1. HOME
  2. 特集
  3. 給料の話
  4. シアトルで最低賃金15ドルが実現したワケ

シアトルで最低賃金15ドルが実現したワケ

People 更新日: 公開日:
労働運動家、デービッド・ロルフ

労働運動家 デービッド・ロルフ



米国で初めて、最低賃金を時給15ドルに引き上げると決めたシアトル市。ニューヨーク・カリフォルニア両州などが後に続き、最低賃金15ドルを求める労働運動「Fight for 15」(15への闘い)の熱が全米に広がる。シアトルでこの運動の中心となった労働運動家、デービッド・ロルフは、「最低賃金15ドルは、新しい労働運動の第一歩だ」と語った。(聞き手・江渕崇)

――シアトルは全米で初めて、全労働者の最低賃金を時給15ドルに引き上げると決めました。なぜシアトルが最初だったのでしょうか。
「時給15ドルへの闘いは、2012年11月にニューヨークで起きたファストフード店員たちの小さなストライキが始まりでした。ただ、小さいとはいえ、米国のファストフード業界ではほとんど初めてと言ってもよいストライキですし、彼らは労働組合の組合員ではありませんでした。賃金アップや組合への参加を求める波は徐々に全米に広がり、半年後の13年5月にシアトルでもストが起きたのです。ちょうどその年、シアトルでは市長選が予定されていました。私たちは、市長選の最大の争点に最低賃金15ドルを据えることに成功したのです」
「働き手たちが、自ら運動の主体となりました。単に市長に電話して、最低賃金を上げて下さいませんか、とお願いしたわけではないのです。政治家に何か決断させるには、市民がそれを支持していると彼らに確信させる必要があります。働き手を組織してストやデモや市役所への陳情を繰り返しました。自分たちの暮らしを変えるために、政治家や雇用主らに圧力をかけつづけたのです」
「シアトルは、もともと木材の出荷拠点だったことから海運業が発展し、さらに航空産業も栄えました。ここは、非常に労働組合が強い街です。ほぼ100年前の1919年、米国史で唯一のゼネストが起きたのもここシアトルです。さらに、労働組合に限らず、地域コミュニティー組織や宗教団体、女性団体、移民・難民団体などの活動が盛んで、こうした団体が手を取り合って働き手の地位向上に取り組むことができました」

――この数年間で時給15ドルへの運動が勢いづいたのはなぜでしょうか。
「米国ではこの40年間、賃金が上がらない状態が続いています。40年間でこの国が生み出した富のほとんどはトップ1%の超高所得層に集中し、いくぶんかはトップ10%に回りましたが、残りの90%には果実が届きませんでした。むしろ、所得が低い方の50%は賃金が下がっているのです。さらに悪いことに、リーマン・ショック後の大不況で、米国の中間層が第2次世界大戦後に蓄えてきた富はすっからかんになってしまいました。もはや米国には、政治家やCEOたちが正しいことをするのを待っている余裕はないのです」
「ニューヨークでのストで、私の仲間が初めて、最低賃金15ドルを求めるスピーチをしましたが、これはいわば進歩派、左翼側からの要求です。一方で、シリコンバレーの億万長者たちも、こうした訴えに賛同しはじめています。かれらが共和党支持者であっても、です。保守派からも最低賃金引き上げへの賛同があるのは、人々の財政への依存度を低くでき、さらに、税率を引き上げることなしに税収を増やせる、との期待があるからです」

買い物客らでにぎわうシアトル中心部。この街の経済が好調なことも、最低賃金アップの追い風になった

――労働組合は、所属する組合員の利益を第一に考えることが多いと思いますが、なぜ今回は最低賃金という制度に焦点をあてたのですか。
「米国の労働組合は長く守りの姿勢が目立ちました。組合員を守り、労使の協定を守り、ということには一生懸命でしたが、組合員以外の働き手のもっと広い闘いにはかかわってきませんでした。こうした古いやり方を改め、わずかな数の組合員ではなく働き手全体を底上げしなければならないとの考えから、私が幹部を務めている国際サービス従業員労組(SEIU)は時給15ドル運動に『投資』することを決めたのです」
「伝統的な団体交渉はすでに時代遅れの手法です。1980年代から劇的に影響力がなくなってしまいました。民間部門で団体交渉の恩恵にあずかれるのはいまや、働き手の7%未満です。すべての職場の時給15ドルを労使の話し合いだけで勝ち取るには100年かかりますが、市当局と交渉して法制化すれば、何十万人もの働き手の賃金を一気に上げられます。組合に入っていない人も含めて全員の働き手を底上げできれば、組合員の賃金をさらに高めるプレッシャーにもなります」

――なぜ13ドルでも20ドルでもなく、15ドルなのでしょうか。
「15ドルは、連邦の最低賃金7.25ドルのほぼ2倍です。あえて理屈付けをするとすれば、1968年時点の最低賃金に物価上昇分を加えると12ドルになり、生産性が向上した分も加味すれば22ドルになり、その中間を取って15ドルと説明できます。ただ、実際には、いまは当たり前になっている『8時間労働』のようなものと考えてください。1880年代に労働運動が米国で始まったときの要求が1日8時間労働でしたが、べつに8・1時間でも、7時間半でもよかったわけです。15ドルは労働者を鼓舞する数字です。実験室やシンクタンクの研究室で計算されたのではなく、働き手たちが立ち上がるなかで出てきた数字なのです」

――シアトルではすでに最低賃金の段階的な引き上げが始まり、大企業だといま13ドルです。ワシントン大学の研究チームは、現段階では大きな副作用は出ていないとの報告を発表していますが、最低賃金引き上げは労働市場に悪い影響を及ぼしませんか。
「いまのところ、最低賃金のアップによって、労働者により多くのお金が回る一方、失業率も物価も上がっていない。右派はいつも、賃金の引き上げで経済がクラッシュすると脅しますが、それはシアトルでは起きていないし、これまでほかの地域でも起きなかった。米国での最低賃金引き上げの歴史をみれば、ほとんどのケースで雇用は減るどころか増えています」

――最低賃金の引き上げがむしろ雇用を増やすというロジックがいま一つ分かりません。雇用が増えたのは最低賃金引き上げのおかげではなく、そうした地域ではもともと経済情勢が上向きだったので雇用に悪影響が見られなかっただけではないのですか。
「たしかに因果関係についての研究は十分ではありませんが、賃金アップが単純に雇用悪化につながるわけではない、ということは多くの経験の蓄積からはっきり言えます。経済にはあまりにたくさんの要素が入り組んでいますから」

――シアトル市民の世論調査では7割が最低賃金アップを支持したといいます。人々がこの運動に総じて好意的なのはなぜだと思いますか。
「米国の働き手の半分は時給17ドル以下なのです。そして4割は15ドル以下なのですから、相当部分の働き手は最低賃金15ドルで直接利益を得ます。さらに、かなりの家計はこれによって収入が増えます」
「それだけではありません。米国人はこの40年間の賃金停滞で我慢に我慢を重ねてきました。みんなが苦しんでいる間に、高層ビルが新たに建ち、株価が最高値を更新し、セレブのリッチな生活がテレビでもてはやされるのを見てきたのです。もし経済が悪いならみんなが犠牲にならなければいけないのは分かっています。しかし、経済が上向いているときでも、なぜ90%の人々が犠牲になり続けなければならないのでしょうか?この不満が、大統領選のトランプやサンダース旋風につながっているのです。いまこの国の経済で起きていることに、人々は本当に怒っているのです」

――最低賃金15ドルに賛成の市長が当選し、あなたは労働側の代表として賃金引き上げの具体案をつくる委員会の共同議長になりました。ビジネス界からは賃金アップを全否定するような意見は出なかったと聞きます。
「いくつか理由があると思います。まず一つは、シアトルの隣にあり、シアトル・タコマ国際空港を抱えるシータック市の経験です。シータックは、手荷物の係員や給油作業員ら空港で働く人たちやホテルの従業員ら限られた労働者を対象に、シアトルに先駆けて最低賃金時給15ドルを決めました。ただ、このケースでは住民投票を経て最低賃金をいきなり15ドルにしたため、雇い主がかなり困った経験があります。シアトルではビジネス界も『どう上げるか』について交渉に加わりたかったのだと思います。さらに、シアトル市議会では最近、議会の100年以上の歴史でほとんど初めて、正真正銘の社会主義者の活動家が議員に当選し、放っておいたら市政がどんどん極左的になるのではないかとビジネス界が恐れたという事情もあります」

――えっ、正真正銘の社会主義者、ですか。この米国で?
「はい、本物の社会主義者です。大統領選で有名になった民主党のバーニー・サンダースのような社会民主主義者ですらありません。本物の社会主義者、というか、トロツキー主義者だと公言する人物が公職に当選したのです。ビジネス界は、それは戦々恐々でした」
「三つ目の理由は、ビジネス界のなかにも、中間層が溶解してしまっていることを心配している人が多いということです。彼らは賃金アップを仕方なく受け入れるというよりも、むしろ必要だと本心から思い、どのように実施すればいいのかの議論に加わりたいと考えたのです。こうした三つの要素が相まって、ビジネス界の意見の大勢が形づくられていったのです」

――かつては製造業が米国の中間層をつくり、また、製造業の働き手が労働組合の中核をなしました。しかし、製造業はいまや空洞化し、一方で、賃金が低くなりがちなサービス業の働き手が増えています。
「新しい産業の多くは組合を組織するのが難しくなっています。シリコンバレーのハイテク企業に組合はありません。コールセンターにもありません。労働運動の衰退は、製造業の衰退だけでなく、たとえば古い組合のあったホテルが廃業し、新たにできるホテルには組合はないといったことでも進みます。ただ、私たちSEIUはシアトルで組合員を増やし続けています。2002年にSEIUの支部がここにできたとき、1600人しか組合員はいませんでしたが、いまは4万5000人います。工業地域の小さなオフィスでスタートしたのが、いまは中心部の繁華街にこんな大きなオフィスを構えるまでになりました」
「製造業などの古い産業だって、最初はどれも低賃金労働でした。20世紀初頭、鉄道会社や自動車会社が生み出した富はごく一部の資本家が手にし、働き手はみな貧しかったのです。そこで働き手は団結し、これを変えました。自然の法則や神様が工場労働を高収入の仕事に変えたわけではないのです。労働運動が政府や企業に要求を掲げ、人々を組織することによって、それを成し遂げたのです。同じことは、サービス労働についてだって言えるはずです。デンマークではマクドナルドの販売員が時給21ドルを稼ぎます。サービス労働は、もっとまともな賃金が払われてもいいはずなのです」

首都ワシントンで最低賃金15ドル実現への署名を募る男性

――中間層が弱体化するなかで、労働運動の未来はどうなるのでしょうか。
「私たちは中間層を再建しなければなりません。米国は20世紀なかば、強くて厚い中間層を生み出しました。それがさらなる経済成長につながり、人々の経済的な保障にもなっていました。それは決してぜいたくではなく、暮らしの基本となる保障でした。それが組合の退潮や、働き手を守ってきたさまざまな仕組みへの攻撃によって、崩れてきたのです」
「自らの組合員のためだけに活動する伝統的な労働組合の役割は、これからの米国においては、非常に限られたものとなります。私はすべての働き手に利益をもたらすような、労働運動の新しいモデルをつくりたいのです。最低賃金15ドルの運動はその第一歩です。さらにその先に、新しい労働契約のかたちを生み出さなければなりません。米国は決して貧乏な国ではないのに、働き手は貧困にあえいできましたが、これは選択の結果なのです。ならば、私たちには別の選択肢があるはずです」



David Rolf 1969年生まれ。シアトルにある労働組合「SEIU775」のトップで、SEIU本体の国際副会長も兼務する。シアトルに来る前、ロサンゼルスで7万4000人の介護労働者を一気に組織化し、労働条件の改善を勝ち取ったことが、「1930年代の全米自動車労組(UAW)の成功以来の快挙」と米労働界で評判になった。