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パリ五輪の柔道「理解されないから脱退」は国益か 毎朝のトイレ掃除に学ぶ凡事徹底

桃野泰徳の「話は変わるが」~歴史と経験に学ぶリーダー論 更新日: 公開日:
パリ五輪金を決めた阿部一二三
パリ五輪柔道男子66キロ級決勝で一本勝ちをし、金メダルを獲得した阿部一二三(左)=長島一浩撮影

「日本不利」「不公平で不正」

そんな話題が目立つ中で終わった、パリオリンピック。

今大会は特に、柔道でそのような意見を目にすることが多かったのではないだろうか。

SNSやニュースサイトのコメント欄で特に目立ったのは、以下のような意見だ。

「こんな技、柔道ではない」

「審判のレベルが低すぎる」

SNSのみならず、大手メディアでもこんな記事が掲載されるまで、柔道の“在り方そのもの”が話題になった。

こういった記事やネット上での意見は要旨、以下のようなものだ。

「レスリングのような技で一本とか、あんなもの柔道ではない」

「講道館柔道の精神に立ち戻り、IJF(国際柔道連盟)から脱退してJUDOとは距離を置くべき」

オリンピックの熱量の中ということもあり、このような意見は盛り上がりをみせる。

それだけでなく、反対意見の識者を叩くような空気感すら広がった。

しかしその上で敢えて“逆張り”すると、このような意見はとても危険であり、絶対にやるべきではないのではないか。

「政治力」で負けたうえで組織から脱退するなど、歴史的に見てもロクなことにならないからだ。

「社長が白々しいことをはじめた」

話は変わるが、自動車用品販売大手「イエローハット」についてだ。

鍵山秀三郎氏(以下敬称略)が28歳の時に創業した「ローヤル」がその前身で、2024年3月期決算の売上高は1,400億円余り。

一代でここまでの巨大企業を作り上げるなど、文字通り、歴史に名を残す経営者の一人といってよいだろう。

しかしその鍵山。

創業時は売上どころか、会社としてまともな体をなさないほどの悲惨な状況に長く苦しむ。

誰も備品を大事に使わない。

営業車の事故率も高く、事務所はいつも汚れ放題で仕事にならない。

それもそうだろう。

イエローハットが創業された1961年といえば、1964年の東京オリンピックの3年前で、戦後の世相を色濃く残していた時代だ。

いわゆる「暴走族」の前身ともいえる「カミナリ族」が流行っていた頃合いであり、“ちっぽけな街の自動車屋さん”に入社してくれるのは、やんちゃな若者ばかりである。

いうことも聞かず、まともに仕事もせず、事故率が高いのもある意味で当然だ。

そんな状況に、鍵山はどうしたか。

「なんで掃除をしないんだ!」

「車や備品は大切に扱えって言ってんだろ!!」

「お前なんかクビだ!」

おそらく普通に思いつく対応策と言えば、そんな説教で怒鳴り散らすことだろうか。

私自身、自分が同じ立場であればそんな“キレかた”をしない自信がない。

しかし鍵山は違った。

それら“やんちゃ社員”たちに何も言わず、毎日早朝から誰よりも早く出社をすると、会社のトイレ掃除を始める。

たった一人で、しかも素手でだ。

トイレ掃除の様子
トイレ掃除のイメージ写真です=gettyimages

考えてもみて欲しいのだが、自分の上司や社長が毎日、誰よりも早く出勤し、素手でトイレ掃除をしているのを見たら、どんな気持ちになるだろうか。

自分が汚し、汚物で散らかし、ツバすら吐いたような床を、素手で掃除しているのである。

便器の中にも手を入れ、裏の黄ばみまで素手でこそげ落とすようなことまで、鍵山はやった。

そんな上司や社長の「鬼気迫る掃除」を目撃してもなお、床にツバを吐けるようなヤツは、さすがに人として狂っている。

最初でこそ、この鍵山の行動を見て多くの社員は、

「また社長が白々しいことをはじめた」

くらいに思っていたようだが、その掃除が1カ月、3カ月、半年、1年と続いていくと、少しずつ変わり始める。

自主的に掃除に参加する社員が増え始め、オフィスを汚すものもいなくなると、営業車も大事に扱われるようになり、事故率も劇的に下がり始めた。

その後、会社は順調に成長し始めるのだが、しかしそれでもなお鍵山は、「早朝の便所掃除」をやめることはなかった。

そんな生活からずいぶん経った後に、鍵山はメディアのインタビューにこんなことを答えている。

「掃除の大切さが社内に浸透するまで、30年かかりました」

このお話から、どんなことを感じるだろうか。

数字ばかりみて汗をかかず、現場に降りてこない製造部長。

リスクばかり語り、何かをした気になっているエセ管理職。

そんな上司に苦しんでいる人にとっては、とても羨ましい話ではないのか。

あるいは、自分がそんな上司かもしれないと自覚のある人にとっては、耳の痛い話だろう。

そんな鍵山には若い頃から、座右の銘にしている禅宗の教えがある。

「唱道(しょうどう)の人多けれど、行道(こうどう)の人少なし」

道を説く人は多いが、道を行う人は少ないという意味である。

この座右の銘を実践するかのように、鍵山は率先垂範でただ黙って、行動をもって自分の価値観を組織に浸透させたということだ。

このようなお話を、昭和の時代遅れの価値観と考えるのか。

令和の時代にも通じるリーダーシップであると思えるのか。

是非一度、多くのリーダーと呼ばれる人たちに、考えてみてほしいと願っている。

掃除をする鍵山秀三郎さん
歌舞伎町の街頭を掃除するイエローハット創業者の鍵山秀三郎さん=東京都新宿区、川戸和史撮影

凡事を徹底し非凡に高める

話は冒頭の、パリオリンピック柔道についてだ。

なぜ、「政治力」で負けた上で組織から脱退するなど、ロクな事にならないと考えているのか。

「我が代表、堂々と退場す」

例えばこんな言葉で有名な歴史の一コマを評価する人は、相当な少数派だろう。

松岡洋右・国連(国際連盟)全権大使が1933年、総会決議に抗議して会場を去り、脱退するシーンである。

以降日本は欧米との対立を深め、戦争への道を引き返せなくなったターニングポイントの一つとなった。

常任理事国であり、列強として十分な国際的地位があったにもかかわらず、だ。

そこに至る流れは、満州事変からリットン調査団の報告書、満州国設立承認の可否へと続き、複雑な政治事情があるが、本論でないのでここでは触れない。

しかしながら、確実に言えるのはこの時、日本は国際的な政治力学で完全に敗れたということだ。

自分たちが考える正義を世界から圧倒的な多数で否定され、それを不服として常任理事国の立場を失ってでも、国際連盟から脱退する道を選ぶ。

有力メディアはこの決断をこぞって、「我が代表、堂々と退場す」と報じ、松岡を英雄扱いし、世論も支持する。

その延長線上で、日本と欧米は対立が先鋭化し、結果として悲惨な敗戦の道を突き進むことになる。

歴史の結果論という割引があるのになお、「我が代表、堂々と退場す」を正しかったと考える人は、相当に頭がおかしい。

そしてそれは、国際柔道連盟でも同じではないのか。

自分たちが考える正義・価値観を受け入れられなかったからといって、メジャーな団体から脱退し孤立の道を選ぶなど、良い結果になるはずがない。

そんな行動を支持することが、本当に“柔道”の発展のためになるだろうか。

会議場を出る松岡洋右
国際連盟総会が、満州国などをめぐるリットン調査団の報告書を採択したため、反対声明を発表した松岡洋右首席全権(中央左)は代表団を引き連れて会議場から退出してきた。日本は国際連盟を脱退することになった=スイス・ジュネーブの国際連盟会議場

そして話は、鍵山秀三郎についてだ。

彼が会社を起こした当初、多くの社員は彼の考えも気持ちも価値観も、何もかも理解しなかった。

その結果として鍵山が社員にキレ散らかし、片っ端からクビにしていたら、今のイエローハットは無かっただろう。

だからこそ鍵山は、自分の価値観を愚直に行動で示した。

異なる価値観で生きてきた“他人”を変えるには、それしか無いことを確信していたからだ。

1961年(昭和36年)という、パワハラこそ正義な時代背景を考えても驚きでしか無い。

そしてその第一歩は、ただただ

「誰よりも早く出社し、便所掃除をした」

だけに過ぎない。

極論すれば、誰にでもできることをやり続けただけである。

そういえばパリオリンピック閉幕後、こんな記事を目にすることがあった。

要旨、国際柔道連盟が阿部のパリでの戦いぶりを名指しして、

「“judo”という言葉は品格を持った在り方を意味する」

と称賛したという内容だ。

阿部の戦いぶりだけでなく、畳を降りる時に座礼をするなどの所作をも、高く評価している。

これこそがまさに、「愚直に続けるべき、便所掃除」ではないのか。

柔道本来の在り方、美しさを、その発祥の地として価値観とともに伝えること。

その努力を続けることこそが“道”のはずだ。

日本の考える“柔道”に普遍的な価値観と美しさがあるのであれば、それは国際団体にとどまってこそ、主張する価値がある。

余談だが、鍵山は自身の掃除を「凡事を徹底し非凡に高める」と表現している。

「凡事徹底」を座右の銘にしているビジネスパーソンは多いと思うが、それではまだありふれている。

凡事を徹底し続けて、非凡の域にまで到達してこそ、「凡事徹底」は完成すると信じている。

正座で一礼し畳を降りる阿部一二三
パリ五輪柔道男子66キロ級で金メダルを獲得し、畳を降りる際、正座して一礼する阿部一二三=長島一浩撮影