どの国もシリア、リビア、イエメンなどどこかの内戦に関与し、さらにそこから武装勢力を支援しようという外からの力もあったが、いずれもそこから全面戦争に至ることはなかった。だれもが全面戦争を望んでおらず、どの国もいま非常に慎重に行動し始めている」と語った。
興味深かったのは、このセッション後の会場の反応だった。聴衆からの質問の中で、立ち上がって発言した人ほぼすべてが「イスラエルによる(ガザ地区での)ジェノサイドを早く止めさせろ」という声をあげた。
アメリカから若者の代表として参加者したという女性は「アメリカの若い世代はいま全米でイスラエルのジェノサイドに反対するデモを繰り返している。アメリカがイスラエルを止める方法は本当にないのか」と詰め寄った。
別の男性は「アメリカは過去にイスラエルの武力を止めた事例がある。1956年のスエズ危機だ。なぜバイデン大統領は(スエズ危機当時、エジプトに侵攻したイスラエルに反対して撤退させた)アイゼンハワー大統領と同じように、イスラエルに撤退するよう働きかけないのか」。
一方で、フォン・ヒッペル氏は、「中東の問題が起きて以来、みなイスラエルをアメリカの一部の州かのように『イスラエルをなんとかしろ』というが、逆にイスラエルに対してアメリカがそこまでの影響力を持っていると多くの人が過大評価していることに驚いている」と、アメリカの影響力には限界があると話す場面もあった。
「ハマスが市民を盾に」
では、イスラエル側はこうした声に何と答えるのだろうか。
このセッションを聞いた日の夜、ダボスに来ていたツィピ・リヴニーさんに会った。2006年から2009年にイスラエルの副首相と外相を兼任し、2013年から2014年は司法相も歴任した政治家だ。2008、2014年にはハマスとの交渉にあたっていたこともある。
ダボスのホテルで会ったリヴニーさんは、長身を黒いスーツに身を包み、2人の秘書らしき人たちと一緒に颯爽と現れた。
野党党首としてネタニヤフ首相とは政治的に敵対する場面も多かったリヴニーさんだが、現状をどう見ているのか。そう水を向けると、堰を切ったように話し始めた。
「私は確かにネタニヤフ氏とは政治的に敵対してきた。でも、はっきりさせておきたいのは、ハマスへの攻撃は完全に支持しているということ。昨年10月に起きたあの恐ろしい出来事を思い出すとぞっとする。親の目の前で殺された子どもたち、いまだに人質になっている人たちもいる。非人道的な行為であり、ハマスの殲滅は絶対に必要なことだ」
だが、「その報復があまりに不釣り合いな規模で市民の犠牲を生んでいるからこそ、最初に攻撃されたはずのイスラエルに批判が集まる事態になっているのでは」とたたみかけると、強く反論した。
「私たちはガザの市民を狙っているわけではない。ハマスが市民を盾にして利用してきた。ハマスがどうやって潜伏しているか、みな知らなすぎる」
私が「ハマスが作った地下トンネルが……」と言いかけると、リヴニーさんは遮って言った。「あれはトンネルなんてものではない。地下都市と呼ぶべきものだ」
そして、自身がハマスと交渉をしていた時代を振り返りつつ「ハマスが共存を望まないから起きたこと。今後、ガザを復興させても、ハマスを殲滅させなければ数年後にまた同じことが起きるだろう」と繰り返した。
南アフリカがイスラエルのガザ地区への攻撃を「ジェノサイド」だとして国際司法裁判所に提訴したことも激しく批判し、「テロリストがイスラエルに入ってきてユダヤ人を殺したのだ。テロを起こした側こそが責められるべきだろう」と言って頭を振った。
一方で、リヴニーさんには、ネタニヤフ氏とは意見が異なる点もある。ネタニヤフ氏が進めてこなかった(パレスチナ国家の樹立を認める)「2国家解決」だ。
「私はパレスチナ国家との共存をめざすべきだと考えてきたし、いまもそれしかないと思う」と話す。「2国家解決は、イスラエルの国境を守り、イスラエルの安全を守るために必要なのだ」と。
話し込む間に、夜の10時半を回っていた。
リヴニ-さんは、これからまた別の約束があると言い、ホテルのロビーを出て行った。
かみ合わない議論を反芻しながら、夜のとばりの降りたダボスの町を歩き始めた。
あちこちに各国政府の車両らしき車が止まっている。この町のあちこちで、今日も遅くまで中東問題を巡って各国政府が非公式の交渉やミーティングを重ねているはずだ。
皮肉なのは、これだけの政府高官や有識者が一堂に会し、深い知識を開陳しながら複雑な中東情勢を論じてもなお、明日ガザで死ぬ人をどうすれば救えるのかという喫緊の問題に、誰も答えを見いだせないことだろう。