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関係改善に意欲、しかし政権末期に竹島上陸 いま思い出される、李明博氏という大統領

揺れる世界 日本の針路
2011年、京都迎賓館の中庭を散策する野田佳彦首相と韓国の李明博大統領
京都迎賓館の中庭を散策する野田佳彦首相(左から2人目)と韓国の李明博大統領(同3人目、いずれも当時)=2011年12月18日、京都市上京区、代表撮影

李東官氏は就任直後の李明博大統領について「現在と同じように、進歩(革新)の盧武鉉政権が日本と摩擦を起こした後を引き継いだこともあり、日本との関係を重視していた」と語る。李明博氏は就任直後から、米韓同盟強化や日韓関係改善、日米韓協力を訴えた。現在の尹錫悦氏とそっくりだ。「李明博大統領は、過去の問題で感情的な摩擦を引き起こすのは賢明ではないと考えていた。実用外交という点で尹錫悦氏と同じ考え方だった」

尹氏は2月3日の討論会で、大統領就任後にはバイデン米大統領、岸田首相の順に会談する考えを示した。李明博氏も08年4月に訪米し、帰路の途中で日本を訪れた。李東官氏は「当時、5月に訪中する計画が浮上していた。中国より先に日本に行くべきだという話になり、4月の訪日に結びついた」と語る。

ただ、竹島の領有権を巡って両国関係は停滞。日本側は09年ごろから李明博大統領の国賓としての訪日を要請したが、進展がみられなかった。そして日韓関係は11年12月、京都で行われた野田佳彦首相との首脳会談で一気に暗転した。李東官氏によれば、伏線は同年8月、韓国政府が慰安婦問題解決のために具体的な努力を怠っているとした韓国憲法裁判所の決定だった。李氏は「韓国大統領は憲法を順守する義務を負っている。問題解決に乗り出さないわけにはいかなかった」と語る。

李明博大統領は京都会談で慰安婦問題に触れて「実務的な発想よりも、大きな次元の政治的決断を期待する」と語った。野田首相は「我が国の法的立場は決まっている」と反論した。そして、会談直前にソウルの日本大使館近くに設置された慰安婦を象徴する少女像の早期撤去を求めた。

当時の関係者によれば、野田首相の発言を聞いていた李大統領の顔色が変わった。韓国側は当時、李氏が「誠意ある措置がなければ(元慰安婦の)おばあさんたちが亡くなるたびに第2、第3の像が建つだろう」と語ったと説明したが、実際は「像が千体も建つかもしれない」といった激しい内容だったという。

2011年、京都での首脳会談のあと、竜安寺を視察する野田首相と韓国の李明博大統領
京都での首脳会談のあと、竜安寺を視察する野田首相(左)と韓国の李明博大統領(いずれも当時)=2011年12月18日、代表撮影

こうした感情のもつれについて、李東官氏は「両首脳の間の信頼関係や、問題解決に向けた根回しが不足していた」と指摘する。

野田首相も李大統領も相手に配慮しなかったわけではない。11年10月にソウルで日韓首脳会談が行われたが、李氏は「野田首相は今回、お客さんだから」と気遣い、慰安婦問題を取り上げなかった。野田首相は京都会談で慰安婦問題に強硬な姿勢を示したが、「これからも人道的な見地から知恵を絞っていきたい」とも述べた。

だが、両首脳に強い信頼関係がなかった。野田氏は10月の訪韓時、日本関係者だけの夕食で、自分のあだ名にひっかけて「チュオタン」(どじょう汁)を食べた。翌朝、野田首相は韓国財界人との食事会でわざわざ、チュオタンを食べたことを持ち出し、「ドジョウはおいしかった」と語った。韓国側からチュオタンをごちそうする動きは出なかったし、日本も働きかけなかった。

12月の京都会談前夜の日韓首脳夕食会で、李明博氏はベトナム人花嫁の話を持ち出した。当時、韓国に嫁いだベトナム人女性が家庭内暴力を受ける事件が頻発していた。李氏は自らがベトナムに謝罪して和解を求めた話をした。李東官氏は「この話も慰安婦も女性の人権問題。大統領は、日本にも自分のように振る舞ってほしいと思っていたようだ」と語る。

だが、野田首相はこの話にコメントすることなく、別の話題に切り替えた。野田氏の表情は硬かった。夕食会後、韓国側は慰安問題や日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)などを包括的に解決する案を提示したが、事前の根回しが足りず、合意に至らなかった。首脳会談後、「法的立場は決まっている」という野田首相の発言を聞いた李大統領は側近たちに「弁護士みたいな発言だった」と漏らした。

李東官氏は「韓日が事前に、双方の立場をよく伝えるべきだった。後に、朴槿恵大統領と安倍晋三首相が慰安婦合意を実現できたわけだから」と語る。2015年の慰安婦合意の背景には、日韓両政府の1年以上かけた秘密協議があった。

京都会談で日本に失望した李明博大統領は2012年8月、韓国の現職大統領として初めて竹島を訪問した。李明博氏は訪問前、李東官氏にも意見を求めたという。李東官氏が「日韓関係は築くのは難しいが、壊すのは一瞬だ」と述べ、考え直すように求めたが、李明博大統領は聞き入れなかった。李東官氏は「大統領は、自分の訴えに耳を傾けない日本に対するショック療法だと考えたのかもしれない」と語る。

2012年8月10日、竹島に上陸し、展望台から視察する李明博大統領
竹島に上陸し、展望台から視察する李明博大統領(当時)=2012年8月10日、東亜日報提供

李大統領は竹島訪問直後、「(天皇は)韓国を訪問したがっているが、独立運動で亡くなった方々を訪ね、心から謝るなら来なさいと(日本側に)言った」と述べた。日本メディアは、「韓国大統領が天皇訪韓に条件をつけた」と報じ、日本世論は反発した。

ただ、李東官氏によれば、李明博大統領が日韓関係改善を放棄したわけではなかった。「天皇発言」も、日韓関係を何とか改善したいという従来の信念から出た言葉だったという。

李東官氏によれば、李大統領は2009年の日本メディアとのインタビューでも「歴史問題は法的な賠償の問題ではなく、感情の要素が大きい」と訴えたうえで、「天皇が訪韓し、韓国市民に頭を下げれば、韓国の日本に反発する感情が解消するだろう」と説明していたという。李氏は「09年当時、日本メディアは好意的に大統領の発言を伝えていた」と証言する。

同氏は「09年も12年も、歴史問題の悪循環を断ち切りたいという思いから出た発言だった。ただ、日韓関係が急激に悪化していたため、日本メディアが、まるで大統領が日本に悪意があるかのように報道してしまった」と話す。

李東官氏
李東官氏(本人提供)

こじれにこじれた日韓関係は元に戻らなかった。李明博大統領は最後まで、慰安婦問題解決を諦めず、李東官氏に当時の齋藤勁官房副長官との間で水面下の調整を行うよう命じたが、野田首相は妥協せずに終わった。

尹錫悦氏は、徴用工や慰安婦、日本政府による輸出管理措置などの懸案をまとめて解決するグランドバーゲンを主張しているが、日本側は「韓国がまず、徴用工や慰安婦問題の解決策を持ってくるべきだ」と主張している。李東官氏は過去の経験をもとに「難問が多いだけに、尹氏と岸田氏がまず、信頼関係を構築することが大事になるのではないか」と語る。「確かに、文在寅政権は慰安婦合意を破壊した。でも、韓国人が全て約束を守らないわけではない。韓日両国の一部には、どんな場合でも相手を攻撃する勢力がいるため、指導者は難しい判断を迫られる。尹氏も岸田氏も、お互いにこうした事情を理解すべきだ」と話す。

そして、李東官氏は「韓日の世論に、2002年韓日ワールドカップのような良い記憶をたくさん作ってあげたい」と語る。「韓国でも若い人のなかには、歴史問題はもうたくさんだと主張する人が大勢いる。信頼回復と良い記憶をつくりながら、政治的な想像力で関係を改善してほしい」


イ・ドングァン 1957年生まれ。韓国紙大手の東亜日報で東京特派員や政治部長などを務めた。李明博政権では大統領府の報道官、広報首席秘書官、言論特別補佐官を歴任した。最近、尹錫悦次期大統領の政権引き継ぎ委員会特別顧問に任命された。