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70年以上続くミナミのキャバレーと織田信長、比較すれば経営者のあるべき姿が見える

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お酒のグラスが並ぶ写真
写真はイメージです=gettyimages

「はじめまして、サチコといいます」

そう言いながら私の隣に座り、名刺を出した女性は40代の半ばくらいだろうか。

何と言って良いのかわからず固まっていると、私をこの店に連れてきてくれた加藤さんがおもしろそうに笑う。

「桃野さんと同世代ですよね。でもサチコさん、このお店では若手なんです」

そのお店は、大阪ミナミにある「ミス・パール」という。

戦後すぐから営業をはじめたというので、70年以上も大阪の地で愛されている老舗の有名キャバレーだ。

しかしキャバクラやキャバレーといえば通常、若い女性がオッサンをおだて、高価な酒を勧めて儲けようというお店ではないのか。

加藤さんの馴染みだという、さらに年上に見えるホステスさんは、

「加藤さん、ウチ2軒めなんでしょ?もう飲んだらダメです!」

といいながら、グラスを取り上げてしまった。

何から何まで、ぜんぜん意味がわからない。

「桃野さん、日本中のキャバレーが潰れていく中で、なぜこのお店が生き残れているのか、わかりますか?」

「さっぱりわかりません。ただ、ここがとてもスゴイお店ということは、なんとなくわかります」

「ですよね。でももっとスゴイもんお見せしますよ。ちょっと一緒にトイレに行きましょう」

そういうと加藤さんは私を連れ、トイレ近くの薄いカーテンで仕切られた小部屋を覗くよう促した。

(すごい…マジか…)

その先には、想像を絶する光景が広がっていた。

そして、そのお店が老舗になり得た凄さの全てまでも。

「オレに逆らいやがったな」

話は変わるが、「織田信長の重臣といえば?」と聞かれたら、誰の名前を思い浮かべるだろうか。

おそらくほとんどの人が、羽柴秀吉、明智光秀、柴田勝家、前田利家といった有名どころを挙げるのではないだろうか。

しかし信長が本能寺の変で命を落とす2年前、1580年までの織田家筆頭の家老といえば、自他共に認める宿老・佐久間信盛がその人であった。

佐久間は信長の父、信秀の時代から織田家に仕え、幼い頃から信長を支え続けた重臣である。

家督争いに際し、早々に信長を支持したことから重用され、以降主だった戦の多くに参戦し大きな手柄を挙げてきた猛将だ。

近江六角氏の攻略、長篠の戦い、伊勢や越前での一向一揆戦などで戦功を挙げ、信長の天下取りを初期から支え続けた、忠義に厚い有能な武将であったと言ってよいだろう。

しかし急成長を続ける織田家という組織は、武辺者として“経営トップ”を支えてきた佐久間にとって、だんだんと手に負えない規模になっていく。

さらに徳川家康を始めとした諸大名との同盟、軍勢の大規模化、鉄砲を中心とした技術の進歩など戦争の複雑さが増していくと、その指揮は精彩を欠くようになり失態が目立ち始めた。

そんな佐久間にとって、人生を暗転させる出来事になったのが1576年から参戦した石山の本願寺城攻めであった。

この攻囲戦で指揮を執った佐久間は、鉄砲で重武装し籠城する敵に攻め手を欠いた。

さらに海上からは毛利や村上の水軍が城を支援したこともあり、何もできないまま5年ほどの月日が流れてしまう。

その結果、追い込まれた信長は最終的に本願寺との和睦を選択せざるをえない形で、戦を終わらせることになった。

この後の、佐久間に対する信長の怒りは激烈そのものであった。

30年にわたり自身を支えてきた佐久間に対し、世に知られる19ヵ条の折檻状(譴責状)を突きつけ、高野山に追放してしまうのである。

その内容は「人望の無さ」「職務怠慢」を具体的に責めるなど苛烈なものであったが、中でも印象深いのは「信長に逆らい、顔を潰したこと」を挙げている点である。

黎明期から信長を支えてきた自負もあり、佐久間は信長への直言を恐れなかった。

しかしそれすらも信長は許さず、怒りを溜め込んで、追放の理由として具体的に挙げたのだった。

さらに信長の怒りは、これでも収まらない。

高野山に追放された後の佐久間は、たったひとりの従者や家来も持たずに細々と暮らすのだが、

“「高野山に住むこと叶うべからず」という厳命が下り、吉野の奥、十津川山中武蔵の里に落ちた”(奈良県観光公式サイト

とされ、慎ましい安住すら許されず奈良・十津川村の山奥に追い立てられ、同地で客死しているのである。

鎧の写真
写真はイメージです=gettyimages

これを現代の企業経営に例えれば、ベンチャー企業の社長が、黎明期から30年にわたり共に歩んできた副社長を追放するようなものだろうか。

なおかつ解任の理由として、

「お前は無能で人望がなく、しかもことあるごとにオレに逆らい続けて顔を潰してきた。絶対に許さねえ」

などと役員会で面罵し、さらに公式SNSで発信しプレスリリースまで打つようなものである。佐久間の無念さが痛いほど伝わるだろう。

しかも、余生を小さな企業の顧問として暮らそうとしていたら、

「アイツを今すぐ解雇しないと、あらゆる嫌がらせをする」

と再就職先に圧力を掛けてきたようなものなのだから、もはや狂気である。

信長が本能寺の変で討たれた理由に、光秀に対する屈辱的な扱いの数々を挙げる歴史家は多い。

しかし人間としての尊厳を奪われたという意味ではむしろ、光秀よりも佐久間信盛の方がはるかに悲惨だと考えるのは、きっと私だけではないだろう。

そのような信長の、リーダーとしての価値観や立ち居振る舞いが本能寺の変を呼び込んだのであれば、人の感情として全く違和感がない。

急速に成長する企業・組織において、古参社員の配置や処遇を誤るとロクなことにならない。その真理は、信長の時代も令和の今も大した違いなどない。

「やっと自分の居場所を見つけられた」

話は冒頭の、大阪ミナミにある「ミス・パール」についてだ。

加藤さんに連れられて覗いた小部屋の先で、私は何を見たのか。

薄いカーテンで仕切られた小部屋の中では、どうみても “おばあちゃん”といえる年齢の女性たちが、テーブルにジュースやお菓子を広げて雑談を楽しんでいた。

それはまるで仲良し町内会の寄り合いのようでもあり、場違いな光景に驚いていると加藤さんが耳打ちをする。

「ここにいる人たち、皆さんホステスさんです。80代の人も何人かいます」

呆気にとられながら席に戻ると、サチコさんが説明をしてくれた。

「ベテランのホステスさん、みんな長年のお客さんのご指名なんです」

「本当ですか!?」

「はい、姉さんたちを指名するお客さんはみんな、30~40代の頃からお店に遊びに来てくれている常連さんです。仕事を引退し80~90歳になった今も、遊びに来てくれるんですよ」

「…すごい」

「姉さんたちを指名して、1時間だけお酒を飲んで帰るんです。もう50年も指名しているので、居心地がいいんでしょうね。姉さんたちは、そんな常連さんのためにあの部屋で待機しているんです」

そしてサチコさんは、このお店ではお客さんとの長いお付き合いと健康を第一に考えるので、無理にお酒を勧めるホステスなど一人もいないこと。

給料も歩合はほとんど無く、無理にお酒を飲んだり飲ませたりして得をする仕事の仕組みにもなっていないこと。

さらにお店は23時キッチリに閉店し、会社の責任で全てのホステスが家まで送ってもらえることなどを説明してくれた。

なんという“当たり前だけどスゴイこと”だろう。

金儲けを考えるなら、調子に乗ったオッサンになどいくらでも酒を飲ませ、取れるだけ金を取ってしまえばいいのである。

若い女性も歩合制にして使い潰し、いくらでも入れ替えたらいいだろう。

しかしそんなことをして儲けられる金額など多寡が知れており、お客さんも従業員も誰も幸せにならない。

その程度のありふれた飲食店など掃いて捨てるほどあるので、もちろんお店も長続きするわけがない。

つまりこのお店は、「お客さんと従業員の長く続く幸せ」で他店と差別化し、結果として適切な利益を上げ続け、いつの間にか老舗になっていたということだ。

言い換えれば、何ら特別なことをしないことが、このお店を特別な存在にしてしまったということである。

ミス・パールのそばでキャバレーとして営業していた建物の室内
ミス・パールのそばでキャバレーとして営業していた建物の室内。この時、一夜限りの復活営業を果たした。客席やダンスフロア兼ステージが当時の趣を残す=2015年5月、大阪市中央区千日前2丁目、宮崎亮撮影

そして話は、信長と佐久間信盛、織田家の盛衰についてだ。

結局のところ、信長が追求した「短期間での急激な成長」のやり方は、目先の金儲けを求めるキャバクラ経営にも似て、誰も幸せにしないリーダーシップだったのではないのか。

競争至上主義で家臣をすり潰し、適切なポストを用意できなくなるとパワハラで追い込んで、最後には見せしめでクビにするなど、恐怖で組織を統制するリーダーシップである。

戦国時代という時代背景を割り引いても、結果として織田家が瓦解したことを考えれば、信長のマネジメントは決して評価できるものではないのだろう。

長く続くビジネスモデルで、顧客と従業員に多くの幸せを提供できるリーダーシップのヒントは、天下人よりもむしろ大阪の老舗キャバレーにあるということだ。

もう何年も前の話のご紹介だったが、帰り際にサチコさんがこんな想いを聞かせてくれたことが今も心に残っている。

「お客さんと自分の健康を守りながら、少しでも幸せな時間を過ごして頂くこと。それがホステスの仕事なんだと、やっと自分の居場所を見つけられた気がしています」

北新地のNo.1にも昇った事があるという彼女が最後にたどり着いた、安住の境地なのだろう。

従業員自身が幸せでなければ、顧客に幸せを提供することなどできない。

しかし従業員自身が幸せであれば、放っておいても顧客に幸せを提供してくれるようになる。

そんなことを改めて教えてくれるお店と経営者から、リーダーたちが学ぶべきことは多い。