ファビアン・マレさん(41)がモンベントを当時のパートナーと立ち上げたのは2009年のこと。まだフランスで弁当の認知度は高くなかったころだ。「弁当箱」に着目した理由を尋ねると、マレさんは日本の影響を強調した。
「私は日本の文化全体が好きだった。柔道をやっていたし、アジアの哲学に引かれた。漫画には弁当を中心に、日本食をどのように食べているのかが描かれていて、私はそれらを見るのが大好きだった」
最初は日本から弁当箱を輸入した。だが、一般に欧州の人びとが食べる量は日本人より多く、調理も日本ほど細かく切ったり、複数の料理を詰めたりする習慣がない。なので、プロダクトデザイナーのマレさんは、欧州の人びとが使いやすいようアレンジして、独自の製品をデザインすることにした。
本社は、故郷のフランス中部クレルモンフェランに定めた。
クレルモンフェランには、レストランを星の数で評価する「ミシュランガイド」で有名な、タイヤメーカーのミシュランの本社がある。
意外にもこの点が異業種であるモンベントにも好都合になった。マレさんが解説する。
「自然豊かなこの場所は、たくさんのエネルギーを与えてくれる。経済的にもパリよりずっと安くビジネスを立ち上げられる。そして何より、フランス中部に位置していて、ミシュランが物流に関するインフラを整備してくれたおかげで、製品の輸送に必要なすべてのものに簡単にアクセスできた」
モンベントは順調に成長。2012年にフランスの代表的な辞書に新しい単語として「bento」が掲載され、Bentoの認知度は上がっていった。
「フランス人は一般的に日本文化が好きで、特に僕らの世代が好きなんだ。だから、こういった商品が好きな人を見つけるのは割と簡単だった」
モンベントは中国にも進出し、支社や工場を設立した。会社をさらに大きな規模にすることを模索して「戦略的パートナー」を探すことに。
そうしたなかで出合ったのがプジョーだった。
プジョーは日本では車メーカーとして有名だが、実は1810年、のこぎりの刃の製造から始まって、家庭用コーヒーミルやコショウ挽(ひ)き、自転車と多岐にわたる製品を製造。調理器具やテーブルの装飾に関連した芸術を指す「テーブルアート」にも歴史を持つ。
2018年、プジョー傘下のプジョーフレールインダストリーが、モンベントの大株主になった。フランスの地方にあった一企業のモンベントが、世界的な知名度と200年の歴史を誇る企業グループの一員になった。
マレさんはこう振り返る。「プジョーもテーブルアート分野の再開発を望み、この分野で収益性が高く、国際的に通用するフランス企業を探していた。私たちはその条件をすべて満たしていたので、ごく自然に、あっという間に話がまとまった」
マレさんは2018~2022年に単独でモンベントの社長となり、売り上げを50%増の1150万ユーロ(約18億円)にした。さらに2021年には、モンベントはレストランの持ち帰り用など業務用の容器として繰り返し使える弁当箱「モンベント・プロ」シリーズを発売した。
「都市部では今日、使い捨て消費が問題になっている。持続可能で再利用可能な私たちの弁当箱が、消費の変革の柱になるべきだと考えた」と言う。
ちょうどフランス政府もプラスチック削減に向けて法律を整備し始め、国の政策にも合致する製品となった。ところが、売り上げは伸び、新製品を発表し、順風満帆に見える状況で、マレさんは退社を決意する。
「自分は起業家なので、健康的で持続可能な食を中心に多くのアイデアや開発したいことがあった。つまり、弁当容器からその中身に移りたかったのだけれど、プジョーの戦略にそれはなかったので、離れて自分のプロジェクトを続けることにした」
1年の充電期間を経て、マレさんは新たな一歩を踏み出す。子どもたちにとって持続可能で健康的な食に関する事業の準備を始めるという。