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韓国元大統領に「穏やかな老後」はあるか 文在寅氏が故郷の田舎に書店を開いた理由

牧野愛博のThe World Inside Out 更新日: 公開日:
平山書房を訪れた「共に民主党」李在明代表と記念撮影に納まる文在寅氏(右)
平山書房を訪れた「共に民主党」李在明代表と記念撮影に納まる文在寅氏(右)=韓国の合同取材団撮影、東亜日報提供

大統領だった人が本屋で働いている。韓国の文在寅(ムンジェイン)前大統領は昨年4月、故郷の慶尚南道梁山市平山洞に私費を投じて「平山書房(ピョンサン・チェクパン)」を開いた。収益は平山書房財団に帰属し、公共福祉事業に充てられると言う。文氏は折に触れてエプロン姿で働き、訪れた市民と交流を続けている。ただ、韓国の知人たちは「文氏はただの店員になりたかったわけではない」と口をそろえる。文氏が書店員になった背景には、組織よりも人が左右してきた韓国権力の法則がある。(牧野愛博)
オープン1年を機に公開された動画=平山書房公式YouTubeチャンネルより

文氏の自宅近くの民家を改装した「平山書房」は普通の本屋とは異なる。

公式サイトを開くと、「共に本で変化を夢見ることに」という訴えとともに支援のお願いが目に入る。「文在寅の推薦本」として「金大中(キムデジュン元韓国大統領)肉声回顧録」などを紹介している。

エプロン姿で平山書房の店内に立つ韓国元大統領の文在寅氏
エプロン姿で平山書房の店内に立つ韓国元大統領の文在寅氏=平山書房公式サイトより

平山書房のある平山洞の人口は今年9月現在で約2万8000人。韓国の筆者の知人の一人は「訪れるのは主に文在寅氏の支持者たち」と語る。

今年5月には、平山書房が公式インスタグラムでも紹介した自身の回顧録「辺境から中心へ」で、北朝鮮の金正恩総書記を「礼儀正しい」と評し、日本を「本当に度量のない国」とののしった。知人の一人は「文氏は書店を世間にメッセージを送る場所として使っている」と語る。

平山書房の店内で、エプロン姿で来訪者と語らう韓国元大統領の文在寅氏(手前右)
平山書房の店内で、エプロン姿で来訪者と語らう韓国元大統領の文在寅氏(手前右)=平山書房公式サイトより

しかし、文在寅氏は2022年5月の任期満了に伴う退任前から「忘れられた人になりたい」と繰り返し、語っていたはずだ。なぜ、世間にアピールする必要があるのか。

李明博(イミョンバク)政権(2008~2013年)で大統領府に勤務した知人は「韓国の権力が、政党からではなく個人から生まれて来たからだ」と語る。

朴正煕(パクチョンヒ)氏は1961年の軍事クーデターで政権の座に就いた。全斗煥(チョンドファン)氏と盧泰愚(ノテウ)氏は、日本でも公開された映画「ソウルの春」で描かれたように、1979年の粛軍クーデターを契機に次々に権力の座に上った。

就任式で就任演説をする盧泰愚韓国元大統領=1988年2月25日、韓国・ソウルの国会議事堂前広場

文氏は民主選挙で大統領に選ばれたが、その際には「チョップル(ロウソクの灯)集会」で先頭に立ち、当時の朴槿恵(パククネ)大統領を弾劾によって権力の座から引きずり下ろした。

強いカリスマゆえ、人々は退任してからも、大統領経験者を放っておかない。文氏の自宅周辺では退任直後から、保守系の市民団体が連日、拡声器で文氏を非難し続けた。韓国検察は現在、文在寅氏の長女の文ダヘ氏に対し、元夫の格安航空会社(LCC)役員就任を巡る不正疑惑で捜査している。

右派の尹錫悦(ユンソンニョル)政権は、左派の文在寅政権がとった親北朝鮮政策、対日強硬政策などを全面的に否定する政策を打ち出している。文氏にしてみれば、声を上げたくなる心境なのだろう。

韓国の尹錫悦大統領
韓国の尹錫悦大統領=2022年3月18日、ソウル、東亜日報提供

同時に、文氏を評価する声も高い。文派(ムンパ)と呼ばれる最大野党「共に民主党」の文在寅支持派は、次期大統領選への立候補を目指す李在明(イジェミョン)党代表も無視できない勢力を維持している。

軍政を断罪された全斗煥、盧泰愚両氏や、IMF(国際通貨基金)ショックと呼ばれる国家財政破綻の危機を招いた金泳三(キムヨンサム)氏、獄につながれた李明博、朴槿恵両氏など、大統領を退任後、世間から非難を浴びた人々は、旧正月や秋夕(旧盆)の際に元部下たちと旧交を温める以外は、ほぼほぼ自宅に引きこもる生活に追いやられた。文氏には現時点でだが、そのような負い目はない。

収賄や横領などの罪で起訴され、公判のために訪れた裁判所を出る李明博・元大統領=2018年5月、東亜日報提供

そして、文在寅氏が秘書室長として仕えた盧武鉉(ノムヒョン)元大統領は退任後、やはり故郷の慶尚南道金海市烽下村に自宅を構えた。環境にやさしいアイガモ農法によって稲作をするなど農業に汗を流し、村を訪れる人々とも積極的に交流した。

平山書房の推薦本にも「盧武鉉と一緒に行った1千日」という本が挙げられている。盧武鉉氏の元側近によれば、2009年に盧氏が自宅近くの山から身を投げた後、烽下村の自宅に集まった側近たちは、保守勢力への政治的復讐を誓った。後に同じ場所で、文氏に大統領選への立候補を要請したという。 

平山書房のレジカウンターに立つ韓国元大統領の文在寅氏(左)と妻の金正淑さん
平山書房のレジカウンターに立つ韓国元大統領の文在寅氏(左)と妻の金正淑さん=平山書房公式サイトより

尹錫悦政権の支持率は現在、20%台で低迷している。保守系の知人の一人は「尹政権の理念は正しいが、知り合いだけで権力を独占するやり方はいただけない。検察や学校の先輩・後輩ばかりではないか」と語る。

文在寅氏はその逆を行くように、平山書房を訪れる市民と気軽に言葉を交わし、一緒に写真に納まっている。平山書房は、尹政権にとって頭痛のタネの一つかもしれない。