北朝鮮メディアは2013年に平壌市郊外に美林乗馬クラブが完成したほか、2022年10月には咸鏡北道の清津市遊園地に乗馬コースが新設されたと報じた。
鄭氏によれば、乗馬場は、特閣と呼ばれる金正恩総書記専用別荘にも作られている。日本海側の江原道元山にある特閣では、滑走路を撤去し、全周1000メートルと640メートルの乗馬用トラックを設けた。街路灯もトラックの外周33カ所に設置し、夜間の乗馬も楽しめるようにしている。
平壌市北部にあり、金正恩氏の自宅だとされる龍城官邸内にも、全周790メートルの乗馬用トラックが設けられている。鄭氏は「金正恩氏がスイス留学中、乗馬を楽しんだのが原点のようだ。正恩氏が乗馬している映像や写真も多数公開されている。威厳をもたせ、偶像化に役立てているのではないか」と語る。
元党幹部によれば、北朝鮮の歴代指導者は馬を権威の象徴として使ってきた。初代の金日成主席は白馬にまたがって抗日パルチザン闘争を指揮したとされ、北朝鮮当局は肖像画などで宣伝してきた。
2代目の金正日総書記も白馬に乗る姿を収めた記録映画が北朝鮮内で上映された。金正日氏が、訪朝した朝鮮総連のトップを乗馬場に連れていき、「一緒に乗馬をやろう」と持ち掛けたこともあった。日朝関係筋によれば、このトップは日本に戻った後、慌てて乗馬の練習を始めたという。
朝鮮中央通信は2019年12月、金正恩氏が中朝国境の白頭山に登頂したと報じ、雪が積もる山中で白馬にまたがる写真を公開した。
2023年2月に平壌で開かれた朝鮮人民軍創建75周年を記念した軍事パレードでは、白馬の騎馬隊が搭乗した。朝鮮中央テレビは「我らの元帥、白頭戦区を駆け下りた伝説の名馬、まばゆいばかりの白頭山の軍馬が騎兵隊の先頭に立っている」と紹介した。
ロイター通信によれば、北朝鮮は2019年、ロシアから馬12頭を総額7万5509ドル(約1120万円)で輸入した。2015年には61頭の馬を19万2204ドル(2850万円)で輸入するなど、2010年から2019年にかけて、少なくとも138頭の馬を計58万4302ドル(8680万円)で輸入している。
だからと言って、北朝鮮にとっての乗馬は、一般市民が気軽に楽しむ娯楽ではない。
美林乗馬場を訪れた元平壌駐在の外交官によれば、外交官の利用が目立ち、北朝鮮市民の姿はほとんど見かけなかったという。
訪朝した専門家によれば、美林乗馬場は従来、騎馬兵の養成所だった。利用料金は1時間25ドル(3700円)程度。子供と国内利用者は半額だが、平壌で4人家族が毎月必要な生活費が約100ドルとされる。父親が北朝鮮高級幹部だった在米脱北者の李炫昇氏は美林乗馬場について「高額な利用料金を要求されるので一般市民は利用しない」と証言する。
乗馬場が増えて喜ぶのは、金正恩氏ら一握りのエリートと軍人くらいしかいないようだ。それなのに、なぜ乗馬場が全国で増え続けているのか。
脱北した元朝鮮労働党幹部は「乗馬場の建設は、最高指導者が喜ばせて、自らの保身と栄達を狙う忠誠心競争以外の何ものでもない」と語る「最高指導者のための施設」であれば、保守管理のための予算を請求できる。最高指導者が現地指導に訪れる可能性も高まる。最高指導者が訪問すれば、政府からの特別の補助なども期待できる。
元党幹部は「憩いの場の遊園地を削られて乗馬場に変えられてしまった清津市民が気の毒だ」と語った。