チョン・ジェウン監督は、長編デビュー作となった『子猫をお願い』(2001)が国際的に高く評価され、今や韓国を代表する女優として国際的な活躍を見せるペ・ドゥナの初期代表作のひとつともなった。学歴のない女性たちが、社会で直面する困難と友情を瑞々しく描き、自身も新進女性監督として活躍を期待されたものの、その後は興行的な成功に恵まれなかった苦労人である。
2018年には久々の劇映画で、中山美穂を主演に日本との合作『蝶の眠り』を監督した。チョン監督は2010年代に建築をテーマとしたドキュメンタリー作品を数作手がけており、その経験と「猫」への愛情が結びついたのが本作と言えるだろうか。
巨大団地の再開発 250匹の野良猫たちの引っ越し先探し
1979年にソウルの遁村洞(トゥンチョンドン)に建てられた巨大団地の再開発が決まり、住民が立ち退いて廃墟化していくなか、団地内に住み着いた約250匹もの野良猫たちの行く末を気にかける住人たちを中心に有志で団体を作る。
長年、住民たちに餌付けされ可愛がられ、これから大規模な工事が始まることも知らずに居心地の良い団地に居座る野良猫たちが、なんとか安全にこの場所から離れられるようにと、“猫ママ”たちは慎重に計画を進め、猫を保護し、里親に出したり別の場所に移したりと、猫に合った引越し先を探していく。
カメラは猫たちの様々な表情を映し、猫を“ご近所さん”と位置付け、あくまで対等な立場から猫たちを見守る彼女たちの活動を切り取っている。その過程で、都市の生活における様々な課題が透けてはくるものの、映画は明確に猫のその後や活動の結末を提示することはない。
そこで今回のコラムでは、映画の舞台でありながらもあくまで背景として映される「団地」に視点を向け、韓国における団地の歴史と、それがどのように社会と関わってきたかについて紹介しよう。
まず呼び名の違いを確認しておきたいのだが、日本での「マンション」にあたるのが、韓国での「アパートメント(アパート)」で、アパートメントが何棟も立ち並び、ひとつのコミュニティとして完成されたものが「団地」となる。
ちなみに日本でいう「アパート」は、韓国では「連立住宅」「多世帯住宅」と呼ばれる4~5階建ての住居用建物(~マンションと名付けられることも多い)に近い。
軍隊式に大量建設した朴政権 蔓延した手抜き工事
韓国で初めて作られた団地は、1962年、ソウルの漢江沿いに建てられた「麻浦(マポ)アパート団地」である。
1961年に軍事クーデターで政権を握った朴正煕(パク・チョンヒ)軍事独裁政権は、「祖国の近代化」をスローガンに都市開発を含む「経済開発5カ年計画」をスタートさせ、その幕開けを世に知らしめる象徴となった。
竣工式に出席した朴正煕は、“革命”という言葉を連発しながら、麻浦アパート団地がいかに“現代的な生活への革命”であるかと、その国家的意義を強調した。朴正煕は同時に“住宅難の解消”も謳ったが、実際には入居費用が高額過ぎて企業の社長や芸能人、政府高官や外国人といった上流階級の人しか住むことはできず、住宅難に苦しむ庶民にとっては高嶺の花だったという。
商店街や公園、幼稚園などの共同施設に管理事務所も備えた、現在の団地の原型となった麻浦アパート団地は、数年前に再開発され、今は高層アパートが密集する団地へと姿を変えている。
1960年代初頭のソウルは、いまだ朝鮮戦争からの復興過程にある一方で人口集中が始まり、深刻な住宅不足の問題を抱えていた。
バラックの판잣집(パンジャジップ)や、貧民街の산동네(サンドンネ)がいたるところに増殖し、人口過密による失業や貧困、衛生など様々な社会問題をも生み出した。
「貧民街の再開発と市民アパートの大量建設」が何よりの急務であることは誰の目にも明らかであるなか、朴政権はのちに「빨리빨리(パリパリ=早く早く)主義」と批判される軍隊式の手法で、短期間で大量のアパート建設に乗り出していった。
だがその過程で起きたのは、バラックの住人たちを強制的に立ち退かせる貧困層の弾圧であり、建築資材の横流し、建築費用の横領といった不正の蔓延であり、手抜き工事による練炭ガス中毒の多発であった。
朴正煕が「祖国の近代化」を口実に行った開発独裁は、政治弾圧だろうが政経癒着だろうが何をやっても構わないという姿勢だったため、政権の腐敗ぶりが早速露わになったと言える。
なかでも、1970年4月に起こった「臥牛(ワウ)アパート崩壊事件」は、完成したばかりのアパートが砂の城のように崩れ落ちるショッキングな事件として、韓国現代史に汚点を残した。死者33名・負傷者38名という住人の被害を出したばかりか、周辺にあったバラックの住人までもが下敷きになり、死傷者が出る大惨事となったのである。
この崩壊事故は韓国社会を震え上がらせ、政府への不信感が高まる結果となった。
「頑丈で大規模な団地建設」への政策変更を余儀なくされた朴政権は、71年の東部二村洞(トンブイチョンドン)団地を皮切りに、70年代を通して“富裕層の街”と言われる江南(カンナム)地域を中心に多くの団地を建設していった。
だが「祖国の近代化」が意味していたのは、貧民街の一掃によるソウルの美化であり、団地に入居できるのは経済力のある中産階級以上のみで、結局貧困層は救われないまま排除され続けるという負の構図が出来上がっていったのだった。
不動産投機師たちの違法行為と地価の暴騰 強制移住も
この構図についてもう少し詳しく説明すると、以下のようになる。
貧民街の開発が決まると、団地への入居優先権は一応、立ち退かなければならない住人たちに与えられる。しかし入居するためには大金が必要なため、優先権を持ちつつも実際には入居できない彼らの事情に不動産投機師がつけこみ、彼らから安い値段で入居優先権を買い漁っては、高い値段で金持ちに売りつける。
入居価格は高騰、団地建設に伴って周辺の地価は暴騰し、権利を手放した貧しい住人たちはますます排除される一方、投機師たちは彼らの違法行為に見て見ぬふりをし、便宜を図った政権に利益を流していくのである。
投機師の存在は社会問題にもなり、そのなかに富裕層の女性が多いと言われたことから「복부인(ポクブイン、福夫人)」などと呼ばれたが、この呼び名は政経癒着の不正行為を女性になすりつけて隠蔽しようとした政権側の政治工作の産物だという意見も少なくない。
また、排除された住人たちが政府への不満を爆発させ、一部が暴徒化した「京畿道広州(キョンギド・クァンジュ)大団地事件」(71)は、韓国版アパルトヘイトとも言われ、団地建設がもたらす分断の構図が浮き彫りになった。
1979年の朴正煕暗殺後の混乱のなか、再びクーデターで政権を掌握した全斗煥(チョン・ドファン)率いる新たな軍部の登場により、こうした団地を取り巻く状況はさらにエスカレートしていく事になる。
86年のソウル・アジア競技大会と88年のソウルオリンピックの誘致に成功した全は、ソウルの美化と団地建設のさらなる拡大を掲げたのだ。
この時期、ソウルの木洞(モクドン)や上溪洞(サンゲドン)に新市街地が計画され、バラックの住人たちが3年間にわたり抵抗を試みたものの闘いも空しく地方に強制移住させられた出来事は、ドキュメンタリー映画『상계동 올림픽(サンゲドン・オリンピック)』(キム・ドンウォン、88)に詳しい。
サンゲドンの住人たちの闘いを収めたこの映画には、全政権やそれと結託した開発業者の暴力性が余すところなく記録されており、全斗煥が朴正煕の開発独裁を受け継いで、政経癒着と貧民層の排除という構図を再び反復したことがよくわかる。
軍事独裁政権下での政経癒着はその後、映画『はちどり』(キム・ボラ、2018)でも描かれる聖水(ソンス)大橋崩壊(94年)や、翌年の三富(サンプン)デパート崩壊によって、その手抜き工事ぶりが国民の知るところとなった。
民主化後に高級ブランド団地が林立 先の見えない猫と人
30年以上続いた軍事独裁がようやく終わりを告げ、民主化が進んだ1990年代には、立ち退きの被害者を減らし、貧困層の住宅問題を解決するための「永久賃貸アパート団地」が登場する。
文字通り、安い賃料で入居できる団地を意味しているが、その一方で築年数が経った古い団地の再開発も活発化していった。民間の建築会社に委託された再開発によって、団地のブランド化、高級化が進み、高級ブランド団地と賃貸団地の間の格差が社会問題となっていく。
高級団地の住民の賃貸団地の住民に対する差別は、団地内で分譲と賃貸を視覚的に区別するための壁の色分けや、駐車場や公園といった施設の使用者の分離、学校でのいじめ、その結果としての団地の種類に基づく学校のクラス分けと、枚挙にいとまがない。
賃貸団地に住む住民の8割が高級団地の住民に差別された経験があるとの調査結果もあり、賃貸団地の住人の自殺率がバラックの住人のそれを上回っているとの報告もある。
こうした差別と分断の図式は、近年ではテレビドラマで描かれる機会も多い。
Netflixドラマ『今、私たちの学校は』(2022)では、遅刻しそうになった高校生たちが高級アパートの敷地を通ろうとする場面で、アパートの門に「賃貸アパートの学生は通り抜け禁止」と書かれた注意書きが貼られていた。日本語字幕にすら反映されないこのさりげない描写は、ドラマ全体を貫く学生間のいじめといった関係性にも大きく影響している。
再開発に再開発が続く現在、韓国では住宅の60%以上がアパート団地だと言われている。
「祖国の近代化」という独裁政権のスローガンの下で始まった団地建設は、経済成長を可視化し、国民に成長の実感を与える新しい住居の形として、生活環境を大きく改善してきたことは否めない。だがそれは、貧民層という経済的弱者を抑圧し、排除する形で推し進められ、拡大してきたものである。
そして今では、団地によって格差が生じ、その格差は社会階層間のさらなる差別を生み出している。言うならば、今の韓国では団地がヒエラルキーを決定し、経済的弱者を排除しているのだ。
独裁時代は終わっても抑圧と排除の図式は変わっていない状況は、韓国社会における団地が「独裁(政権)の団地から団地の独裁へ」と変化していったと考えられるのではないだろうか。
建設からちょうど40年が経って再開発された遁村洞(トゥンチョンドン)団地は、「オリンピックパークフォレオン」という名の高層&高級アパート団地へと変貌を遂げ、販売が始まった段階である。
本作は猫たちの引越しに焦点を当てているが、かつての住人たちのうち、一体どれだけの人が新しいアパートに住めるというのだろうか。
先の見えない猫たちの姿に、人間たちがオーバーラップしてしまう。我が道をゆく猫たちの表情に、つい顔がほころんでしまう映画だが、本作の真の狙いは、猫の姿に透けて見える社会の厳しい現実を伝えることなのかもしれない。