先日、友人の弁護士とミーティングをしていた時の話だ。
取引先の件でつい、グチってしまったことがある。
「聞いて下さい。取引先で頑張っていた若手社員がまた一人、辞めてしまったんです」
そして、とても優秀な若手であったこと。
その会社にとって間違いなくプラスになる人材であったこと。
しかし、何をしても上司からダメ出しをされ、会社に愛想を尽かして辞めてしまったことなどをひとりきりこぼした。
退職前に挨拶に来てくれた彼だが、
「そんなことをして、クレームがきたらどうするんだ!」
「なにかあったら、お前が責任を取れるのか?」
ふた言目にはそんな事を言い、仕事を停滞させる上司に悩まされていたことをぶちまけてくれた。
彼に限らず、そんな上司に悩まされている人はきっと、日本中に溢れているのだろう。
そんな話をどこか楽しそうに聞いていた弁護士は、私より一回り以上年下の36歳。
本業はいくつかの会社を持つ経営者で、“副業で”弁護士をしているようなツワモノである。
そんな彼が、ひとしきり話を聞いた後に言った言葉が、衝撃的だった。
「桃野さん、日本のリーダー、とりわけ中間管理職はなぜ、そんな人材ばかりになるとお考えですか?」
「なんとなくわかるのですが、うまく言語化できないんですよね…」
「きっと大事なことを、真逆に勘違いしているからなんです」
「…え、それはなんですか?」
「指示しないと荒れる」のか
話は変わるが、先日、陸上自衛隊の元陸将、友人の3人で酒を飲んでいたときのことだ。
友人が元陸将に、こんな質問をすることがあった。
「私、中南米で会社を経営しているんです。陸将は『組織を強くするためには、細かな指示を出すべきではない』とおっしゃいますが、そのロジックでは海外ではとても、会社経営ができません」
「どんなことになりましたか?」
「とにかく荒れるんです。私も当初、緩やかな管理をしていたのですが、荒れに荒れました…。箸の上げ下げまで指示しないと、まともに動いてくれないのです」
すると元陸将はニコリと笑い、こんなことを答える。
「回答のヒントになるのは、幕僚がいるかいないかです。リーダーに幕僚がいる場合、彼らに箸の上げ下げまで指示してしまうと、幕僚は考えなくなります。何をどうしたいのか、自分で考えさせ、その考えに従い善導をするのがリーダーの役割です」
なお幕僚とは、例えば“軍師”のように、指揮官にアドバイスをする役目だと思っている人が多いかも知れない。
しかし自衛隊における幕僚とは、指揮官の方針に従って実務をこなす役割の人達を指す。
一般企業で言えば、社長と部長の関係で理解すれば概ね近いだろう。
「『指示しないと荒れる』は、リーダーに幕僚がおらず、直接現場の人と接する必要がある場合の疑問です。幕僚や組織を育てるロジックと、幕僚のいないリーダーが結果を出すケースは、分けて考える必要があります」
「では育てるべき幕僚がいない場合は、どうすればいいのでしょうか」
「私には、“こうすべき”という答えを教えることはできません。しかし考え方を示唆することはできます。昔、私が隊長としてある国に、国際貢献活動で赴任した時のことです」
そして元陸将は、現地の部族から連日のように、自衛隊宿営地にロケットを撃ち込まれた時のことを話しはじめる。
部族長たちの要求は明らかで、自分たちの地域の道路を舗装するとか学校を作るとか、要するに便宜を図るよう要求するものだ。
そうしないとますます攻撃を激化させると、暗に要求するものである。
このような時の、諸外国軍の常識は当然、「やり返し」である。
撃たれたらそれ以上に撃ち返すことで、「手を出したらエライことになる」と相手にわからせるという考え方だ。
実際に現地では、日本以外の軍は当然、そのように対応した。
しかし自衛隊は、憲法や法律の制約もありそのようなことはできない。
加えて、自衛隊に犠牲者が出ることを恐れた一部政治家からも、「部族長たちの要求をすべて飲むように」という趣旨で、元陸将に圧力がかかる。
「しかしこのような要求を飲めば、部下たちが危うくなります。攻撃が利益になるとわかったら、他の部族も皆、ロケットを撃ち込んでくるからです」
「では、どうしたのでしょうか」
「簡単なことです。攻撃をしないことが利益になる仕組みを作るのです」
そして現地に多くいる各地の部族長を訪問し、攻撃をしなければその街からできる限りの対応をすると約束する。
不穏な動きをする部族長には、アポイントを当日ドタキャンすることも厭わない。
つまり、脅しや威嚇は不利益であり、協力関係は利益であると理解してもらうという“作戦”だ。
このようにして元陸将は、一発のロケットを撃ち返すことも無く、やがて攻撃はパッタリと止み、部族長や現地の人たちと信頼関係を築くことに成功する。
そして一人の犠牲者も出すことなく、全ての任務を完遂し無事、部隊とともに帰国を果たした。
「自分のやり方を押し付けても、仕事は機能するものではありません。大事なことは、相手のやり方や考え方を理解し、良い方向に導くことです。それがリーダーの役割だと確信しています」
元陸将はこの話をそんなふうに締めくくったが、これは「幕僚がいる場合」「幕僚がいない場合」というケース別で変わるものではないのだろう。
「あなたの目的はなにか」
「それに対して、どうしたいと考えているのか」
結局のところ、そのように問う相手が違うだけである。
幕僚(部下)がいれば、幕僚のやりたいことを聞き最大限、その方向になるように導く。
幕僚がいない場合、現場の人たちと話して、やりたいことや目的に真摯に向き合う。
決して自分のやり方を押し付けない。しかし結果責任は全て引き受けるリーダーシップと言えばよいだろうか。
ただし、自分の価値観と異なる場合には、迷うこと無く押し戻す。
利己的で独善的な要求が為された時には、容赦なくNoを突きつける。
それこそが、15万人を擁する巨大組織で最高階級まで昇った元陸将の、リーダーシップの要諦なのかも知れない。
“Yesはジョーカー”ではない
話は冒頭の、友人の弁護士の話についてだ。
日本のリーダーたち、とりわけ中間管理職にある多くの人は、何を真逆に勘違いしているのか。
「桃野さん、日本のリーダーたちはYesを出すことが最後の切り札、ジョーカーになっているんです。リーダーにとってあるべき姿とは、Noがジョーカーでなければならないのに、です」
「どういうことですか?」
「部下が何かをやりたいと意見を持ってきた時、リーダーとしてNoは基本的にありえません。前提や環境についてどう考えているかを聞いたうえで、基本は全てYesなんです」
「わかります」
「しかし日本の多くのリーダーたちは、Noが基本なんです。責任を恐れに恐れ、保身を考えに考えたうえで、これなら自分は大丈夫と思った時に、Yesのジョーカーを切るんです」
(…なるほど)
「責任を取ることが仕事のリーダーにとって、Noが基本になったら組織は終わります。Yesが基本で、Noはどうしても譲れない時のジョーカーでなければなりません。日本のリーダーたちは、この考え方を真逆に勘違いしているんです」
まさに、目からウロコの言語化であった。
「リーダーの意思決定は、Noがジョーカーでなければならない」
である。
きっと多くのビジネスパーソンも、「Yesがジョーカー」な上司たちの下で日々、理不尽なストレスを感じているのではないだろうか。
そして話は、元陸将の考え方についてだ。
まさに元陸将の考え方とは、「基本はYes、Noは最後の切り札」である。
相手が幕僚(部下)であろうが現地・現場の人であろうが、まずは相手のやりたいことや要求に耳を傾ける。
そして達成すべき任務や自身の価値観に照らし、最善の結果を出すための落とし所を探る。
しかしここで疑問になるのは、
「なぜ元陸将は、そんな素養を身につけることができたのか」
という事実についてだ。
そして、民間企業で仕事をするリーダーたちは、なぜそれが真逆になっているのか。
その答えはきっと、自衛隊の組織運用にある。
一般に、トップリーダーに昇るような自衛官は、小さな組織から大きな組織まで、幕僚と指揮官を交互に経験する。
小さな組織で指揮官を経験し、結果を出せば上級組織の幕僚になって、指揮官の方針に従い実務をこなす。
幕僚として結果を出せば、また一つレベルが上の指揮官に着任し、後はその繰り返しという形だ。
そして自衛隊における指揮官は、自ら実務を消化することなど無い。
幕僚が出してきた提案や考え方を聞き、判断し、意思決定をして結果責任を取るだけである。
つまり、Noばかりを出していれば次々と仕事が止まり、全く成果が出ないということだ。
そうなれば、Yesが基本、Noがジョーカーになるのも当然である。
そう考えた時、民間企業では当たり前に存在する「プレイングマネージャー」について、どう思うだろうか。
これこそ、実は悪しき考え方の元凶なのではないのか。
結果責任を取るだけ、という恐怖を任された時、リーダーは仕事を前に進めるために容易にNoなど出せなくなるのだから。
「実務で結果を出す幕僚」
「結果責任だけが求められる指揮官」
その役割を交互に経験させることこそ、”Yesがジョーカーになっているリーダー”を排除する、民間企業が取り入れるべき知恵なのかも知れない。