最近、韓国で一人の若者の暴露が世間の注目を集めた。「光州事件の虐殺者である祖父に代わって謝罪したい」とSNSを通して発信したその若者とは、全斗煥(チョン・ドファン)元大統領の孫、チョン・ウウォンであった。
彼はさらに「家族たちは出所不明なカネで豪華な生活を送っている」とも明かし、全斗煥元大統領が死ぬまで貫いた「光州事件に責任はない」「カネは29万ウォンしか持っていない」という二つの嘘を身内から見事に暴いてみせたのである。
もちろん、全斗煥元大統領こそが光州事件の元凶であり、在任中の不正蓄財により莫大なカネを隠し持っていたことは、韓国国民なら誰もが知っていることだが、当の本人から謝罪や反省の言葉を聞くことは一度もなく、否定一点張りのまま墓場に行かれてしまった国民にとって、ウウォンの言葉は幾分かの溜飲を下げてくれるものだった。
光州事件の犠牲者や遺族らは「勇気ある行動に感謝する」と彼の謝罪を受け入れ、光州を訪れて犠牲者が眠る「5・18民主墓地」を参拝したウウォンを温かく迎え入れた。世間では、ウウォンの麻薬依存症の前歴や親から勘当された事実などにも注目が集まったが、そこには確かに、韓国における民主化の象徴的な歴史が、「加害者も抱きしめる」ことで和解という前進を見せる姿があった。
盧泰愚時代を扱った数少ないエンタメ作品
ところが、実はウウォンより先に光州での虐殺に対して謝罪をした元大統領の子孫が存在する。盧泰愚(ノ・テウ)氏の息子、ノ・ジェホンだ。ジェホンは2019年、当時寝たきり状態になっていた父の代わりに事件への関与を認め、何度も光州を訪れては謝罪と参拝を繰り返している。
考えてみれば、盧泰愚氏も朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の暗殺後、全斗煥氏とともにクーデターを起こし、光州事件を踏み台にして権力を握った新軍部の核心メンバーであり、けっしてその責任が軽いわけではない。ただ、クーデター後に独裁者として君臨した全斗煥元大統領の悪名があまりにも高すぎて、その陰に隠れて存在感が薄まってしまっただけなのだ。
1987年、国民が民主化闘争で大統領直接選挙を勝ち取ったにもかかわらず、野党の分裂により全斗煥元大統領の最側近だった盧泰愚氏が大統領になれてしまったという背景も含め、巷から「5.5共和国」※1と揶揄された盧泰愚政権は、なんとも中途半端な時代だった。それゆえか、映画やドラマで盧泰愚政権に触れている作品は、朴正煕や全斗煥の両元大統領に比べて圧倒的に少なく、ほとんど皆無に近いように思う。
そんななかで、盧泰愚時代を背景にした『悪いやつら』(ユン・ジョンビン監督、2012)は貴重であると言えよう。物語上で主人公たちの運命を大きく変えてしまう転機として描かれる、盧泰愚政権の目玉政策の一つ「범죄와의 전쟁」(犯罪との戦争)は、本作の原題にもなっている。
「カンペ」たちは軍部独裁打倒を叫んだか?
本作の主人公たちは暴力団の組織員、すなわち「깡패(カンペ、ヤクザ)」である。
1980年代、民主化闘争という物語が韓国全土を覆っていた時代に、果たしてカンペたちはどこで何をしていただろうか?民主化運動を妨害し、集会やデモに乱入して暴力を振るう「悪役(国家権力の代わりに)」を任されることも多かったカンペたちが、軍部独裁打倒を叫ぶ「国民」になり得ただろうか?
本作はそんな素朴な疑問に対するひとつの想像力の提示とも言える。そして、カンペたちがいかにして韓国現代史を生きてきたか、その道のりに思いを巡らすきっかけにもなっている。
そもそも、「犯罪との戦争」と声高に宣言されたものの、盧泰愚政権による暴力団一掃作戦は何ら新しくもない政策であった。なぜなら、カンペたちの排除は独裁を正当化するための見せつけとして、軍事独裁政権の「定番」ともいうべきやり方だったからだ。
たとえば、軍事クーデターを起こした後、朴正煕元大統領は「革命裁判」という名の下にカンペたちを処刑した。「私はカンペです。国民の審判を受けます。」と書かれた横断幕を手に、空挺部隊に監視されながらソウル市内を練り歩くカンペたちの写真は、クーデターの正しさをアピールする絶好の機会となった。
また全斗煥時代の悪名高い「三青(サムチョン)教育隊」は、表向きはカンペの一掃を謳っていたが、実際は軍事独裁に抗う民主化勢力を弾圧するための狡猾な手段だったことが後に明らかになった。
盧泰愚政権の「犯罪との戦争」も当然これらの延長線上に位置づけられるが、では何のために「カンペを一掃する」と見せつける必要があったのだろうか。その真の目的は一体何だったのか。
背景にあるのは、1977年に朴正煕元大統領が軍事情報の収集や捜査を目的として作った軍の捜査情報機関である「国軍保安司令部(保安司)」による民間人への不法査察の発覚である。この機関が実際には、政敵や大学生、運動家たちを監視する、軍のKCIAのような組織であったことが、1990年、機密文書を持って脱走した兵士による記者会見で暴露された。
査察の対象には、金大中(キム・デジュン)氏や金泳三(キム・ヨンサム)氏を含む大物政治家から学生運動家、労働団体の組合員、そして宗教指導者にいたるまで、社会の各層にわたって1600人以上の人物が含まれていた。当然、軍事とは無関係の民間人に対する査察は法に反するものであり、1987年6月闘争に屈服して「民主化宣言」を表明し、「民主化にまい進」云々と口にしていた盧泰愚の軍事独裁的な体質がさらけ出されることとなった。その意味でも「5.5共和国」とは上手く名付けたものだと思う。
このことによって査察の対象となった当事者はもちろん、国民の闘争心に火がつき、盧泰愚政権の退陣と保安司の解散を要求する集会やデモが一気に広がった。保安司を解散し、国防大臣や保安司令官を解任しても国民の反発は収まらず、危機感を募らせた政権が苦肉の策として打ち出したのが「犯罪との戦争」だった。
コネ、犯罪…生き延びるための韓国人の自画像か
政権の退陣を求める大規模な集会がソウルで行われた1990年10月13日と同じ日に、盧泰愚元大統領はテレビで生中継させてまで「犯罪との戦争」を宣言した。その姿は逆説的に、不法査察から国民の目を逸らそうという政権の真の目的を物語っていると言えるだろう。
こうしてその日から、政権に追従する検察や警察も、まるでカンペしか目に入らないと言わんばかりに、カンペを中心とした犯罪者検挙に躍起になって走り回った。一部では「ノルマ」を課せられ、小学生までカンペに仕立てて逮捕するといった冗談のような事態も起きた。
理由を問わずに次から次へとカンペたちが逮捕され、連行されるその姿が連日のようにテレビで報道され新聞の一面を飾り、次第に不法査察は国民の脳裏から薄れていったのである。
「やくざ」という存在は、国家に都合よく利用されることもあれば排除の対象にもなる。韓国のカンペたちもまた、権力の手先となって国民たちに暴力を振るったかと思えば、上述したようにスケープゴートにされてきた。
警察や検察にコネを作り、それを武器にして犯罪に手を染めていく恐いもの知らずのイクヒョンが、「犯罪との戦争」宣布後にヒョンベを裏切って没落していく姿は、そんな韓国カンペたちの国家権力との数奇な運命の具現化とも言えるだろう。また、元は税関職員からカンペへと成りあがっていったイクヒョンの人生は、軍事独裁のなかで生き延びるためにもがいていた多くの韓国人の自画像でもあるように見える。
息子が検事になることだけを最終目標とするイクヒョンは、出世すれば何もかも「報われる」という韓国の出世至上主義に基づき、権力と結託すれば犯罪も犯罪でなくなるからと厭わずに罪を犯す。
彼がどうしようもない人間であることに異論はないしその生き方は極端ではあるが、私にはイクヒョンが、歪んだ韓国人の自画像の総体的な象徴であるように見えて仕方がない。
そうなると、日本語タイトルである「悪いやつら」とは誰を指すのか。本当の意味での、究極的に「悪いやつら」とは…なかなかに意味深な邦題である。
現尹政権は「麻薬との戦争」 行き過ぎた捜査の犠牲者が
最後に、では尹錫悦(ユン・ソンニョル)現政権の場合はどうだろうか?
尹錫悦大統領が掲げ、そして躍起になっているのが、「마약과의 전쟁(麻薬との戦争)」である。そう、この呼び名が盧泰愚元大統領の「犯罪との戦争」に基づいていることは言うまでもない。
もともと、日本でも記憶に新しい梨泰院での惨事が起こった背景には、尹政権が人員を麻薬捜査に割き過ぎたために、梨泰院での警備体制が不十分になったとも言われているが、梨泰院の事件から1周年を迎え、謝罪もせず責任もとらない政権に対する批判から国民の目を逸らすために、尹錫悦大統領は「麻薬との戦争」をさらに暴走させた。
そうして行き過ぎた捜査を繰り返した結果、韓国はまた一人、魅力溢れる俳優を失うことになってしまった※2。年の瀬に飛び込んできたこのニュースは、国家権力とメディアのずぶずぶの関係が今の韓国社会を総体的に悪化させていることを示す何よりの証拠だ。
「検察独裁」と批判される尹政権の本質をまざまざと見せつけられ、どうやら苦々しい思いで新年を迎えることになりそうだ。