「別れ」の季節に思い出す「つくしんぼ」を詠んだ一句と「伊豆の踊子」の結末

「さよならを 誰にも言えず つくしんぼ」
もうずいぶんと以前のことだが、友人の弟さんが、不本意な形で職場を去る時に詠んだ句だ。
離職時に一悶着があり、現地まで身柄を引き取りに行くことになったのだという。
「それがね、滋賀県大津市にある三井寺の近くまで弟を引き取りに行ったんです。遠かったので、本当に大変でした」
「え…?私、三井寺から自転車で10分くらいのところで生まれ育ったんですよ?いらした時はきっと、私が高校生くらいの時だったかも」
「すごい偶然、びっくりです!」
程なくして彼は、思いがけない事故で亡くなることになる。
その時のこと、そしてこの句を思うと、本当に弟がかわいそうで…と、彼女は悲しげに話す。
暖かな春の日。
三井寺近くの桜の名所・琵琶湖疏水では、満開の桜雲が通りかかる人を桃色に染める。
土手沿いに突き出すつくしんぼは決して春の主役ではないが、生命の息吹と力強さを何よりも感じさせてくれる名脇役だ。
弟さんは不本意な帰郷の時、そんな春の日に川辺にポツンと座り、行き交う人を見るでもなく眺めながら、この句を詠んだのだろう。
そんな詩について、彼女は今も、弟の心境を思うと胸が痛いと話す。
結果として、弟さんの人生は決して幸せいっぱいなものではなかったのかもしれない。
彼女の心中を思うと憶測で滅多なことなど言えないので、思わず口をつぐんだ。
しかしその上で、思うことがある。
弟さんは本当に、悲しいだけの人生を送りこの世を去ったのだろうか。
話は変わるが、もう20年ほども前のことだろうか。
大手金融機関を離職し、10年ほどの勤務で貯めたお金で全国をフラフラしている変わり者の友人がいた。
「そういうことは普通、学生の時に済ませろよ。国内とはいえ、30代でバックパッカーデビューとか、無茶すんなや」
「いやいや、30代前半やからできるんやぞ。40代、50代では無茶やけど、30代ならブランクがあっても再就職できるやんけ」
きっと彼は、40代でも50代でも同じように「できる理由」を考え出して、やりたいことをやるのだろう。
無謀としか思えなかったが、しかしそんなオプティミスト(楽天家)な彼の性格と生き方が、正直羨ましくもあった。
そんな彼から、最近旅先で長居しているという静岡県での近況がメールで送られてくることがあった。
1泊3,000円の海辺の安宿に20日ほど泊まっていて、近くに楽しい場末のスナックを見つけたという。
そして偶然居合わせた20代半ばくらいの女性と友だちになり、何度か待ち合わせて飲んでいるという。
しかしその中に、少し気になる一文がある。
「彼女、高校生の頃に家族に不幸があって、今は天涯孤独の身なんやって。しかも親父さんが作った借金に苦しんでるっていうんで、10万円貸したわ」
友人は、人を疑うことを知らない本当にいいヤツだ。
難関国立大学を卒業後、大手証券会社でいきなり本社勤務になったようなエリートであり、その分どこか世間ずれしていない一面がある。
そんなこともあり心配になって、すぐに電話する。
「おいおい、いくらなんでもそらアカンやろ。大丈夫なんか?」
「わからん。けど正直、一目惚れしたんでどうでもええねん。ロシア系クオーターの、その娘なんやって。キレイな目、優しい笑顔、とにかくすべてに惚れた。彼女を助けるために何でもしてあげたいねん」
「うーん…、毎日のようにスナックで会ってるんやろ?ホンマに借金返済に苦しんでるんか、その子」
「最近はずっと俺のおごりや。夜の仕事で生活してるらしいけど、少し疲れて、今は充電期間って言ってたな」
何から何まで怪しすぎて、騙されているとしか思えない。
とはいえ、10万円も自分から押し付けるように貸したといい、以降も特に無心の申し入れは無いという。
そのため余計なお世話と思い、それ以上は何も言わなかった。
しかしそれから1週間ほどして、こんなメールが届く。
「彼女、夜の仕事を再開するんで、北関東に行くことになったそうや。俺もぼちぼち京都に帰って、次の仕事を考えようと思う。もうこれ以上の楽しい出会いは無さそうなんで、社会復帰する頃合いなんやろうな」
いや、ちょっと待て。カネは返してもらったのか?
好きなら好きで、それでいいのかと返す。
「返してもらってないな。京都の俺のマンションに遊びにこいって言ったけど、断られたねん。フラれたわ」
そして友人は明後日に静岡を離れるので、京都に帰った日にそのまま飲もうと締められていた。
「久しぶりやな。彼女とは最後、どうやったねん」
京都駅近くの安居酒屋で落ち合うと、話の顛末が気になり単刀直入に質問する。
心做しか、彼の目が腫れぼったく見える。
「新幹線の静岡駅で、最後の待ち合わせの約束したねん。ついさっきの話やな」
「2時間ほど前やな」
「いや、新幹線の1時間前くらいに改札近くの喫茶店でお別れしようって言ったんや。でもこんかった」
「あかんやんけ」
「それがな…。諦めて改札に向かおうとしたら、来たんや」
ひかりの発車まで、あと5分しかない。
そんな時に改札前で呼び止められると彼女から、紙袋を押し付けられたのだという。
「そらないやろ、待ってたんに」
「ごめん、お別れって本当に苦手なん。でも楽しかった、ありがとう。早く行って!」
そういうと彼女は友人を改札に押し込み、そのまま別れたという。
新幹線の中で紙袋の中身を確認すると、渡した10万円そのままの封筒、友人の好きな銘柄のビール2本と柿の種、そして薬用のリップスティック1本が入っていたそうだ。
いつも乾燥し割れている友人の唇を気遣って、入れたのだろう。
「『伊豆の踊子』を思い出したわ。まあとりあえず飲もうや」
「俺も川端康成を思い出してた。ただ、思うことがあるねん」
「なんや」
「あの物語、大正時代としてはすごく先進的な名作やと思う。しかしどこか『社会的身分』の、川端の上から目線が気になるねん」
「言ってることは理解できる」
「俺が彼女にフラれたのって、もしかして同じような傲慢さがあったんやろか。ほら、あの物語、2階から下に金を投げるような描写があるやろ」
「あるな、俺もあそこは好きじゃない」
「そやねん、金を貸したことが間違いやったんかな…」
なんと答えていいのか、わからなかった。
ただ、あの物語の主人公である若き日の川端康成自身は、踊子との切ない別れを経験すると帰路、子供のように涙を流し、人の優しさを素直に受け入れる心のやすらぎを知る。
そしてその優しさを自然体で周囲に恩送りすることを覚え、物語は終わる。
友人も川端もきっと、自分の心の奥底に潜む傲慢さやバイアスと向き合い、悲しい別れから多くのことを得たのだろう。
良い出会いと別れだったんだろうなと、少し羨ましく思えた。
話は冒頭の、友人の弟さんについてだ。
順調とは言えず、そして事故で早世した人生だったが、しかしけっして悲しさに満ちただけのものではなかったと、なぜ思えるのか。
京都の老舗料亭「菊乃井本店」といえば、16年連続でミシュランガイド三つ星を獲得している、誰もが認める名店中の名店だ。
そのオーナーであり、料理人でもある村田吉弘氏はその著書で、要旨このようなことを記している。
「料亭とは公共の施設なんです。普通の人のためにあるべきものです」
そして料理とは大衆に支持されてこそであり、東京で1人5万円も7万円も値付けしているような鮨店に警鐘を鳴らす。
このままでは、大衆に理解され、支持されてきた鮨という文化がいずれ先細りしてしまうと危惧するからだ。
その言葉を裏付けるように、菊乃井本店では夜懐石でも、税込み22,000円から楽しむことができる。
ここぞという記念日なら、頑張れば手が届く価格設定だ。
そしてこれこそが、文化という人の営みの本質なのだろう。
そういった意味でもう一度、友人の弟さんの句をみて欲しい。弟さんは髙橋伸さん。詠み人の名前を出さないのは失礼だと思ったので紹介しておく。
「さよならを 誰にも言えず つくしんぼ」
小学生でも理解できる言葉で、そして子供から大人の心にまで届くような、卑近な情景描写だ。
道端に座り、つくしんぼを見つめながらこの詩を詠んだ時の画が明確に、心に浮かぶ。
もしかして弟さんは、自らを春の脇役のつくしんぼになぞらえたのかもしれない。
暖かな春の日、皆が桜を見上げる中、自分は誰からも気が付かれずにこの地を去る足下のつくしんぼだと描いたのか。あるいはその両方なのかもしれない。
そして『伊豆の踊子』も、誰にでも伝わる言葉で編まれ、10分で読める程度の分量でしかない。
にもかかわらず、友人も私も、悲しい別れからこの物語を一番に思い出すほどに深く、多くの日本人の心に刻まれている名作である。
時代を超えて今も、大正時代の世相や文化、若者の心の躍動感を生き生きと伝えてくれる。
だからこそ、それほどに文化人の素養を持ちえた弟さんの人生が、短くも充実したものでなかったとは、とても思えないということだ。
きっとこの句を詠めるまでには、多くの人とのご縁、出会いと別れを経験し反芻して、喜怒哀楽を結晶化していったのだろう。
感性の鋭さゆえに生き辛かったかもしれないが、決して悲しみに満ちただけの人生ではなかったはずだ。
そしてそんな出会いと別れの春の日。
2021年8月から3年半以上も連載を続けさせて頂いた私も、この稿をもって、朝日新聞GLOBE+さんから卒業をする。
私のような“つくしんぼ”作家を拾って下さった関根和弘・編集長が退任されるためだ。
GLOBE+さんを通じて、本当に多くの読者の皆さまとのご縁を頂いた。
朝日新聞読者ホールで開いて頂いた拙著の出版記念トークショーでは、驚くほど多くの人にお越しいただき、目頭が熱くなった。
そして今、そんな関根さんと読者の皆様に「さよなら」を言える機会を頂き、心から感謝している。
その最後に、髙橋伸さんの句を”本歌取り”させて頂き、関根編集長と読者の皆様への惜別の詩としたい。
ご笑覧頂ければ、幸せに思う。
「面影に さよなら告げて つくしんぼ」