UAWは1935年につくられた米国で自動車などの製造業で働く人たちの代表的な産業別組合だ。ただ近年は会長2人や幹部10人以上が逮捕、収監される汚職事件に揺れた。米司法省の再発防止策として、昨年3月に初めて直接選挙がおこなわれ、改革派が支持したショーン・フェイン会長が当選。新執行部の半数も改革派が支持した候補になった。
新体制は昨年9月から、フォード、ゼネラル・モーターズ、ステランティスというビッグ3の主力工場でストを展開。要求が通ればストを緩和し、他社との交渉の圧力にする初めての手法をとってこれまでにない労働協約を勝ち取った。2007年に始まった、新規雇用者の賃金や社会保障を引き下げるティアの制度などの廃止が決まった。また過去4年で最高経営責任者(CEO)らの年収が4割伸びたとし、同じ期間で同じ賃上げ率を要求。4年半で25%の賃金アップなどを得た。
ボブ・キング氏は、2010~14年のUAW会長。汚職事件とはかかわりがないことから、「最後のクリーンな会長」とも呼ばれている。会長を1期で退任し、現在はミシガン大学で労働協約や民主主義などについて教えているほか、医療従事者のユニオンづくりを手伝っている。
――昨秋のUAWのストでは、大きな成果をおさめました。
要求が非常に大きくて、野心的でした。三つの会社で同時にストをするのは革新的な戦略で、とても効果的なこともわかりました。次にどうなるか予測不可能で、会社側に気を引き締めさせた。そうして生まれた緊張感の結果、協約の内容も傑出していました。ストは驚異的だったと思います。
――ショーン・フェイン現会長の指導力はどう見ましたか。
ショーンは良い会長になると思っていましたが、期待以上でした。交渉者として、チームとともに、素晴らしい協約をまとめた。組合員のためだけではなく、あらゆる労働者のために闘うということを理解しているからです。実際にUAWの労働協約後、(労働組合がない)米国内にある日本、韓国やドイツ企業でも、工場労働者たちの賃金を劇的に上げています。
米国では労働組合について大きく二つの考え方があります。労働協約のみが責任だという考え方で、『パンとバターのユニオニズム』ともいわれるもの。もう一つは『社会正義のユニオニズム』。(労働協約でカバーされない)労働者全体をみて、さらにはその労働者が住むコミュニティーや学校、環境に問題がないかまで責任を負う考え方です。私自身は社会正義のユニオニズムの哲学を信じていて、それが戻ってきていることがうれしいです。
――UAWはもともと公民権運動などでも知られていましたね。
そうです。公民権運動も、女性運動も力をいれてきました。ただ最近は、こうしたものから遠ざかっていました。近年は汚職問題もあり、UAWを非常に傷つけたと思います。私自身、直接知っていて、このうち何人かは個人的な友人だったと思っていたのに、問題があったことに気づけず、非常に残念です。
――立て直しが早かったです。
新会長・執行部を決めるにあたって、従来の代議員制から、組合員一人ひとりが一票をもつ直接選挙に変えました。それがUAWを救ったと思っています。もっと、民主的で実効的な労組に生まれ変わった。
ショーンも毎日、現場の労働者と話し、当選後も、工場に行き続けた。現場の怒りとフラストレーションを理解し、経営側との交渉の席でも、現場の思いをうまく代弁できた。直接投票はリーダーを組合員の方に向かせます。
――立て直しには、2019年に発足したUAW内で改革をめざすグループ、UAWD(「民主化のため全ての労働者の結集を」)も役割を果たしたと聞きました。
彼らがいなければ選挙で選ばれなかった人もいると思います。UAWDのメンバーは500人と少ないが、変化を求める人たちが組織化されていたので、大きな影響がありました。CEOの報酬も、株主への配当も潤沢になっているのに、本来分配されるべき労働者には分配されていなかった。労働者の怒りをUAWD、ショーンも受けとめたと思います。
――それまではこうした動きはなかったのでしょうか。
UAW内には、こういうグループは常にあった。時代をこえて一致しているのは、もっと経営側と対立し、戦闘的であるべきだという点でしょうか。企業に協力することには反対で、ティアにもずっと反対していました。あまりにも汚職がひどかったので、本当に変化するために、受け入れられるようになった。
また私自身、会長時代からこうしたグループの人たちと付き合いがあった。戦略については意見が違うが、彼らは誠実で、情熱的で、組合員にとってベストを求めていると感じていた。だから意見を聞くようにし、意見が合わなくても、誹謗中傷をしあうことはなかった。だから今回、協力し、ショーンを勝たせることができたのです。
ーー1980年代は日米貿易摩擦がありました。日本の自動車産業をどうみていますか。
私は2010年に会長になった直後、すべての日本の自動車企業に手紙を送り労組結成を呼びかけましたが、全社から断られました。日本の労組よりも戦闘的な闘い方をする米国の労組に対しては常に石垣が作られてきました。私自身、UAWで国際的な協調、関係づくりに力をいれてきた。日産でキャンペーンをやったときには、日本の労組のリーダーたちに世話になりました。ゴーン社長に会うために東京に行ったこともあります。
日産のミシシッピ工場でキャンペーンをしたときに、たくさんの派遣労働者がいました。有期ではなく、恒常的に派遣の状態にある人々です。もっと一生懸命働けば正社員にするといって働かせ、負傷した人もいる。そうした働かせ方は、正社員にも圧力をかけ、労働者の搾取につながっている。派遣社員は、米政府の全米労働関係委員会(NLRB)の監督下で行われる従業員投票で投票できないので、従業員投票で過半数の支持がとれず、組織化できなかった。最も労組を必要とする人たちが投票できないという問題が生じるのです。
ーーUAWはスト後、日本をはじめとする海外企業の自動車企業の工場の労働者の組織化に取り組む方針を示しました。
米国にある日本、韓国、ドイツの企業は長く、労組ができないように対抗してきました。また米国の法律も今の在り方では、組合を新たに作ろうと思っても簡単にはつくれない。だが、こうした工場でキャンペーンが繰り広げられている。労働組合のない働き手が労組を組織すれば、彼らにとってより良い労働協約を結ぶことができ、より良い条件で働けるようになる。組織化できるように願っています。