私には、昔からどうにも強い違和感があり、今でも疑問に思っている“名言”がある。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
という、ドイツ・ビスマルク首相の言葉とされているものだ。
ドイツ統一を成し遂げた、19世紀を代表する現実主義的な政治家の遺訓として知られる。
一般にこの言葉は、
「愚か者は自分自身で痛い目にあわないと理解できないが、賢者は歴史から学び理解する」
というような文脈で使われる事が多い。
しかし冷静に考えて、そんな賢者などいるわけないだろう。
むしろ自己啓発本や、「偉い人」の本を少し読んだだけでわかったような気になる者こそ愚か者というのが、世間の相場である。
本当に、ビスマルクのような実績ある政治家がこんな嘘くさい教訓を残しているのだろうか。
「次の仕事は決まってるんか?」
話は変わるが、かつて私が地方のメーカーで経営の立て直しに携わっていた時のことだ。
どんな仕事や立場にもストレスはあるものだが、このポジションでもっとも辛かった役割の一つは、
「前任者のやらかしたことについて、結果責任を追及される」
ことだった。
「なんだ、そんなの当たり前じゃないか」
というお叱りを受けるのはもちろん理解している。
そのような批判は覚悟の上で、少し子供っぽい愚痴にお付き合い頂きたい。
取締役に就いたばかりの頃、ある株主が初対面の私を、こんな言葉で責めたことがあった。
「ウチは1億円を投資してるんですよ、経営をなめてるんですか?」
またある顧客から呼び出された時には、こんなことを言われたこともある。
「お前んトコ、まともに商品を納める気あるんか?ええ加減にせーよ」
正直な心の叫びを言うと、「しらんがな」である。
いい加減な資金管理をして、無駄に金を溶かしたのは前の財務責任者だろう。
ムチャなコストカットで悲惨な製造ラインを作り上げたのは、前の製造責任者だ。
(俺がやってないことまで、俺に言うなよ…)
そんな言葉が何度も喉まで上がってくるが、しかしそれを口に出したら、
「私だって寝てないんだ!」
と言ってしまいえらいことになった、あの食中毒事件の偉い人と同じになってしまう。
どれだけムカつこうが、前任者の結果責任こそが自分の仕事と言い聞かせ、やるべきことに取り組み続けた。
そんな中、数年間を経てなんとか“潰れない状態”にまで経営を回復させた時のこと。
M&Aの仲介会社から、会社を買いたいというオファーが2件、持ち込まれる。
A社は同業大手で、お互いの利害が一致したこともあり破格の条件が提示された。
一方、B社は相場の半分程度のオファーであり、特段の魅力があるものではない。
そのため経営トップから了解を取ると、A社との交渉を進め、話を無事にまとめることに成功する。
するとそこに、B社から思いがけない横やりが入る。
要旨、個人的な利益を供与するので話をひっくり返してほしいと、経営トップに依頼するものだった。
条件提示では負けても、経営トップ個人を取り込めば逆転できるということなのだろう。
不在時にそんな話が進んでいるなど思いも寄らなかった私は後日、経営トップに呼び出されると、こんなことを告げられる。
「今回の売却先やけど、やっぱりB社に変更したい。追加条件を考えた結果や」
「社長、何を言ってるんですか。この追加条件で、それに今さらそんな決定が通るわけないでしょう」
「金額だけやない、ウチの事業を継ぐのはB社のほうがふさわしいという判断や。悪いけどA社と株主にはキミから丁寧に説明してくれ」
「メチャクチャです、A社と株主に訴えられたら負けますよ?」
「もうええ、決めたことや。これ以上の議論は要らん」
「…」
道徳的な是非はともかく、完全にB社の作戦勝ちである。
とはいえ、他の株主には不誠実な損失を与えることになるのだから、納得の行く説明などできるはずもない。
しかし役員会で決定された以上、その説明と同意の取り付けは当然、私の仕事になる。
そのため株主一人ひとりを訪問し、
「総合的な判断で、事業の売却先は最終的にB社になりました」
と説明するが、予想通りどこに行っても強烈な怒りをぶつけられた。
中でも応えたのは私をかわいがってくれた、親子ほどに年齢の差がある大株主からの叱責だった。
食品大手の常務取締役で、物心ともに会社を支え続けてくれた文字通りの恩人である。
「…もう少しやれると思ったんやけどな。キミにはガッカリしてる。今からでもいいからもう一回ひっくり返せよ」
「申し訳ございません、変更はありません。株主としての権利を行使されるのであれば、書面で申し入れて下さい」
「もうええ、わかった。その二束三文で売る。手続きを進めろ」
それだけを言うと、常務は足早に部屋を出ていってしまった。
(お茶が熱いうちに話を打ち切られたのは初めてだな…)
一人残された応接で、湯呑から立ち昇る湯気を見つめながら、そんなことを考えていた。
結局、B社への事業売却を全て完了させると私は会社を去ることを決める。
そしてお世話になった株主や銀行などへのあいさつ回りを始めるのだが、しかし株主の中にはさらに辛辣な言葉をぶつけてくる担当者や、そもそも会ってくれない人すらいた。
(神も仏もねえな…理不尽な思いをしながら、何のために会社を立て直してきたんだろう)
そんなことを考えながら、最後に辞任のご挨拶に行った株主が、先の常務だった。
「大変お世話になりました。力不足をお詫び申し上げます。心から感謝しています」
「キミに期待してたのは本音や。残念やわ」
「…申し訳ございません」
「もうええ、わかった。ここから先は個人としての会話や」
「…はい」
「B社への売却、キミが賛成したわけないことくらい俺はわかってる。おおかた、社長が鼻薬を嗅がされたんやろ。違うか?」
「…」
不本意な売却も舞台裏も、全てお見通しだった。
何も言えず、ただ無言でいることしかできなかった。
すると常務は、さらに言葉を続ける。
「まあええ。次の仕事は決まってるんか?」
「…白紙です。明日から就職活動です」
「そうか、そうやろうな。ならキミにやってほしい会社があるねん」
「…は?」
「俺が何の目的もなしに、人と会うと思うか。この会社や」
そう言うと常務は、ある会社の財務サマリーなど数枚の紙を示し、その会社のCFOとして経営を立て直してほしいこと、必ず期待に応えてくれると信じていることなどを一気に話す。
何をどう答えるべきか、情報量が多すぎて意味がわからない…。
ただ、全てのことが報われたような想いで胸が一杯になり、スーツの膝を掴んで涙を堪えるのが精一杯だった。
電車に乗る時、駅舎から見える常務の本社ビルに向かい心からのお辞儀をしたこと、一生忘れることはない。
“愚者の経験”こそが…
話は冒頭の、ビスマルクについてだ。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
という言葉になぜ違和感があるのか。
結論から言うと、ビスマルクがこのような言葉を言ったという信頼性のある一次資料について、随分探してみたのだが結局、今も探し当てることができていない。
それを裏付けるように、国立国会図書館のレファレンス協同データベースには、島根県立図書館から国立国会図書館に問い合わせたやり取りとして、要旨以下のような記述がある。
【照会内容・抜粋】
(1) 有名な言葉ということで、当館所蔵の「名言・格言辞典」を中心に探すが、該当なし。
(2)ビスマルクの言葉として数多く引用されているものがあるが、いずれも出典不明(訳のためか、文章も多少異なる)。
【回答・抜粋】
以下の資料及びインターネット情報に、該当の言葉と思われる内容がある。
・「戦略論:間接的アプローチ」(原書房、1986)p2
「愚者は体験によって学ぶという。私は他人の経験によって利益を得ることを好む」
「よくわからないけど、この本とネットには似たようなことが書いてるね」
という趣旨の、国立国会図書館の回答である。
しかしビスマルクと言えば外交官出身であり、
「ドイツの統一は血と鉄をもって解決されるべきである」
という演説が有名なほどに、武力と力技でドイツ統一を成し遂げた人物である。
また時代は、欧州各国が世界中を武力で植民地化し、あるいは代理戦争の内戦を煽るなど、武力こそが正義という常識がまかり通っていた19世紀だ。
であれば、仮にこれが本当にビスマルクの言葉であったとしても、
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
などとカッコよく意訳するのは、無理があるだろう。
解釈はそれぞれにお任せしたいが、だいぶ違うニュアンスに思えるのではないだろうか。
そして話は、株主の常務から頂いた言葉についてだ。
「見ている人は必ず見ている」
というようなキレイごと、経営の立て直しに携わっていた時に信じたことなど一度もなかった。
最後の最後、思わぬ言葉を掛けて頂く瞬間まで。
しかし今ではこの価値観を、
「良いことも悪いことも、普段の立ち居振る舞いで大体のことはバレてる」
と解釈の幅を広げ、そして確信している。
おそらく多くの人の肌感覚でも、違和感がない事実ではないだろうか。
言葉としていくら刷り込まれても信じていなかった価値観だが、“愚者の経験”が、この言葉を本物の血肉に変えてくれたということである。
そもそも、歴史や本から学んだだけで賢者になれるなら、三国志マニアは皆、諸葛亮(孔明)である。
司法試験に受かれば誰でも一流の弁護士で、大学を卒業したら学者にだってなれるだろう。
しかし現実は、そこはただのスタート地点にすぎない。
であれば、人生の本当のところは、
「賢者は歴史に学び、経験で答え合わせをする」
というのが真実ではないだろうか。
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