「新型コロナウイルスの影響で商売にならない。利益を確保しようと、しょうがなく価格を少し上げました。常連さんが来てくれていなかったら、すでに潰れていますよ」
4月のある日。ずいぶん久しぶりに、ソウルの繁華街・明洞(ミョンドン)にある行きつけの小さな食堂「明花堂」を尋ねると、主人はこうため息をついた。
私にとって人生最高のトッポッキと出合ったのは、40年余りの長い歴史を持つこの名店だった。トッポッキは、棒状の餅を甘辛いタレで炒めた韓国定番の屋台料理。日本の韓国料理店でも食べた方は多いかもしれない。コロナの影響で商売がうまくいかず価格を上げたといっても、ここの看板メニューであるトッポッキは一皿わずか3800ウォン(約370円)だ。
お財布にあまりお金が入っていない若者たちにとって特に人気が高く、いつでも列に並んでいたほどだが、今は店内に客はまばらで、ちょっぴり寂しい感じだった。食堂の両側のお店は閉店し、インテリアが撤去されてがらんとした店内がガラス越しに見える。
ソウルの中心部に位置する明洞。日本や中国などたくさんの外国人観光客にとっては、「Kビューティー」と呼ばれる韓国の化粧品が一度に買いそろえられることで有名だ。
新型コロナウイルスの流行前は、通りを歩いてみると、あちこちから中国語、日本語、対語などの外国語で客を呼び込む明るく大きな声がはじけ、通りの両側にずらっと並ぶ化粧品ブランドのお店からは、K-POPの軽快なリズムが流れていた場所だった。
でも、今は多くのお店のガラスの扉に「賃貸」の貼り紙がある。かろうじて生き残って営業をしている店も、午前中は開店せず、正午になってからオープンしている。どのみち外国人観光客はいないし、人件費削減のためにも営業時間を短縮しているようだ。
昼下がり。通りを歩く人たちの多くが首から社員証をぶら下げている。買い物客というより、近くのオフィスからランチを食べに三々五々、出て来た人たちがほとんどだ。
「前は一カ月で1億ウォン(約980万円)の売上高があったけど、今は2千万ウォンにもならない。明洞にはうちのブランドのお店が三つあって、その一つは建物の1階から3階まで全体で営業していました。でも、今は閉店して、この一番小さなお店だけを残して営業しています」
ある化粧品ブランドのお店に入って様子を聞くと、30代の女性店員はこう話した。この店員によると、明洞では全体の客のうち8割が外国人観光客と圧倒的な存在感だったという。だから新型コロナウイルスで外国からの流入が断たれたことで、その打撃はどこよりも大きかった。そういえば、四つ角に面した化粧品ブランドのお店の多くが閉店していた。「本来は良い場所ですから家賃が高い。その負担に耐えられないのです」と、この店員は、半ばあきらめたように淡々と語った。
韓国メディアによると、明洞の卸売・小売の店舗数は新型コロナ流行前の2019年6月は611店舗だったが、これが2021年1月は395店舗に激減した。特に化粧品のお店の減少率は52%に達した。半分以上が店を閉めたことになる。
お店ばかりではない。明洞は、外国人観光客の宿泊で商売が成り立っていたホテルも多く立地していたが、その多くが休業している。訪韓した外国人や国外出張から帰ってきた韓国人らを「隔離」するために使われるホテルが、なんとかその命脈を保っている。
ホテル建物の1階に入居して宝石を売っている70代の男性は「明洞で商売を始めて30年以上になるが、ここまで人が少なく、閉店する店が目立つ光景は初めて」と語る。「1997年の経済危機の際も売り上げは減少したが、閉店が相次ぐことはなかった。今の姿を一言で表せば『ゴーストタウン』がぴったりだ」とため息をついた。
明洞は韓国の人たちにとって、文化や芸術、買い物の街として愛されてきた。1980年代までの民主化運動の時代は、学生たちを近くの聖堂がかくまったため、民主化運動の聖地とも呼ばれた。
私にとっても、とても思い出深い場所だ。「今日の夜は外食にしよう。子どもたちを連れて明洞においで」。父が会社からの帰り道、家に電話をかけてくると、母と姉、弟と一緒にうきうきした気分で出かけたことは、まるで昨日の出来事のように鮮明な記憶として残る。
家族でよく行ったのは、その名も「営養センター」というお店だった。鶏をまるごと一匹、丁寧に焼き上げた「トンタク」という料理のお店。1960年にオープンし、母が私を妊娠していた時に、よく食べていたというから、私にとっても好物になったのだろうか。ここで食事を終えると、歩きながら、かわいい雑貨や洋服、お菓子の露店などを見物しながら、迷子になってしまったことも忘れられない思い出だ。
ふと、新型コロナウイルスで、もしかしてこの店も閉店してしまったのでは、という思いにかられ、急いで足を向けた。幸い、まだ営業しており、多くの客がいた。
明洞の歴史のある名店や私の行きつけのお店の「存在」を確認しようと、今日は1万歩以上も歩いたようだ。新型コロナウイルスの影響で運動不足になりがちなので、ちょうどいい。
明洞から自宅に帰る途中、学生時代によく明洞で落ち合った親友のことを思い出し、元気かどうか確かめたくて電話をかけた。そして、彼女が好きだった冷麺のお店も、まだちゃんと元気に営業していたことを伝えた。
親友は「そうなの? 私も少し前に家族と行ってみたよ。店長が、とてもつらそうだった。お店がずっとずっと営業を続けられるよう、大盛りを注文したの」
4月の夕方。日は長くなったが、どこか寂しげな明洞の通り。先ほどの化粧品店の女性店員の言葉が、さっきから頭から離れない。「どうしようもありません。ただ、ただ、耐えるしかありません」