多数の専門家は派兵の動機として「ロシアによる経済支援や、近代的兵器の提供」を挙げる。確かに韓国も1960~1970年代の南ベトナム派兵の見返りに、米国から近代的装備の提供を受けた。果たしてそれだけだろうか。韓国の情報機関、国家情報院(国情院)は10月23日の韓国国会への報告で、ロシアと北朝鮮が今年6月、包括的戦略パートナーシップ条約に署名した後、今回の事態が動き始めたと説明した。
同条約を巡っては、同盟だと明言する北朝鮮の金正恩総書記と、明言しないロシアのプーチン大統領との間で立場が微妙に食い違っていた。北朝鮮は今回の派兵により、条約が同盟を意味すると強調したいのだ。
同条約4条は、ロシアと北朝鮮のどちらが他国の侵略を受けた際、他方は「速やかに自国が保有する全ての手段で軍事的およびその他の援助を提供する」と明記している。金正恩氏は「我々はウクライナの侵略を受けたロシア・クルスク州に派兵した。これは、北朝鮮が侵略されたら、ロシアも派兵することを意味する」と言いたいのだ。
北朝鮮は焦っている。今回の派兵は唐突な出来事ではない。すでに5年前から兆候が出ていた。
北朝鮮当局は市民が韓国や米国の文化に親しみ、最高指導者の指示に従わなくなる事態を深刻に捉えていた。2019年12月から立て続けに、韓国や欧米の文化を視聴したりまねしたりする行為を取り締まる法律を3本、制定した。効果はなかった。焦った北朝鮮は昨年末、平和統一政策を捨てて韓国を敵視する政策にかじを切った。今年に入り、韓国文化に親しんだ中学生30人が一度に処刑されるなど、公開処刑が増えている。敵視政策は公開処刑の根拠づくりだったと言える。
ただ、10月の最高人民会議(国会)では、金正恩氏が事前に予告したにもかかわらず、憲法に敵視政策を盛り込んだことを明言せず、改正した条文も公開しなかった。
北朝鮮を逃れた元朝鮮労働党幹部は「敵視政策は、金日成主席や金正日総書記が掲げた民族統一政策を否定する。統一を望んでいる大多数の北朝鮮住民の考えにも反するからだ」と語る。逆に言えば、北朝鮮当局が、住民の反発など内部の混乱を招いてでも、韓国や米国の「文化侵略」を防がなければならないと考えている証拠だと言える。
陸上自衛隊東北方面総監を務め、情報戦を交えた「ハイブリッド戦争」に詳しい松村五郎元陸将は「私たち日米韓は北朝鮮を攻撃する考えは持っていない。でも、北朝鮮は自分たちが民主主義の思想戦による攻撃を受けていると本気で考えている」と指摘する。
金正恩総書記の妹で、北朝鮮で宣伝扇動を担当する金与正(キム・ヨジョン)朝鮮労働党副部長は14日の談話で、無人機から北朝鮮を非難するビラが平壌で散布されたとして、韓国を念頭に「核保有国の主権が、米国が手なずけた駄犬によって侵害されたなら、駄犬を育てた主人が責任を負うべきだ」とののしった。
北朝鮮当局が感じている「体制の危機」は、私たちが考えている以上に深刻な状態だと言える。松村氏は「北朝鮮は派兵に踏み切ったことで、日米韓が北朝鮮を攻撃すれば、ロシアが参戦することになると脅し、抑止力につなげたいのだ」と語る。
ただ、北朝鮮の派兵は、逆に体制の危機を加速させるかもしれない。国情院は10月23日の国会報告で、北朝鮮兵の軍事教練を担当したロシア軍教官の評価として「体力と士気はすぐれているが、ドローン(無人機)を使った近代戦に慣れていないため、多数の死傷者が出る可能性がある」と説明した。
松村氏は北朝鮮軍で大きな割合を占める特殊部隊兵の特徴について「ベトナム戦争のベトコン(南ベトナム解放民族戦線=北ベトナムの解放勢力側)のようなゲリラ戦を得意とする。森林の樹上や地中などにじっと潜み、敵を急襲する能力に優れている」と語る。
北朝鮮軍は装備の老朽化や燃料不足から、世界の陸軍が多くの時間を割く、歩兵が戦車や装甲車と連携した訓練をほとんど経験していない。代わりに50年前のゲリラ戦を中心にした訓練を重ねて来た。松村氏も「米韓連合軍や自衛隊が経験していない戦術を取るという意味で、北朝鮮兵は侮れないとされてきた」と語る。
しかし、ロシア・クルスク州のウクライナ占領地域では、ウクライナ軍がドローンを使い、ロシア兵を苦しめてきた。同州は森林地帯だが、ドローンはカメラや赤外線センサーを備えているため、簡単にロシア兵を見つけ出し、手榴弾をこれでもかと投下して殺傷している。
北朝鮮兵がいくら、何日間も木の上に隠れていてもすぐに発見される。地中に隠れれば、すぐには見つからないかもしれないが、地上に出た瞬間にドローンに捕捉されるだろう。ロシア軍はドローンを操縦する電波を妨害するドローン・ジャマ―を使っているが、装備が機能しない場合が多いほか、電波を遮断した瞬間、発見した一番近くの敵を攻撃するようプログラムされたドローンもあるため、被害を劇的に減らすまでには至っていないという。不慣れな北朝鮮兵の被害は更に深刻なものになるだろう。
国情院は23日の国会報告で、北朝鮮の派兵規模が12月までに1万人余に達すると予想した。同時に、ロシアに派遣された北朝鮮兵の家族に動揺が広がっているため、家族を一般市民から隔離する措置を取っているとも報告した。北朝鮮兵の死傷者が増えれば、韓国敵視政策とは比較にならないほど、北朝鮮市民の反発が高まる可能性がある。ウクライナ軍はすでに、北朝鮮兵の脱北を促すSNSを朝鮮語で流し始めた。
今回の北朝鮮派兵は、東アジアの安全保障への影響というよりも、まずは北朝鮮自身の運命を変えるものになるかもしれない。