町田氏は1958年に外務省に入った。韓国は建国して10年、李承晩政権の末期にあたった。それから、町田氏は日韓の間で数々の「琴線に触れる現場」を目撃した。
61年秋、同年5月に起きた軍事クーデターで政権を握った朴正熙国家再建最高会議議長(後の大統領)が訪米の途上、東京を訪れた。外務省の連絡要員として元赤坂の迎賓館に詰めていた町田氏は、到着した朴氏を間近に見た。浅黒い肌で筋肉質、サングラス姿だった。日本側の反応は「外国首脳の姿として好ましくない」というものだった。
だが、朴正熙氏は池田勇人首相や大平正芳外相らの気持ちをつかむことに成功した。朴氏は池田氏らに面会した際、日本語で高杉晋作らの名前を挙げ、「十分に日の目を見ないまま、明治維新の礎となった人々と同じ気持ちで、韓国の政治に取り組んでいる」と語ったからだ。日本の政界は一気に韓国を支援しようという空気に傾いた。
朴氏の訪日から1年後、韓国中央情報部(KCIA)の金鍾泌部長が東京を訪れた。日韓国交正常化交渉で、日本の経済支援についての交渉だった。金氏は外務省を訪れ、大平外相と1時間以上、2人だけでひざ詰めの交渉を行い、「無償供与3億ドル、有償援助2億ドル」などとした合意を結んだ。
町田氏によれば、金鍾泌氏は冒頭、10億ドルを上回る金額を示し、大平氏が金氏のひざを揺さぶりながら「金さん、そんなことを言っても、日本はそこまでできませんよ」と訴えたという。町田氏の記憶によれば、当時の日本の外貨準備高は17億ドル程度だった。大平外相と金氏によるぎりぎりの政治判断だった。この時の「金・大平メモ」は後に「密約」と批判され、韓国内で「屈辱外交」と批判された。金鍾泌氏はデモに参加した学生らから面罵され、メモの公開を迫られたという。
日本側はこうした金鍾泌氏の姿勢を高く評価した。町田氏は「JP(金鍾泌氏)は日本の考え方をよく理解した現実主義者でした」と語る。73年11月、金鍾泌氏は金大中氏拉致事件を収拾するため、朴正熙大統領の親書を持って来日し、田中角栄首相らと会談した。親書は達筆な日本語で書かれていた。町田氏は当時の外務省担当課長に「これで決着ですな。JPに頭を下げられたら、日本は何も言えないでしょう」と語った記憶がある。
逆に、日本人が韓国人の琴線に触れたこともあった。1982年秋、当時の外務省北東アジア課長だった小倉和夫元駐韓大使が首相官邸に呼ばれた。小倉氏は外務省に戻ると、課員らに「中曽根(康弘首相)が訪韓するらしい。成功させなければならない」と語った。小倉氏は町田氏を個別に呼び出し、「成功させるための演出を考えて欲しい」と頼んだ。
町田氏が提案したのが、韓国語のスピーチだった。中曽根首相も韓国に関心があり、この提案を即決で受け入れた。多忙な中曽根氏はテープに録音した韓国語を風呂場で練習した。
中曽根首相が訪韓し、夕食会場で「ヨロブン、アンニョンハシムカ(皆さん、こんばんわ)」と語り出すと、会場がどよめいた。途中で日本語を挟み、最後に「ヨロブン、テダニカムサハムニダ(皆さん、本当にありがとうございました)」と結ぶと、万雷の拍手がわき起こった。
町田氏は「当時の首脳外交で必ず話題になった謝罪の表現は弱かったが、非常に高く評価されました。韓国人の琴線に触れることができたからだと思います」と語る。
全斗煥大統領は中曽根首相のスピーチを涙を流して聞いていた。夕食会後、中曽根首相が泊まったホテルに大統領府からの使者が訪れ、中曽根首相を「2次会」に誘った。大統領府のオンドル部屋で全大統領と大統領秘書室長、中曽根首相、駐韓日本大使の4人で午前3時まで酒を飲み、カラオケを歌ったという。
日本統治の影響で、当時はまだ、日本語を話す韓国の政財界の要人が多数存命していた。韓国の音楽にも演歌のジャンルがあるように、日韓の感情の琴線には似たところが多い。
ただ、時代が移り、琴線に触れず、お互いに激しく主張をぶつけ合うケースが増えている。
2005年6月、小泉純一郎首相とソウルで会談した盧武鉉大統領は約2時間の会談のうち、過去の問題に1時間50分を充て、ひたすら韓国の主張を唱え続けた。同年11月、釜山で再び会談した際も同じ展開になった。最後には時間がなくなり、席を立った小泉首相の肩越しに、盧武鉉氏は「私は決してあきらめない」と言い放ったという。
11年12月、京都での日韓首脳会談は慰安婦問題が大きなテーマだった。日本側は会談の行方を危ぶみ、日本の立場を曲げない一方で、韓国側に配慮を示す必要もあると野田佳彦首相に助言していた。「総理、これは浪花節の世界ですから」と訴えた日本側の関係者もいたという。
だが、野田首相は会談で「我が国の法的立場は決まっている」と主張。会談直前にソウルの日本大使館近くに設置された慰安婦を象徴する少女像の早期撤去を求めた。野田首相の発言を聞いていた李明博大統領の顔色が変わり、「誠意ある措置がなければ、像が千体も建つかもしれない」といった激しい言葉を投げかけたという。
そして、文在寅政権による日韓慰安婦問題の不履行や2018年秋の徴用工判決などで、日韓関係は最悪の状態にある。町田氏は「文在寅政権は、日韓条約を軽視して失敗しました。条約は、日韓が13年もかけて知恵と資料を集めて作られたものだし、その後半世紀にわたっての積み重ねもあるからです」と語る。
そして、町田氏は、文政権下で進んだ韓国世論の分裂が、日韓関係に暗雲を投げかけていると指摘する。「文政権は、最低賃金の引き上げや法人税の引き上げなど、日陰にいた人々に光を当てました。それが文大統領への高い支持率に現れています」と語る。
世論調査会社の韓国ギャラップが4月1日付で発表した文在寅大統領の今年1~3月期の平均支持率は42%。盧泰愚12%、金泳三6%、金大中24%、盧武鉉27%、李明博24%(同社調べ)など、退任末期の歴代大統領の支持率よりもはるかに高い数値を記録している。町田氏は「おそらく、韓国の進歩(革新)支持層に、絶対に離れない岩盤層が生まれたのだと思います」と語る。
従来は保守層よりも支持者が少ないとみられた進歩層が増えた結果、3月9日に行われた大統領選で、尹錫悦氏と次点の李在明前京畿道知事の得票差は、わずか0・73ポイントだった。町田氏は「韓国内の保守と進歩の対決が激しくなったため、大統領選も過激な非難合戦になりました。従来の大統領選の構図を超えた対決でした」と語る。
2024年5月まで任期がある国会(定数300)で、野党になる「共に民主党」は172議席。与党になる「国民の力」と「国民の党」は合わせて113議席しかない。
町田氏は「尹錫悦氏は簡単に文在寅氏が作った問題を解決できないでしょう。政治経験も足りません。是非、周囲の専門家の話をよく聞いて、日韓が危機に陥らないような政治を期待したいものです」と語った。