2013年、日本海側の江原道元山にある特閣が注目を浴びた。金正恩氏が米プロバスケットボールのスター選手だったデニス・ロッドマン氏らを招待したからだ。
鄭氏によれば、元山の特閣は広さ480ヘクタールで、敷地内にはプライベートビーチもある。海岸線の中央には、正恩氏がロッドマン氏らと昼食を楽しんだとされる施設も確認できる。父の金正日総書記が釣りを楽しんだと言われている埠頭もある。過去には、全長50メートルほどの遊覧船が衛星で確認された。
北朝鮮専門サイトのNKニュースは2021年6月、民間衛星会社「プラネットラボ」の衛星写真を根拠に、日本海側の元山沖で同月6日と13日に、それぞれ十数台の水上バイクの一群とプレジャーボートが航行している様子が確認されたと伝えた。ロッドマン氏も英日刊紙「サン」に、2013年に元山に滞在中、豪華なヨットや数十台の水上バイクを見たと証言した。
金正恩氏は幼いころ、この元山の特閣で育ったとされる。祖父の金日成主席が、金正恩総書記と金正恩氏らの母、高英姫氏との結婚を認めなかったからだ。金正恩氏は母親や、兄の金正哲氏、妹の金与正氏と元山で暮らした過去があり、人一倍、この元山特閣に思い入れがあるようだ。
また、平壌市北部にある金正恩氏の自宅がある龍城官邸はフェンスが三重になっている。面積は1140ヘクタール。東京ドーム約244個分の広さにあたる。敷地内には、正恩氏の自宅や射撃場、食堂、乗馬場、ボウリング場、劇場、宴会場などがある。敷地内に引き込んだ専用列車駅もある。
北朝鮮は2015年、敷地内にある衛星管制総合指揮所を公開した。
金正恩氏は、平安北道東倉里にある衛星運搬ロケット発射施設まで出向かない際、ここで衛星発射の指揮を執るとされている。官邸の敷地内にあることから、金正恩氏が宇宙分野に強い関心を持っていることがわかる。このほか、官邸地下には有事の際に正恩氏が指揮を執る戦時司令部があるとも言われている。
特閣は、最高指導者の休息や執務以外の目的に使われることもある。中国と北朝鮮の国境地帯にある平安北道昌城の特閣は「中国に逃亡するための別荘」(鄭鶴聖氏)と言われている。敷地は、特閣のなかで最大の5140ヘクタールもある。敷地内には湖があり、北部を流れる鴨緑江とつながっている。飛行場も備えられていて、陸海空のどのルートを使っても、短時間で中国に渡ることが可能だ。
そして、不幸な使われ方をしてきた特閣もある。
北朝鮮北部にある慈江道江界の特閣。広さは86ヘクタール。北辺の山間部にあり、冬場は非常に寒く、周囲との交通の便が悪いことで知られる。ここには長く、金日成主席の実弟、金英柱氏(1920~2021年)が幽閉されていたとされる。金英柱氏は、兄である金日成氏(本名・金成柱)よりも8歳年下だった。韓国統一省の「北韓主要人物情報」でも、副首相就任の1974年2月から、政治局委員に選ばれた1993年12月まで、金英柱氏の動静は空白になっている。おいの金正日総書記との権力闘争に敗れ、空白の期間を江界の特閣で過ごしていたとみられている。
また、金日成氏の後妻、金聖愛氏(1924~2018年)も、「この江界の特閣で幽閉されていたのではないか」と、鄭氏は語る。
金聖愛氏は1953年、金日成氏と結婚した。前妻で1949年に亡くなった金正淑氏の長男、金正日総書記と不仲だった。金聖愛氏は自分と金日成氏との間に生まれた金平一元駐チェコ大使を後継者にしようとして、金正日氏と衝突。金日成氏が1994年に死去した後の1998年、朝鮮民主女性同盟委員長などの要職を解任された。金聖愛氏はちょうど、金英柱氏と入れ替わるように、江界の特閣に幽閉されたのかもしれない。
脱北した元朝鮮労働党幹部は「ロイヤルファミリーの間の権力闘争はできるだけ、表面化させたくない。いざこざが明らかになれば、最高指導者の権威に傷がつく。2013年に処刑された張成沢元国防副委員長や、2017年に暗殺された金正男氏の場合、金正恩氏の権力が固まり切らないうちに起きた悲劇だろう」と話す。
今、ひっそりと消息がわからなくなったロイヤルファミリーもいる。
金正日氏の妹で、処刑された張成沢氏の妻だった金敬姫氏だ。
金敬姫氏は2020年1月、平壌で開かれた旧正月を祝う記念公演の際、6年ぶりに公の場に姿を現した。朝鮮中央通信は、正恩氏のそばで公演を鑑賞する金敬姫氏の姿をとらえた写真を公開したが、その肉声は伝えなかった。鄭氏は「金敬姫氏は今、金英柱氏や金聖愛氏と同様に、江界の特閣に幽閉されているのかもしれない」と語った。