映画化されてこなかった1979年「新軍部のクーデター」
韓国では近年、歴史的な出来事(fact)に虚構(fiction)を加味した「ファクション(faction)」映画が盛んに作られている。中でも2010年代以降は、観客の想像を超えるドラマチックな歴史を持つ軍事独裁時代を取り上げた力作が目立つようになった。
その代表的なものを時系列で並べてみると、1970年代の殺伐とした維新独裁体制に至るまでの、金大中(キム・デジュン)と朴正煕(パク・チョンヒ)の選挙戦を中心にした『キングメーカー 大統領を作った男』(ピョン・ソンヒョン監督、2021)から、朴正煕暗殺に焦点を合わせた『KCIA 南山の部長たち』(ウ・ミンホ監督、2020)、全斗煥(チョン・ドファン)・盧泰愚(ノ・テウ)ら新軍部による光州での虐殺を暴いた『タクシー運転手~約束は海を越えて~』(チャン・フン監督、2017)、“アカ”に仕立てて排除しようとする権力側と闘った盧武鉉(ノ・ムヒョン)の前史『弁護人』(ヤン・ウソク監督、2013年)を経て、民主化への勝利を勝ち取った『1987、ある闘いの真実』(チャン・ジュナン監督、2017)まで、軍事独裁とその終焉の歴史が映画に力強く描き込まれている。これらの作品は、映画をもって現代史を書き下ろしていると言っても過言ではない。
ただそんな中、朴正煕暗殺と光州事件の間をつなぐ、新軍部によるクーデターを描いた作品が欠けていることに、正直なところ物足りなさを感じていたのも事実である。このクーデターこそ、韓国現代史を闇の中に閉じ込める1980年代の幕開けであったからだ。だがようやく、これまでのモヤモヤを払拭してくれる、激動の歴史をめぐるパズルの最後のピースとも呼べるぴったりな作品が現れた。キム・ソンス監督の『ソウルの春』(2023)である。
歴史的事実として誰もが知っているものの、その詳細はほとんど知られておらず、長い間、漠然と「朴正煕暗殺後の混乱の中、全斗煥・盧泰愚らが起こしたクーデター」と国民に認識されてきた1979年12月12日の軍事反乱を描き、公開とともに大反響を巻き起こした作品だ。
繰り返される軍事クーデターと、そのたびに踏みにじられてきた民主主義という韓国現代史の暗部を見つめ直そうとした本作は、国民の高い関心を集め、1300万人以上という昨年最も多くの観客を動員、レビューには「(クーデターを)ねじ伏せるチャンスもあったのに悔しい」「醜悪な歴史からも学ばなければ」「全国民が見るべき映画」といった声が並んだ。
今回のコラムでは『ソウルの春』の日本公開に合わせ、映画が描いている「12・12軍事反乱」(韓国政府が定めた正式名称。一般的には「12・12クーデター」や「12・12事態」が広く使われているが、ここでは以下「軍事反乱」と表記する)の歴史的経緯と、鎮圧軍に参加した主要人物たちのその後について紹介しよう。
つかの間だった「ソウルの春」
その前にまずは、本作のタイトルにもなっている「ソウルの春」について説明をしておきたい。なぜなら厳密にいえば、映画が描く軍事反乱と「ソウルの春」は相反する意味を持っているからである。
1979年10月26日、絶対的独裁者・朴正煕大統領がKCIA部長のキム・ジェギュによって暗殺され、18年に及ぶ軍事独裁がようやく終わりを告げると、民主化の訪れを期待する韓国社会の空気は「プラハの春」にちなみ、いつしか「ソウルの春」と呼ばれるようになった。
だが軍事反乱に成功した新軍部は、かつての朴正煕と同様、政治には関与しないと豪語しながらも、名ばかりの大統領になり下がっていた崔圭夏(チェ・ギュハ)と閣僚らを威嚇し、またたくうちに政治の前面に出るようになる。その過程で新軍部は、金大中や金泳三(キム・ヨンサム)ら政治指導者の活動を制限、国会を解散するなど民主化とは逆行する措置を強行し、歴史の時計の針は再び軍事独裁に逆戻りする様相を見せていった。
このような事態に政治家や学生ら各界各層の抵抗が始まると、新軍部は1980年5月17日「非常戒厳令拡大」を宣布し、国家権力を完全に掌握して弾圧に乗り出した。翌日18日に光州で起こった民主化を求める闘いは虐殺によって鎮圧、これが韓国現代史上最悪の虐殺である「光州事件」であるのは言うまでもない。
こうしてついに「ソウルの春」は夢と消え、韓国社会は再び「軍事独裁の冬」にのみ込まれていく。したがって「ソウルの春」とは、1979年10月の朴正煕暗殺から1980年5月に光州事件が起こる前日の非常戒厳令拡大までの間を示す言葉になった。世界でもっとも長いクーデターとも言われる12・12軍事反乱は「ソウルの春」が失われる実質的な出発点であり、その意味で本作のタイトルはアイロニカルな意味を持つのである。
作品が描く反乱軍と鎮圧軍の一夜の攻防
本作は、権力の亡者と化した新軍部の反乱軍と、彼らを阻止しようと立ち向かった鎮圧軍のわずか一晩の緊迫した攻防を、丁寧にかつ目まぐるしく描いている。物語は基本的に史実通りに進むが、映画では実在の人物名は使われていないため、実際の人物と照合させながら全体の流れを振り返りつつ、フィクションの部分も指摘していきたい(以下、括弧内は役名)。
朴正煕暗殺後、合同捜査本部長になった保安司令官全斗煥(=チョン・ドゥグァン)は、陸軍参謀総長で戒厳司令官のチョン・スンファ(=チョン・サンホ)と事件の捜査や人事問題をめぐり対立していた。捜査を理由に平気で越権行為に及ぶ全斗煥の目に余る行動に、チョン・スンファは彼を地方の部隊に左遷しようとするが、全斗煥は盧泰愚(=ノ・テゴン)らハナ会のメンバーたちを集め、チョン・スンファがキム・ジェギュからカネを受け取って朴正煕暗殺に加担したとでっち上げて強制連行する計画を立てる。
計画の実行日は12月12日。全斗煥の命令を受けた保安司令部の捜査官と50人余りの兵士は、陸軍参謀総長の官邸に押し入って銃撃戦の末に警備員らを制圧、チョン・スンファを保安司令部の取調室に連行する。
その一方で全斗煥は、連行に反発するであろう首都警備司令官のチャン・テワン(=イ・テシン)、特殊戦司令官のチョン・ビョンジュ(=コン・スヒョク)、憲兵監のキム・ジンギ(=キム・ジュニョプ)の3人を自分の誕生日祝いという口実で宴会に招き、計画実行を阻止されないよう画策していた。いっこうに現れない全斗煥に疑念を抱いたチャン・テワンは、陸軍参謀総長の連行を知り全斗煥を阻止しようとするも、国防省も陸軍本部もすでに反乱軍に占拠されていた。
ソウル付近の兵力を動員して反乱軍を鎮圧しようとしたチャン・テワンだが、全斗煥は盧泰愚の最前線の部隊を出動させて鎮圧軍の動きを無力化。チャンらは逮捕され、事態は反乱軍の勝利に終わってしまった。
ただし、チョン・スンファの強制連行から韓国軍同士の衝突まで、一連の出来事は大統領である崔圭夏(=チェ・ハンギュ)の許可なく行われたため、自分たちの行動を正当化する必要があった全斗煥は、「事後許可」を得なければならなかった。崔圭夏は、国防長官の同意が必要だと幾度も断ったが、チョン・スンファ連行時の銃撃戦中に驚いて逃げた国防部長官のノ・ジェヒョン(=オ・グクサン)を捕まえた全斗煥は、大統領に圧力を加え、13日未明にようやく許可を得ることに成功。こうして全斗煥ら新軍部=反乱軍は、実質的に国家権力を掌握したのである。
以上が「12・12軍事反乱」の概略である。
実際の歴史が持つ緊迫感も大きいが、史実を忠実に反映しつつ映画的にも完成度の高い作品になっていることがわかるだろう。反乱自体が約9時間というきわめて短い間の出来事のため、フィクションが入る余地などなかったとも言えるし、実名を出すとあまりにリアルで再現ドラマのようになってしまうことを危惧し、名前だけは変えたのかもしれない。
ただしラストシーンだけは史実と異なるフィクションとして加えられた。全斗煥とチャン・テワンは実際には直接対峙せず、チャンは首都警備司令部の執務室で逮捕されているからだ。メインビジュアルとしても使われる2人の対峙は、物語のクライマックスであり、映画として不可欠な場面として機能している。
軍事反乱の中枢「ハナ会」とは
物語の構造自体は、反乱軍と鎮圧軍の対立というシンプルなものであるが、そこに歩兵師団から空挺部隊、憲兵団までさまざまな種類の部隊が登場し、それぞれがまるで将棋の駒のように動くため、韓国軍の体制に馴染みのない日本人観客にはわかりづらく感じられるかもしれない。
だが複雑に見えるプロットも、軍事反乱の中心勢力であった「ハナ会」という存在さえ知っておけば、なぜ全斗煥があれほど権力への欲望をむき出しにしていたのか、チャン・テワンはなぜ全斗煥との闘いを買って出たのかといった、「12・12軍事反乱」の本質を理解することができるのではないかと思う。
ハナ会とは、陸軍士官学校時代から朴正煕を“太陽”と崇め忠誠を誓った、全斗煥を中心とした軍内部の私的組織である。朴正煕は軍事クーデターを起こして権力を手に入れたため、自分も同じようなクーデターで失脚するのではないかと常に軍を警戒していた。そんな朴にとって全のような腹心の存在はさぞ心強かったに違いない。当然、朴はハナ会を優遇し、全は朴の養子ではないかとうわさが広まるほど特別可愛がられた。そんな朴からの寵愛をバックに、全が上官たちに対しても傲慢な振る舞いをしていたことはよく知られている。ハナ会とは、いうならば朴正煕の私的親衛隊のようなものだったのだ。
一方で、非ハナ会の軍人たちにとって、全斗煥は危険極まりない存在だった。中でも鎮圧軍の先鋒に立つチャン・テワンは、軍内部の主流派である陸軍士官学校とは異なる「陸軍総合学校」という出自を持ち、陸軍士官学校出の軍人たちから徹底的に差別されてきたという背景を抱える人物だ(陸軍総合学校は朝鮮戦争勃発後、戦闘に必要な将校を9週間の短期間で養成するために設立された学校で、1952年に廃校。教育期間が短いことを理由に陸軍士官学校出の将校たちに見下されていた)。
劇中でもイ・テシンが出自の違うチョン・ドゥグァンらから冷遇されたことをほのめかす場面がある。このようにクーデターでの反乱軍と鎮圧軍の対立の背景には、ハナ会対非ハナ会の軍人たちが以前から抱えていた感情的な対立が大きく影響していると考えられる。傲慢なハナ会に不満を募らせていたチョン・スンファは、全斗煥とハナ会を牽制するためにチャン・テワンを首都警備司令官に重用し、全にとってチョン・スンファとチャン・テワンは完全に目障りな存在だったわけだ。
このように本作を、ハナ会対非ハナ会の根深い対立関係から探りその構図を浮かび上がらせることで、軍事反乱がハナ会という「朴正煕の亡霊」によって、起こるべくして起こった事態であると理解できるだろう。朴正煕が育てた全斗煥という怪物が増殖して、軍を朴の親衛隊に作り替え勢力を拡大していったのがハナ会であり、韓国軍にとっては百害あって一利なしの存在ではあったが、映画のラストの集合写真が示すように、反乱の成功によりその後10年以上にわたって韓国を牛耳ることになる。
全斗煥、盧泰愚は大統領を歴任し、他の主要メンバーも閣僚、国会議員、軍の要職につき富貴栄達の人生を謳歌することになるのは言うまでもない。その終焉は1993年、韓国初の文民政府である金泳三政権によって解体され、軍から排除されるまで待たなければならなかった。
クーデターに敗れた「鎮圧軍」のその後
では正義として立ち向かいながら反乱軍に敗北した鎮圧軍側の人物たちは、その後どのような道をたどったのだろうか。
首都警備司令官で鎮圧軍の中心であったチャン・テワンは、軍から強制除隊され軟禁状態に置かれた。父親はそのショックが元で亡くなり、ソウル大学の学生だった息子までが原因不明の変死体で発見されるという不運に見舞われる。そうした事情からか、一時期は全斗煥の懐柔を受け入れ国営企業の社長に就いたこともあった。金大中政権下の2000年に政界に入り、与党の国会議員となって12・12軍事反乱の真相究明と鎮圧軍の名誉回復に尽力した。2010年死去。
陸軍参謀総長チョン・スンファは、拷問を受けた後、強制除隊。だが1987年の大統領選挙を前に当時、金泳三が率いていた統一民主党に副総裁として迎えられ、政治家として表舞台に復帰した。金泳三が大統領に当選した1993年には、軍事反乱の首謀者であった全斗煥・盧泰愚らを告訴するなど、反乱軍厳罰と反乱の被害者たちの支援に力を注いだ。2002年死去。
反乱軍との銃撃戦で負傷し逮捕された特殊戦司令官チョン・ビョンジュも、同じく強制除隊された。軍事反乱や新軍部の蛮行を暴露する記者会見を開くなど全斗煥・盧泰愚らとの闘いを続けたが、1988年10月に突然行方不明になり、翌年3月に遺体が発見された。捜査当局は自殺と結論づけたが、不明なところも多く現在も他殺を疑う声が高い。
反乱軍にあらがい、陸軍本部を死守しようとした憲兵監のキム・ジンギは、保安司令部で拷問を受けた後、自ら軍隊を辞めた。1987年にはチョン・ビョンジュとともに全斗煥・盧泰愚らの蛮行を暴露する記者会見を開いた。全・盧から何度も懐柔されたがすべて断り、金泳三政権になってようやく国営企業の理事長の職を受け入れた。1993年には全斗煥を内乱の罪で訴えている。2006年死去。
チョン・ビョンジュの専属副官で、司令官を守るために反乱軍と最後まで応戦して死亡したキム・オラン(=オ・ジノ)は、将校以上の軍人のなかでは反乱軍・鎮圧軍を合わせて唯一の犠牲者である(死亡者は3人。うち2人は一般兵士)。映画では人気スター、チョン・ヘインが演じ短いながら強烈な印象を残した。
だがキム・オランは、殺された直後、特殊戦司令部の裏山に埋葬されるなど、死後も反乱軍による侮辱を受けなければならなかった(後に国立墓地に安置)。だが、不幸は彼だけではなかった。残されたキム・オランの妻は、夫の死によるショックで失明。1990年に全斗煥・盧泰愚らを相手に訴訟を提起したが保留にされると、翌年、変死体で発見された。捜査当局は事故死と結論づけて捜査を終了したが、真相はいまだ不明のままである。
鎮圧軍の「その後」は疑問死も多く、反乱軍が権力の座に居座り続けている間、いかに彼らが不幸に見舞わされていたかがうかがえる。時代は大きく変わり、「12・12軍事反乱」に対する現在の歴史的な評価は、「鎮圧軍が正しく、本当の勝利者である」というものだ。だが、多くの疑問死に対する真相究明はまだ果たされていない。
さて、韓国における真の「ソウルの春」の到来は、1987年の6月闘争による民主化への萌芽からさらに90年代まで待つこととなる。それぞれの思惑を持つ勢力が一斉にぶつかり合った歴史とその映画化である本作は、韓国版『日本のいちばん長い日』(岡本喜八監督、1967)と呼んでもいいだろう。歴史の希望と絶望が交差する瞬間を捉えたきわめて重要な映画である。