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春闘はもう時代遅れなのか 平均賃金が上がらない日本、改革のヒントをドイツに見た

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金属労協が、今年の春闘で各企業がどれだけの賃上げを獲得したかを集計している様子
金属労協が、今年の春闘で各企業がどれだけの賃上げを獲得したかを集計している。労組の横の連携を深めて共闘することで、立場の強い経営陣に対して労働者が声をあげやすくする仕組みになっている=金属労協提供

「どこの世界の話なんだろう。ここにも、いつか(給料アップの)波及の波はくるんだろうか」

スポーツインストラクターの50代女性はそう言った。毎年、春闘のニュースを見るたびに突きつけられる、賃上げがある職場とない職場の隔絶を感じる。

昨年末、女性の職場では、今年1月から始まる新しい賃金が提案された。メールで連絡がきて、オンラインの説明で伝えられたのは、多くの人にとっては賃下げにつながる内容だった。これまでは働いてきた年数などで講師の賃金の相場が決まっていたが、それを「どれだけの人数を教えたか」の出来高制に変える内容だ。新ルールでは、教えている教室の大きさや、平日か休日かの違いによっても差が出る。自分で決められることでもない。

「『これを受け入れられなければ転職ください』というような感じ。言われるがまま、みんな契約書を交わした」

通勤のための交通費が値上げになったときも、会社の交通費支給の上限にひっかかり、支給額を引き上げてはもらえていない。生活にかかわる物価は上がっているので、実質的な手取りは下がっている。レッスンの合間に飲むコーヒー1杯も高く感じる。「じわじわ来ている。世の中から取り残されている気がする」
そもそもコロナ禍前の収入も、大学卒の初任給には届かなかった。国民健康保険料などを差し引きすると、手取りは月給十数万円。ボーナスもなかった。新たに始めたデイサービスでの運動指導のバイトも含めて、収入はようやく以前の7割まで戻った。

デイサービスでみかける介護職のひとたちの暮らしや働き方も、自分とそう変わらないように見えた。「今は実家にいるから、屋根がある所で暮らせているけど……」。将来への不安も尽きない。

いま日本で働く約4割が、この女性のように非正規という形で働いている。その多くが有期契約だったり、あいまいな雇用形態だったり、不安定な状況におかれている。高度経済成長期は雇用される多くが正社員だったが、バブル崩壊後、非正規の働き方が増えた。

一方で、日本の賃上げの仕組みは大きくは変わっていない。1955年に始まり、高度経済成長期を背景に躍進した製造業の労組が大きな存在感を持っている。かつて社会的な影響力を持っていたが、いま非正規の働き手が抱える問題に十分対応できているとは言えない。非正規賃金の低さがこの20年以上、日本の賃金が国際的にも低位にとどまる原因の一つにもなっているといわれる。日本の平均賃金は、先進国でつくる経済協力開発機構(OECD)の調査(2020年)では加盟35カ国のうち22位だった。

2000年代、インターネットで求人を検索する若者たち
2000年代、インターネットで求人を検索する若者たち=東京・渋谷の「ヤングワークプラザしぶや」(本文とは関係ありません)

労組に加わる非正規労働者も増えてはいる。全国の労働組合を束ねる組織「連合」では、組合員700万人のうち非正規の働き手が130万人と、この16年で約5倍に増えた。いまの春闘の枠組みでも、地域ごとに国が決めた最低賃金を上回る賃金を目指すなど、非正規労働者の待遇改善に取り組む労組の動きも広がる。ただ労組の組織率は、16.9%。8割以上の働き手が労組に入っていない。労組がない職場で働く非正規の働き手からみれば、その波及効果はなかなか感じられていない。

非正規だけではない。日本の産業構造が製造業中心から大きく変わる中で、新しい産業であるIT業界には労組が作られていないことが多い。日本のITやメディア企業など4社で勤めた後、起業して多くのIT企業やベンチャーと取引するシプードの舩木真由美代表取締役(43)は言う。「一度も組合がある会社で働いたことがない。これまで100社ほどのIT企業と取引したが、組合がある企業はほとんど聞いたことがないし、組合そのものを身近に感じていないと思う」

IT企業でも、有志の社員で委員会を立ち上げ、最大で6%の賃上げを獲得した企業もある。一方で、業界内で歯車として働き、賃金や労働条件の改善などにつながれない人たちもいるといい、その格差を埋めていく手段が見つかっていないのも実態だという。

「(日本も)時代の変化にあわせて、春闘のありかたを変えていく必要がある」

こう指摘するのは立教大学の首藤若菜教授(労働経済学)だ。春闘に代わる賃上げの仕組みをそう簡単には作れないからこそ、それを変えていく必要があるのだという。

政府も2014年から旗をふり、春闘を外から後押しする。でもまだ抜本的な賃上げには程遠い。背景には、現在の労組が企業別につくられ、企業による影響力が大きいことがある。

バブル崩壊後、リーマン・ショック、東日本大震災と、危機が連続した。企業の業績も悪化。国の経済活動状況を示す日本の実質GDP(国内総生産)は、2000年の482兆円から、21年の536兆円に増えただけにとどまり、企業の売上高は1990年度以降、横ばいだ。成長企業やイノベーションも生まれず、企業は労働者の賃金など人件費や設備投資をコストカットで抑えて、経常利益を改善させてきた。

終身雇用型社会の日本では、労組は賃上げ要求よりも雇用の維持を求めてきた側面がある。それがまた大量の非正規社員を生んだ。

連合の芳野友子会長は2月の会見で、長く続く日本の賃金停滞について、労働組合側の課題をこう認めた。

「交渉の結果として(十分な賃金改善や格差是正が)得られてこなかったことは、反省として挙げられるかもしれません」

春闘の要求書提出にのぞむ日立製作所労働組合の半沢美幸・中央執行委員長と、日立製作所の中畑英信専務
春闘の要求書提出にのぞむ日立製作所労働組合の半沢美幸・中央執行委員長(右)と、日立製作所の中畑英信専務=同社提供

日本総研の山田久副理事長は言う。

「企業別労組を束ねる産業別組織(産別)の機能を強化して、企業の枠を超えやすくする必要がある」

同じく産別機能の強化を重視する首藤教授も言う。

「産業で働く(組合員以外の)全労働者の賃金をどうあげるか、という視点が重要だ」

参考になるのが、世界でも最大規模の産別といわれるドイツのIGメタルだという。金属産業で働く組合員数220万人の組織で、その前身は1891年にさかのぼるが、スタートは1949年だ。

ドイツには企業別の組合はなく、労働者が直接、産別に加盟する。 また給料の仕組みとしても定期昇給がないので、賃上げをめざす動きもより切実だ。ストライキも行われる。

ただIGメタル自体は長く、闘う姿勢を示すというよりは「労使協調型」と言われてきた。変化が訪れたのは2000年代半ばだ。組合員ではなかった派遣社員のために、同一労働同一賃金のキャンペーンを立ち上げて闘う姿勢を示すようになったことがきっかけだ。

団体交渉担当のウーヴェ・フィンクさんは「派遣の仕組み自体に反対したが、規制緩和で派遣労働者が増え、現実として受け入れるほかなかった」と振り返る。「不安定な仕事で、賃金や労働条件などの社会的水準も下げられてしまう。それは派遣労働者の問題だけではなく、自分たちをふくむ労働者全体の問題になる。何かしなければいけない」。派遣の仕組みを否定するのではなく、派遣労働者の処遇改善する方向に、かじを切った。

そこで取り入れたのが米国型のキャンペーン運動だった。ドイツの労組の歴史も、制度の仕組みも違う。それでもそのエッセンスをいれたことが起爆剤になった。

製鉄業界では、経営者協会に対して、派遣労働者も直接雇用者と同じように賃金が払われるよう に交渉。派遣元が払うことを履行させるようにし、それが履行されていないことを労働者が証明できれば、製鉄会社が差額を払うことにした。また金属電線産業では、基本給に補塡を加えていく形で、9カ月後にはだいたい直接雇用者と同じ水準の賃金を受け取れるようにした。

ドイツIGメタルのウーヴェ・フィンクさんとクラウディア・ラーマンさん
ドイツIGメタルのウーヴェ・フィンクさん(右)とクラウディア・ラーマンさん。オンラインインタビューの画面から

フィンクさんは言う。

「一定期間がたったら正規雇用に転換できるようにもした。派遣は柔軟性が前提なのに、派遣のまま何年も同じ企業で働くのでは意味がない」

効果は大きかった。派遣労働者が「この産別は自分たちのために何かをしてくれる」と考えてくれるようになった。交渉後からは、組合に参加してくれるようになった。IGメタルでも、組織率は課題だ。フィンクさんは言う。「今も団体交渉をするときには、まだ組合に加わっていない人と一緒にやって高い賃金を求めている。交渉後、新しい組合員として加わるようになってくれる」

組合に参加していない派遣社員の賃金交渉のために立ち上がったことで、自らの組織自体も刷新されるようになり、社会での受け止められ方も変わっていった。それまでドイツにはなかった、派遣もふくめた産業ごとの最低賃金をつくり、2015年には法定最賃が法制化された。独立行政法人労働政策研究・研修機構の山本陽大研究員によると、2016年以降、あいまいな雇用といわれるクラウドワーカーたちも組合加入できるように規約を変え、法律相談などの組合サービスを受けやすくしたところ、クラウドワーカーが実際に組合加入する例もみられたという。2018年には数十年ぶりに24時間のストライキもおこなった。

いま、日本でも賃金交渉をめぐって議論や話題になっているテーマについても、先行した取り組みをしている。たとえばIGメタルの労使交渉は、日本の春闘のように毎年ではなく、何年かごとに複数年分を交渉している。フィンクさんは「労働側としては理想的には1年ごとでやりたい。時間がかかれば、先行きが見えなくなるからだ」と本音を明かす。そのうで、「でも経営側の要望から、2年分あると計画しやすいということで延長している。だからその分、高い賃上げを望んでいる」

また上昇する物価の織り込み方も、日本とは異なる。日本の場合、賃上げの要求段階では過去の消費者物価指数を使う。ただそれでは今のように物価がどんどん上がっていくときには、過去の数字を使うと今の物価高がしっかり反映されない可能性もある。

フィンクさんは言う。「労働協約は1~2年先、将来のことで結ぶので、過去の分析よりも、何が起こるかの経済予測が大事。そのために世界銀行の予測の説明をよく読み、根拠をよく見ている」

最後に、変化をし続けるその原点となる労組のミッションは何か。フィンクさんはこう話した。

「社会的な平和をつくることだ。いい賃金は、労働者の利益。一人の労働者ではそんなにできないが、みんなでやれば強さをつくれ、利益を守れるんだ」