私が最初にミャンマーを訪れたのは30年前。
第一印象は、パゴダ(仏塔)の国。どこを見てもパゴダが視界の中に入ってくる。その黄金の輝きと参拝する人々。私が暮らしているタイも仏教の国として有名だが、そんな私でさえ、ミャンマーの人々の信仰心の篤さに驚いた。
最大都市ヤンゴンから北へ300キロのバゴー地域・ピィ。街を大河エーヤワディー川が流れ、ミャンマーの三大バゴダとして知られるシュエサンドー・パゴダがある。街の中心の丘に黄金に輝き、参拝する人々が絶えない。
街の外れには、ヤダナ・ミンズリー児童養護施設がある。昼食前の時間になると顔に白っぽいミャンマー伝統の顔料の「タナカ」を塗った子どもたちが食堂の床に座る。全員が両手を胸の前に合わせて感謝の祈りと合掌。普段の食事は、ご飯と野菜のカレー等のおかず一品だけだが、この日は、寄付者が現われて特別の昼食で、ご飯に魚のカレーと野菜のス―プだった。肉や魚は特別なご馳走。祈りが終わると一斉にスプーンを手に食ベ始める。何度もお替りをする。男の子も女の子もない。小さな子どもたちも負けていない。
施設は、仏教の尼僧ドーワナティリさん(51)が2007年に開設した。内戦で死と隣合わせの子どもたちの現実を知って、孤児たちの母になると決意した女性だ。最初は7人。今は、赤ちゃんから高校生まで350人が同じ屋根の下で暮らす。内戦が激しかったシャン州、カチン州、カレン州、ラカイン州等で両親を亡くしたり生き別れたりした少数民族の子どもたちが多く、内戦の影響から子どもたちは増え続けた。今では敷地内に、政府から認可された小学校、中学、高校も併設し、施設外から90人が通う。
私が最初にこの施設を訪問したのは、民政移管から1年後の2012年。当時は230人の子どもがいたが、半分以上の子どもたちは無国籍。「女子寮」と呼ぶ建物は、竹を編んだ囲いの上にトタン板の屋根が載っているようなもので、「家畜の小屋」と見間違えるようだった。そこは昼は教室、夜は子どもたちが寝る寮でもあり、その様子は、38年前のカンボジア難民キャンプやバンコクのスラムの生活を思い出させるようなものだった。私たちは、あまりに劣悪な教育環境を目の前にして、2014年に2階建ての女子寮兼教室の建設を支援することを決めた。
仏教国ミャンマーには、一般的な教育省が管轄する公立学校と別に宗教省が管轄する仏教の僧院学校がある。この施設も僧院学校の一つ。その歴史は王朝時代の11世紀に遡るともいわれている。日本の寺子屋教育に近い存在だ。ミャンマーの誇る高い識字率もこの僧院学校が支えてきた。ミャンマー国内には、1,500以上ある。学費や教材、制服や食事が無料で支給され、貧困家庭の子どもたちが多い。道徳教育に力を入れており、伝統的な暗記中心だった公立校の教育を敬遠する親が通わせるケ―スもある。また、公立学校の整備されていない地方の農村や貧困層の子どもたちの教育の機会を支えてきたセーフティネットでもある。
こうした僧院学校の運営費は、基本的に信者からのお布施で成り立っている。ヤダナ・ミンズリー児童養護施設の場合、350人分の食事代(1日3食、肉無し野菜カレーとご飯)と教員18人の給与を含む1カ月の運営費は、どんなに切り詰めても40万円はかかる。政府からの唯一の支援として教員5人分の給与(15000円)が支払われてはいるが、それも数カ月の遅配が当たり前だ。
しかし、そんなにお布施が集まるのだろうか。日本人の感覚からすると想像しがたいが、実はミャンマーは「寄付大国」だ。英国のチヤリティ・エイド・ファンデーション(Charity Aid Foundation)が毎年発表する世界寄付指数(World Giving Index)では、ミャンマーは世界140カ国の中で2014年~2017年まで4年連続世界一。寄付指数とは、1ヶ月の間に①支援を必要とする見ず知らずの他人を助ける②チャリティー団体等に寄付をする③ボランティア団体に自分の時間を提供する、の3項目が指標で、ちなみに日本は、2017年は111位。隣国で同じ上座部仏教国のタイやラオスもお布施と功徳を大切にするが、上位には入っていないことからも、その突出ぶりが想像できるだろう。
ミャンマーがバゴダの国と呼ばれるのは、常にパゴダや寺院が修復され、黄金に輝いているからだ。そしてその輝きは、人々の寄付によって支えられてる。貧しい農村の僧院学校も、また同じなのだ。