1. HOME
  2. World Now
  3. 日露戦争を勝利に導いた大山巌はなぜ理想のリーダーなのか「何もしない」ことのすごさ

日露戦争を勝利に導いた大山巌はなぜ理想のリーダーなのか「何もしない」ことのすごさ

桃野泰徳の「話は変わるが」~歴史と経験に学ぶリーダー論 更新日: 公開日:
陸軍元帥だった大山巌
陸軍元帥だった大山巌=朝日新聞社

「歴史に残る優れたトップリーダー」と聞かれたら、どんな人物を思い浮かべるだろうか。

織田信長のような、強烈なトップダウンタイプ。

アンドリュー・カーネギーのような、傾聴力に優れたタイプ。

スティーブ・ジョブズのような、天才肌。

人によってイメージも理想も様々だと思うが、私には昔から一人だけ、

「こんなリーダーシップ、本当にありえるのだろうか…」

と、疑問に思っていたリーダーがいる。

日露戦争においてロシア軍を打ち破り、世界を驚かせた大山巌・日本陸軍元帥だ。

西郷隆盛のいとこであり、太平洋戦争で日本が敗れるまで理想のリーダーとして、多くの人の尊敬を集めた人物である。

日露戦争時の満州軍総司令官、大山巌・陸軍大将
日露戦争時の満州軍総司令官、大山巌・陸軍大将=1904年、朝日新聞社

しかしその語られるところは、ある意味で異質だ。

部下に仕事を任せ、自分は何もしない。

いつもニコニコしているだけで、部下の仕事に一切口を出さない。

「責任は私が取るから、好きにやりなさい」と言って、職場にもロクに顔を出さない。

その姿勢は徹底しており、日露戦争のさなか、ロシア軍の総攻撃を受け大混乱する司令部にひょっこり顔を出すと、

「外が騒がしいですね、何かあったんですか?」

と、ニコニコしながら聞いたというエピソードがあるほどだ。

こんな総大将が優れたリーダーであるなどということが、本当にあり得るのか…。

しかしその大山を実務面で支えた児玉源太郎・総参謀長は

「ガマ坊(大山)だったからこそ、日本は勝てた」

と後々まで語るなど、心からの敬意を語り続けている。

理屈ではなんとなくわかるものの、こんなリーダーが職場にいたら間違いなく部下から舐(な)められるだろう。

肌感覚に合わない違和感を長年持ち続けてきたのだが、しかしいいオッサンになった今は、こう思っている。

「叶うなら、大山巌のような優れたリーダーになりたい」と。

「もう帰るつもりか!」

話は変わるが、昔、ある中堅メーカーでCFOをしていた時の話だ。

取引先などから多額の支援を受け、また数億円の銀行借り入れもリスケしながらなんとか資金を繋(つな)いでいたが、業績は一向に上向かない。

「法的整理も現実的な選択肢か…」

そんな考えが頭をよぎるなど、経営は非常に追い込まれていた。

こうなると、株主からの追求は本当に厳しいものになる。

役職員の給与カットはもちろん、結果を出せない幹部の解任、従業員の整理など容赦ない要求が叩きつけられる。

役員会には毎回、大株主が出席し、赤字を出し続ける事業本部長への厳しい追求が続いた。

「なぜ営業計画が予定通りに進んでないのでしょうか。どうすれば計画を達成できるのか、説明して下さい」

「連日、遅くまで営業をしているのですが…。今後は土日も休まず、寝ずに営業します」

「精神論はやめて下さい。数字を上げられない理由を説明し、その解決策を出すよう求めているんです!」

「…」

大手商社の出身で、やり手という話だった本部長は全く機能しない。

定量的な会話を求める株主からの追求に精神論で返すなど、噛み合わない状況が続く。

「3週間後にもう一度、臨時の役員会開催を要求します。本部長はそれまでに、現実的な改善計画を作成して下さい」

「…わかりました。次回は営業部長と製造部長の2名も参加させ説明させます」

こうしてなんとか終わったその日の役員会だったが、翌日からが悲惨だった。

本部長は営業や製造など各部を回ると、ヒステリックに怒鳴りながら思いつきの指示を繰り返す。

「フロアの照明は間引きにしろ!」

「今の5倍の数を回れる営業計画を作れ!」

さらに20時、21時になり営業部の社員が帰ろうとすると、

「成果も出てへんのに、もう帰るつもりか!」

と引き止めるなど、もはやカオスだ。

(負けをこじらせると、こうやって指揮官から組織が崩壊するのか…)

そんなことを感じずにはいられない空気に、こちらまで気持ちが持っていかれそうになる。

上司にせかされる部下のイメージ写真
写真はイメージです=gettyimages

そして迎えた3週間後の臨時役員会でも、本部長は変わらなかった。

“光熱費をできるだけ節約して、経費を抑えます”

“営業計画を洗い直したので、必ず数字が出るはずです”

根拠のない説明に株主は前回よりもさらにイラ立ち、厳しく追求する。

その後ろでは、営業部長、製造部長が下を向き、ひたすら申し訳なさそうに萎縮している。

そんな非生産的な空気に耐えかね、私は思わず製造部長に話しかけた。

「部長、製造コストのうち大きな部分を占めているのは電気代です。これ、熱源をガスに変えるだけで大きなコストダウンが見込めませんか?」

「はい、この火力はガスにすべきです。電気にするメリットは、おそらく無いと思います」

「ではなぜ、電気を選んだのですか?」

「設備投資のイニシャルコストが安かったので、本部長の指示で更新時にそのようになりました」

冗談だろ・・・。一般に熱源のランニングコストはガスのほうが安いことくらい、私でも理解している。

するとこの会話に、すぐに株主も食いつく。

「その設備を改めてガスに更新したら、どれくらいのコストが浮きますか?」

「正確には即答できませんが、おそらく毎月100万円くらいでしょうか」

「設備の入れ替えには、どれくらいコストがかかりますか?」

「ざっと2,000万円くらいだと思います。かなり有利な投資だと考えます」

そりゃあそうだろう。つまりこの投資は1年8ヶ月で元が取れ、品質を落とさず、誰の負担にもならずに大きなコストダウンになるということである。やらない理由が、何一つ無い。

その後も製造部長に、原材料費や製造原価のうち大きな割合を占める費目について質問を投げかけるが、返ってくる答えはいずれも完璧だった。

「200万円の型代予算を付けて頂ければ、この部材はA社からB社に切り替えたほうが得です。年間500万円のコストカットが見込めます」

「現在実施しているこのコストダウンは無意味です。原材料費は安くなるのですがその分、人件費でカバーしてるので高くついています」

結局この日の役員会は、どれくらいの追加投資があればどれくらいのコストダウンが見込めるのかを出すよう、思いがけない追加支援の話にまで発展する。

そしてそのうちのいくつかは実現し、経営改善の大きなきっかけとなった。

この日のやり取りで、私は自分の至らなさ、CFOとしての能力の低さを嫌というほどに思い知らされた。

数字に弱い本部長は確かに情けないが、実務で悲惨な被害を受けていたのは、その下にいる部下たちである。

であればCFOは、各部署に積極的にオーバーラップし、問題点や考え方を定量的に示して、その意思決定をサポートすることこそがむしろ本分だったのではないのか。

その事にもっと早く気がつけていれば、もっと早く経営改善を進めることができていただろう。

経営を定量的に示すことはスタートに過ぎないのに、ゴールであると勘違いしていた私はどれだけ多くの人に、迷惑をかけただろうか…。

もうずいぶんと前のことだが、無能な自分への戒めとして、今も心に刻みつけている。

”怠けものリーダーシップ”の正体

話は冒頭の、大山巌についてだ。

なぜ、ロクに職場に顔を出さず、部下に仕事を丸投げするようなリーダーが日本の総力を統率し、ロシアを打ち破ることができたのか。

大山は部下の意思決定ややり方に細かく口出しするような人ではなかったが、その一方で定量的に組織の状態を把握することに長けている人だった。

昨日と今日の数字の差、先週と今週の数字の違い、先月と今月の数字の変化…。

令和の時代の組織運営では基本中の基本ではあるが、組織の変化や異常値は必ず差分に現れる。

というよりも、何が正常で何が異常であるのかは、数字を比較し差分を評価しなければ、把握することなど不可能だ。

そしてマクロの差分からミクロにブレイクダウンしていくと必ず、変化や異常の驚くような根源に突き当たる。

極論、経営改善のヒントも、社員の頑張りも、横領などの不正の発見も、差分を見ていればほぼ見逃すことはない。

そして大山を支えた参謀総長の児玉源太郎は、最低でも1日2回、大山への定時報告を欠かさない人だった。

つまり大山は、組織の状態や練度・士気、できることやできないことを全て正確に把握していたということである。

金家屯東方の高地にある日本軍の陣地を視察する満州軍総司令官の大山巌元帥陸軍大将と第1軍司令官の黒木為楨陸軍大将
金家屯東方の高地にある日本軍の陣地を視察する満州軍総司令官の大山巌元帥陸軍大将(手前)と第1軍司令官の黒木為楨陸軍大将(手前から2人目)=1905年9、中国・遼寧省の大連近郊、朝日新聞社

そしてこの瞬間にこそ、将器の大きさが現れる。

クソつまらんリーダーは、異常値の表層に一喜一憂しデタラメな指示を出しまくってしまう。

まるで、株主から詰められパニックを起こした事業本部長のように。

並のリーダーなら、数字を正確に把握した上で適切な改善方法を部下に指示するだろう。

これはきっと、現場の困りごとを定量的に把握し、相談に乗ることを覚えた無能CFOの私である。

できるリーダーなら、数字を正確に把握した上で部下に示し、改善方法を自ら考えるよう促すのではないだろうか。

この方法だと、効率よく人が育つようだがしかし、問題発見能力そのものはきっと身につかない。

そして最高のリーダーはきっと、数字を正確に把握し問題を理解しながら一切口を出さず、ギリギリまで耐える事ができる人だ。

簡単なようだが、全責任を担いながらのこのような忍耐など、相当な胆力がないとできるものではない。

そして部下から見ればそんなリーダーは、大きな裁量を任せてくれながら困った時には相談に乗り、適切な助言をしてくれる上司に映る。

言い換えれば、手柄は部下の取り放題で、失敗はすべて自分の責任として引き受けるリーダーである。

こんなリーダーの率いる組織が、弱いわけがないだろう。

これこそが大山巌のリーダーシップであり、世界を驚かせた日本軍の勝因の一つになったのだと確信している。

だからこそ、叶うのであればこんなリーダーになりたいと願い、そして一人でも多くのリーダーにその高みを目指して欲しいと願っている。

敗戦で教科書から消え、いなかったことにされているそんな偉大な先人は、とても多い。

そんな”学校で教えない近現代史”に多くの人が目を向け、そして大きな責任を取りきった先人の生き方に興味を持ってもらえることを願っている。