日本のマンションに住むようになってから、まず近所で探したのはスーパーマーケットだった。料理に関心があるからでもあるが、現地の人々の暮らしの様子を生き生きと感じることができる場所として、スーパーほど良い現場はない。
私は出張や旅行で海外に出かけるときも、ホテル近くのスーパーに立ち寄るのが大好きだ。外国のレストランで料理を食べるとき、生まれて初めて接する野菜や調味料などの味や食感を感じ、驚きに包まれるときがある。どんな食材なのだろうかと好奇心が沸き、その足でスーパーに立ち寄って、その食材を見つけたときもあった。他の人は知らない自分だけの秘密に出合った喜びというか、その国について親しみがわいてくる瞬間でもある。
同じような経験を、日本で暮らし始めて体験した。今回は「しそ」だった。その姿や形は韓国料理で肉などと巻いて食べる「エゴマの葉」とそっくりだが、味と香りはまったく違う。
私が初めてしそを食べたのは、刺し身と一緒に出てきたときだった。刺し身の下にあるしその葉を見て、私は日本人の知人に「これ飾りなの?」と聞いた。知人は、香りが嫌いでないなら刺し身と一緒に食べるとおいしい、という。
しそを口に入れてちょっとかんでみると、すうっと立ち上がるような爽やかな香りが鼻の奥まで広がった。香ばしい韓国のエゴマの葉とはまた違う。刺し身と一緒に食べると、魚の新鮮さをもっと強く感じることができた。
見た目はほとんど同じなのに、どうしてこんなにも味と香りが違うのだろう。日本人と韓国人は、世界からみれば見分けがつかないほど外見は似ているが、性格や文化の違いははっきりしている。しそとエゴマの葉も、そんな関係なのだろうか。
韓国のエゴマの葉は、韓国式の刺し身(フェ)に合うし、サムギョプサル(豚肉ばら焼き肉)などの肉料理にも欠かすことのできない食材だ。韓国の焼き肉屋に行くと、テーブルに必ずサンチュと一緒に相棒のように並んでいるのがエゴマの葉だ。
今回、日本のスーパーに行ってエゴマの葉とサンチュが野菜コーナーに並んでいるのを見つけた。不思議だったのは、エゴマの葉の包装には日本語で「エゴマの葉」と書いてあったが、サンチュは韓国語そのままに「サンチュ」と包装に表記してあったことだ。
日本人の夫は「韓国料理は日本の家庭にも広まっているから、サンチュと書いても分かる人が多いんだよ。韓国のドラマが人気になって、ドラマの中によく登場するサムギョプサルなどと一緒に『有名』になったんじゃないかな」と話していた。
スーパーのキムチのコーナーをみても、種類がとても多様だった。他にもラーメンなど多くの韓国の加工食品を見つけることができた。
韓国でも、すでにかなり前から日本の料理について人々の関心が高まっている。韓国のスーパーに行けば、例えば醬油コーナーには韓国の醬油とともに日本の醬油が並んでいる。特に「日本食材コーナー」という場所を作る必要もないほど、暮らしの中に溶け込んでいるといっていい。
日本に引っ越す前、韓国で知人たちにあいさつ回りをしながら、福岡に行くことになったことを告げると、相手は必ずといっていいほど「とんこつラーメンが懐かしい」「イカの刺し身が本当においしかった」などなど、話題の8割ほどは食べ物のことだった。
そして今度は福岡で日本の人たちにソウルから来ましたと挨拶をすると、「プデチゲが食べたい」「今度、サムギョプサルで歓迎会をしましょう」などなど、こちらも食べ物の話題で歓迎してくれた。
新型コロナウイルス流行前の2018年、日韓間の人の往来は史上初めて1000万人を突破した。特に日本を訪ねる韓国人は753万9000人と過去最高を記録した。新型コロナの影響で相互の交流はほとんど途絶えていたが、最近、状況が落ち着いてきたことを受けて、韓国と日本の双方で、観光目的の訪問が始まった。
異なる存在との交流において、「経験」ほど大事なものはないと思う。
私たちは、互いに相手の国のドラマを見て、音楽を聴いて、楽しい経験を共有している。そして相手の国の料理を通して、味についても互いに知るようになった。
ドラマや歌は、それぞれ国ごとの固有の個性があり、混ざり合うのは簡単でないかもしれない。一方、料理はといえば、レシピさえあれば相手の国の食材を使っても、自分の料理としてしっかり受け止めることができる。
私は韓国にいた時、週末の昼食には、日本の「つゆ」と韓国のゴマ油で「ビビンククス」(ゴマ油であえたそうめん)をよく作った。
料理が上手な私の母親は、いつもこんなことを言っていた。「難しい話があるときは、おいしい料理を前にして話せば、意外にうまく解決するんだよ」
韓国と日本が新しい対話の場を設けようとするとき、できるなら始めは双方の「老舗」の料理店で行ったらどうだろうか。お互いの味に共感し、おいしく食べることは、相手の話に少しでも耳を傾けることにつながるのだと思う。