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日韓関係の鍵握る? 知日派・李洛淵首相のさらなる東京ミッション

東亜日報より
韓国の李洛淵首相(左)との会談に臨む安倍晋三首相=2019年10月24日午前、首相官邸、岩下毅撮影

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった」

日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した川端康成の小説「雪国」の有名な書き出しだ。李洛淵(イ・ナギョン)首相が繊細な文章を書くことの重要性を周りに話す時、よく引用する文章だ。主張せず、自然に入ってくるような分かりやすい描写という意味合いだ。そのためか、李首相がもともと日本通だと思っている人はかなり多い。しかしながら、実際は違う。

李首相が日本に詳しくなるのは30年前、記者時代に東京特派員の内定を受けてからだ。その頃李首相は日本語をほとんど話せなかった。KATUSA(在韓米軍指揮下に所属する韓国陸軍兵)として兵役を経験し、英語の方が得意だった。必要に迫られ、李首相は語学学校で日本語の授業の初級と上級を同時に受講した。文法を学んだと思ったらフリートーキングに参加するような状態だった。刺激を受けるためだったという。初心者レベルから日本語と格闘して6ヶ月。日本の国民的小説家、夏目漱石の小説「吾輩は猫である」「こころ」などを読めるようになった。

ところが、東京は語学学校とは違った。赴任して間もなく、居酒屋に行ってみたらメニューがよく分からない。書いてある言葉は分かっても、メニューの特徴やお酒との相性などはよく分からない。知人に居酒屋で知っておくべきリストをファックスで送ってもらい、まるまる暗記し始めた。「一人前」など食事の場で当たり前になっている日本の文化も知った。少したつと、何かの集まりがあれば、李首相が注文を担当するようになったという。

李首相は政治家になっても、時々、東京特派員のようだった。故盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領が民主党の大統領候補だった2002年11月ごろ。彼のスポークスマンだった李首相は、盧元大統領と、当時、国民統合21の大統領選候補だった鄭夢準(チョン・モンジュン)との候補者一本化について取材に来た日本の記者が韓国語で質問したのに対し、日本語で返答した。日本の記者は「韓国語分かります」と言ったが、李首相はそのまま日本語で話した。結局日本語の対話となった。横にいた筆者(私)は、この場面を見守りながら、日本語を話せるという自己顕示というよりも、自身の努力で得た知日派のブランドを維持したいという切実さを感じた。最近、李首相が日本の関係者と話す時に日本語で話したと強調するのも、この過去の場面とオーバーラップする。李首相は、あえてカテゴリー化すれば、生まれながらの「サラブレッドの知日派」ではなく、「努力型の知日派」というところか。

李首相が日本を訪れ、天皇陛下の即位の礼に参列して安倍晋三首相と会うことが決まった後、様々な予測が出てきた。日韓首脳会談の土台を築けるのではという期待感もあれば、これ以上の関係悪化を止める程度の状況管理にとどまるだろうという見方もある。

しかしながら、これとは別に李総理にはさらなるミッションがあると考える。文在寅政権の中にも、30年間「戦闘的」に日本を知り、経験しようとした知日派がいた、というメッセージを日本の人たちに伝えることだ。これは、今すぐに成果を出すこと以上に重要なことだ。

日韓の葛藤がなぜここまで深刻な事態になったのか。以前とはあまりにも変わってしまった安倍政権の日本がまず問題なのだろうが、文在寅政権も、日本の内情をよく知る人物が対日問題に取り組んでこなかった。知日派の李首相が、昨年10月の大法院(最高裁判所)の元徴用工判決以降、対日問題の水面上に登場するまでに1年かかったというのが現実だ。日本は自分たちをよく知る人物を送ってこない文在寅大統領をそれだけ冷たい目線で見ていただろう。これは米韓同盟の問題が出てくるたびに「文在寅政権に米国をよく知る人物はいないのか」という質問が出るのと同じ脈絡だ。外交も結局は人がすることなのだ。

(2019年10月22日 イ・スンホン政治部長)

(翻訳・成川彩)