日本の弁当は各国で「Bento」として受け入れられてきた。その一つがタイの「ピントー」だ。
語源は諸説あるものの、タイ語の辞書などには、古くは14〜17世紀ごろ、日本あるいは琉球から「弁当」に発音が近い「ピントー」として伝わったとの説が記述されている。そんなピントーが、コロナ禍を経て、人と人とをつなぎ、環境への負荷が少ないものとしてタイで見直されているという。
タイの首都バンコク中心部にある短期滞在用のアパートを借りている米国人男性は、アパートを経営する一家の母ニパポン・ワイヤティトーさん(66)がピントーに食事を詰めるのを待っていた。
「ここのお母さんの料理は素晴らしい。ここに滞在できてラッキーだね」。ご飯、魚のフライ、マッシュルームやカボチャのスープが入ったピントーを手渡されると、笑顔で自室に戻っていった。
同じ形の容器が積み重ねられ、持ち手が付いた形状は日本の「提げ重(提げ重箱)」とも似ている。最近ではステンレス製やプラスチック製など素材は様々だが、かつてはアルミや琺瑯(ほうろう)製などがあり、タイ語の辞書には「昭和の初めごろ神戸から盛んに輸出された」ともある。
ニパポンさんの長女で小学校教諭のアパパさん(39)は小学生のときは給食が嫌いで、母に毎日、ピントーを持たせてもらった。「私にとってピントーは母の味」と話す。
タイでは昔から農作業をするのに食事をピントーに入れて持っていったり、托鉢(たくはつ)を行う僧侶に食べ物を渡すのに使われたりしてきた。僧侶の修行経験がある男性は多く、どこの家庭にも一つはピントーがあると言われるほど、なじみ深いものなのだという。
ただ、使い捨て容器の普及など時代の流れとともにピントーの出番は減りつつあった。そこに起きたのがコロナ禍だ。
アパパさんは「コロナ前はよく、夕飯をみんなで食べていたが、コロナが広がってから、母はピントーに入れて宿泊客や近所の知人におかずを渡すようになった」。アパパさんと大学からの友人で、家族ぐるみの付き合いをするドンルタイ・チャロームラックさん(39)も「コロナの感染拡大時は、互いの自宅は離れていても宅配業者に配達してもらい、母親同士がピントーに入れたおかずを交換していた」。コロナ禍で人と会えない間も、ピントーに食事を詰めて友人たちに渡す。ふたを開けば、自分のために思いを込めて作ってくれた食事がある─。ピントーは、コロナ禍で離れた友人たちをつないできた。
ピントーが見直されたもう一つのきっかけが、タイ政府が力を入れるプラスチック削減だ。「洗いやすく再使用できる」と、環境問題に敏感な若い人の間でも見直されるようになった。
バンコク市内のカフェ「パトム・オーガニック・リビング」では、ランチを注文して外で食べたいと伝えると、店が用意したピントーに入れて渡してくれる。メニューはパッタイ(焼きそば)やサラダ、デザートなど季節に応じて変わる。
カフェのオーナーのアナック・ナワラートさんは「プラスチックの皿や箱は使わず、ピントーを使うことで、持続可能性を重視したい。ピントーはタイの伝統であり、ゴミを減らす方法でもある」と話す。
米や野菜、果物はオーガニックだ。「コロナを機に、誰もが健康に気を配るようになり、口にする物への人びとの関心も高まった。そしてピントーが食事を入れる器として安全だと認識していると思う」