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「本場」のレストランでがっかりの連続 フランス料理、いったいどうした

マイケル・ブースの世界を食べる
北村玲奈撮影

私はフランスを、具体的にはフランス料理の現状をとても心配している。先日何週間か滞在したときにさんざんな食事が続いたこともあり、フランス料理は絶滅危惧種とするべきなんだろうかと思い始めたのだ。

忌まわしきウイルスのせいで世界中の多くの人が旅行もままならない中、感謝が足りないと思われたくはない。フランスにいたということ自体が素晴らしく、奇跡的なことだ。

目的は、私の50回目の誕生日を祝うこと。パーティーにお金をかけるよりも妻のリスンと息子のアスガー、エミルを連れて、パリのミシュラン三ツ星レストラン、いわゆる「グランターブル」で食事をすることにしたのだ。私たちは十数年前、パリに住んでいたことがある。ル・コルドン・ブルーで学び、いくつかのミシュラン星付きレストランで働いていた頃のことで『英国一家、フランスを食べる』という本にも書いた。

結局、グランターブルの店はどこもずっと閉まっていた。これが最初にがっかりしたことだったが、大丈夫、パリには他にいくらでもいい店がある。そうだろう?

いや違った。来る日も来る日も、前菜といえばフォアグラか山羊チーズのサラダ、ブッラータ(イタリア産フレッシュチーズ)、メインならステーキ&ポテトかマグレ・ド・カナール(カモの胸肉)かタラ、デザートはクレームブリュレ、タルトタタン、フォンダンショコラかアイスクリームといった具合に、メニューはどこも面白みのない、ありきたりなものばかり。フランスの全ビストロとブラッスリーがパリ近郊の巨大物流拠点に出来合いの料理を注文しているのかと思うほどだ(実際そうしている店も多いのだろう)。

パリを出て車で南下していくと、事態はより悪化したのだった。ペリゴール地方に来ればさらにフォアグラやカモ胸肉に見舞われるということも受け入れつつ、いっそピザで済まそうと思ったこともあった。それでも耐え忍び、ミシュランガイドやグルメ情報サイト、前に行ってよかった店の中から慎重に店を選んだ。

なのにいくつかの例外をのぞき、農村地方でも食事はひどいものだった。質の悪い食材、小手先だけの技術、判断を誤った味付け、「キュイソン」と呼ばれる火の入り具合の見極めも甘く、接客は素人っぽく、やはりメニューは判で押したよう。ブラントームの近くに新しくできたホテルの料理は、食べられたものではなかった。私たちはコースの途中で失礼したのだった。

■日本なら力になれる

これはなにごとか。価値観の転換がフランスで起きたのだろうか?厳格なアングロサクソン型資本主義やその象徴的な味であるファストフードの侵食か。フランスの人々にとって、食は何より大事なものではもはやなくなってきているのか?そうかもしれない。ここは寛大かつ楽観的になり、この悲惨な経験もロックダウン後で腕がなまっているとか、損失を補うためにコストを切り詰めざるを得ないという事情があったとしよう。誰も責められないが、だからといって努力も想像力も欠けていることの言い訳にはならない。

でも日本なら力になれるかもしれない。フランス最後の夜はパリへ戻り、シェフのグレゴリー・マルシャンが営むパリ2区のコンテンポラリー・レストラン「フレンチ」で食事をした。そこでの料理といったら今回の滞在の中でも最高だったのだ。独創的で的確、厳選された食材からは愛情と懐の深さが感じられた。

注目すべきは和のタッチが色濃く感じられるところで、特にウナギをシソの葉で巻いた一品は満場一致で「この旅の一皿」となった。アニスの実を思わせるハーブのような香りがウナギの脂の甘みを突き抜ける、この見事な組み合わせは、日本でさえお目にかかったことはない。

日本がフランスから学べることもまだ多少はあるかもしれない(特に食の優先順位が下がるとどうなるかという警告として)。しかし差し当たってフランスは、手遅れになる前に可能な限りの助けを借りたほうがいい。フランス料理が、歴史上の人工遺物となってしまう前に。(訳・菴原みなと)