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いつの間にか消えた不安説 金正恩氏の10年、なぜ彼は権力を掌握できたのか

北朝鮮インテリジェンス 更新日: 公開日:
1月の閲兵式に黒革のコート姿で登場した金正恩氏(中央)=労働新聞ホームページから

■金与正氏の「ゴッドファーザー」

今年4月に開かれた朝鮮労働党の細胞書記大会で、金正恩主義の登場を予感させる発言があった。

「金正恩総書記の革命思想と指導に忠実に従って5カ年計画を無条件に執行する」。発言したのは、1月の党大会で金正恩氏ら5人しかいない政治局常務委員に選ばれた趙甬元(チョヨンウォン)書記だった。

韓国統一省の「北韓主要人物情報」によれば、趙氏は1957年生まれ。党の重要組織、組織指導部に勤務した経歴が目立つ党官僚で、正恩氏が権力を継承した後の2014年ごろから公式の報道に出現するようになった。

北朝鮮関係筋によれば、趙氏は、正恩氏の実妹、金与正氏(現党副部長)が入党したときの保証人になった人物とされる。同筋は「入党者が問題を起こした場合、保証人は連帯責任を取る立場にある。金与正にとって趙甬元はゴッドファーザーのような存在にあたる」と語る。趙氏は金正恩・金与正兄妹と家族ぐるみの親しい関係にあるという。

1月14日夜に行われた軍事パレードで、この3人と玄松月党副部長だけが、黒い革のコート姿だった。2013年ごろからたびたび訪朝した米プロバスケットボールの元スター選手、デニス・ロッドマン氏らが日本海側、江原道元山にある正恩氏の専用別荘に招かれたことがあった。一緒に水上バイクに乗った後、別荘で食事を楽しんだ。出席者は正恩氏夫妻と「ジュエ」と呼ばれた娘、与正氏、正恩氏の実兄、金正哲氏、そして玄松月氏だった。

1月14日夕に平壌で行われた軍事パレード。朝鮮中央通信が配信した=朝鮮通信

玄氏は非常にくつろいだ様子で、出席者の1人は「玄氏は正哲氏の妻だと思った」と語る。正恩氏が結婚する前の一時期、玄氏との親密な関係がうわさされたこともあった。玄氏は今、公式行事に出席する正恩氏に寄り添い、秘書のような役割をこなしている。

趙氏も玄氏も権力の中心にいるが、民主的な選挙を経てその地位を得たわけではない。党中央委員会総会という閉じられた組織のなかで選ばれている。現在、党中央委員は138人しかいない。

■北朝鮮指導者の「血統」

北朝鮮は1948年の建国以来、秘密投票や立候補の自由などが保証された民主的な選挙を一度も行っていない。米政府関係者はかつて、北朝鮮高官からこんな言葉を聞いた。「日米韓よりも、自分たちには権力の座に就く正統性がある」。祖国を解放した金日成主席の血筋である「白頭山血統」を指導者に仰いでいるからだという。

正恩氏の父、金正日総書記が権力を継承した時は、かろうじて「能力のある者が偶然、金日成氏の息子だった」という論理を用いた。金日成氏の死ぬ30年以上前から党で活動し、20年前にはほぼ後継者の地位を固めた金正日氏だからこそ可能な話だった。

北朝鮮の金日成主席(中央)。訪朝した金丸元副総理(左)、田辺社会党副委員長と=1990年9月、同行記者団撮影

これに対し、金日成氏は生前、金正日総書記と金正恩氏の母、高英姫氏との結婚を認めなかったとされる。金日成氏は生前、正恩氏の異母兄、正男氏には面会したが、正恩氏兄妹とは面識がなかった。正恩氏らは一般社会と隔離された生活を送った後、2000年ごろまでスイスで留学生活を送った。金正日氏が正恩氏を後継者に指名した2009年初め、正恩氏を知る人はほとんどいなかった。正恩氏が初めて父の現地指導に随行したのは09年4月の元山農業大学視察からだった。父の死は、それからわずか2年8カ月後のことだった。

だが、党や軍、政府の特権階級に属する人々は正恩氏を積極的に受け入れた。正恩氏は11年12月30日に軍最高司令官に就任。16年5月の党大会で党委員長、今年1月の党大会で党総書記にそれぞれ就いた。2019年の憲法改正で、それまで最高人民会議常任委員長の職責だった対外的な国家元首の地位も手に入れた。

北朝鮮問題を長く担当した韓国政府の元高官は「特権階級の人々が自身の地位を守るためには、現体制を維持する必要があった。独裁政治への恐怖はあるが、拒否すれば、自分が体制からはじき飛ばされてしまう」と語る。独裁体制に必要な象徴が正恩氏だった。

平壌のビデオ会社を視察する金正日、金正恩父子。朝鮮中央通信が2011年9月に伝えた=朝鮮通信

正恩氏にも悩みがあった。自分と同じ「白頭山血統」を持つ人々の存在だ。特に、異母兄の金正男氏は厄介な存在だった。自分と異なり、金日成主席が面会した人物であり、儒教文化が残る北朝鮮で長男という存在でもあったからだ。

正恩氏がまずやったことは叔父、張成沢元国防委員長の処刑だった。張氏と金敬姫夫妻は金正男氏の後見役だった。別の韓国政府元高官によれば、金正日総書記は生前、1回あたり20万~50万ドル(約2300万~5700万円)をマカオにいる正男氏に送金していた。金正日氏の死後は、張夫妻が経済的に困窮する正男氏を助けていた。

韓国政府がハッキングした、張夫妻に宛てた正男氏のメールには「最近、所有していた中古のBMWも売り払いました。それほど家計が苦しいのです。何とか早く10万ドル(約1100万円)を送金してください」と書かれていた。

2001年5月、日本で拘束された金正男氏=久松弘樹撮影

たまたま、張成沢氏は「(全てに軍が優先する)先軍政治によって肥大した勢力の除去」を命じた金正日氏の遺言に従い、軍や国家安全保衛部(現国家保衛省)、党組織指導部などの関係者を殺害するなど粛清を進めていた。危機感を持った軍部などは、張氏に不安感を持つ正恩氏に対し、「張成沢が中国と結んで、国を乗っ取ろうとしている」と讒言した。

正恩氏は13年12月、国家転覆を謀ったとして張氏を処刑した。

そして、17年2月、マレーシアの空港で金正男氏は暗殺された。正男氏は12年4月、正恩氏に命乞いの手紙を送っていた。手紙にはこう書かれていた。「私たちは一度も会ったことがない兄弟だが、私と家族に対する懲罰の命令を撤回してほしい。私たちには行く場所も逃げる場所もない。逃亡する道は自殺だけだ。私と私の家族を生かして欲しい」

国家情報院は正男氏暗殺後、国会での報告で、自らを脅かす可能性が少しでもある人物を執拗に排除しようとする正恩氏の性格を表した事件だったと報告。「殺害は必ず実行しなければいけないstanding orderだった」と説明した。

■特権階級の抵抗

金正恩氏も、北朝鮮を改革する考えが全くなかったわけではない。権力継承後、北朝鮮は「先軍政治」について全く触れなくなった。金正日氏の時代にほとんどなかった党の会議が頻繁に開かれるようになった。韓国政府元高官は「先軍政治は、旧共産圏諸国の崩壊や経済危機などを乗り切るための非常時用の体制。スイス留学の経験がある正恩氏は、北朝鮮を普通の国にしたいと思ったのだろう」と語る。

だが、権力継承を認めてもらう代償として、特権階級の存在をそのまま受け入れた。市民社会や自由なメディア活動、自由選挙など民主主義に必要な要素は一切認めなかった。正恩氏は2018年4月の南北首脳会談で「1年以内の核放棄も可能だ」と文在寅韓国大統領に伝えたが、特権階級は権力の維持に不可欠な核とミサイルを放棄することを拒んだ。

10年経っても、北朝鮮は変わらなかった。金正恩氏の苦悩は当初の約80キロから2020年ごろに140キロまで増えた体重に表れた。北朝鮮の専門家たちは「暗殺の恐怖や政策の失敗など、過度なストレスが招いた結果だ」と語る。

正恩氏は2020年4月、約半月間にわたり、公式の席から姿を消した。正恩氏は従来、糖尿病や高血圧などの持病を抱え、当時も一定の静養が必要な状態に追い込まれていたとされる。

最近、体重は120キロほどに減った。同じように、現地指導の数も減っている。最近は、経済は金徳訓首相、軍事は朴正天党政治局常務委員に現地指導を任せる場面も目立つ。北朝鮮は国際社会の制裁に加え、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための国境房措置が長引き、経済の状況はどん底だと言われる。

韓国政府の元高官は「正恩氏は10年間、精力的に改革に取り組んだ。その結果、10年前と同じ状況に戻ってしまった。正恩氏が権力を掌握できたことの代償だとも言える」と語る。そして、正恩氏について「国政に関与する意欲が落ちているように見える。10年もやってダメだったからだろう。これから、北朝鮮はますます内向きになっていくかもしれない」と語った。