トラウマになるレベルでこっぴどく、女性にふられたことがある。
まだ17歳だった、高校生の頃の話だ。
美術部の存続のため、形だけの部長で名前を貸していた私は、当然のように部活に顔を出すことはなかった。
しかしそれに腹を立てた副部長のイワタは毎日のように、昼休みの教室に“殴り込み”をかけにくる。
「約束が違うやん、5人以下になると廃部やからって、名前を貸しただけやぞ」
「そんなん忘れたわ!アンタ今日こそ美術室に来(き)いや!」
イワタは気が強く、机を叩き大声で叫ぶので毎日がちょっとした騒ぎだ。
それが恥ずかしく、弁当を済ますと彼女を促して部室に移動し「苦情」を聞くのだが、それがやがて日課になってしまった。
すると彼女は、部長として仕事をしろだの、今日はテンペラをやるから必ず来いだの、半ギレでまくしたてる。
そんな毎日がストレスで仕方なかったが、やがてその日課はいつのまにか昼休みの“部室デート”に変わる。
そして授業を抜け出し、学校近くの神社や動物園に二人で出掛けるなど、高校生らしい「恋人未満」のデートを楽しむようになっていった。
こうなったら勘違いをするのが、この年頃の男子である。
いつの間にかイワタを好きになっていた私はある日、いつもの神社の境内に並んで座りながら、意を決して話しかけた。
「なあ、俺ら付き合わへんか?」
「ゴメン、アンタを男としてみるのは無理」
どストレートにふられてしまった(泣)
いったい、これまでのデートはなんだったんだ…。
あっけない終わりをまったく理解できない私は、そのまま学校近くの角打ちに行きビールをあおる(※30年以上前の、飲酒に緩い時代の話です。20歳未満の飲酒は違法なので絶対にしないで下さい)。
そして学校に戻るとそのまま、部活終わりのイワタをつかまえ話しかけた。
「今までありがとう。最後にそれだけ言いたかった、じゃあな」
「ちょっと!アンタいま、お酒飲んでるやろ!」
「え…?」
「私も、アンタのこと嫌いじゃない。でも、そういうとこだけ、どうしても許せへんかった」
「…?」
「バイバイ」
結局彼女とはこれが最後の会話になってしまったが、いったい“そういうとこ”って、どういうところだったんだ…。
「いくらなんでも、おかしいだろう…」
話は変わるが、おそらく40代以上の世代であれば「陸軍悪玉論、海軍善玉論」と言う言葉を聞いたことがあるのではないだろうか。
「太平洋戦争の日本の敗因は、陸軍が暴走してメチャメチャしたから(≒海軍は常識的だった)」
という趣旨の歴史観だ。
しかし言うまでもなく、戦争の経緯や敗因はそんな単純なものではない。
加えて海軍が常に善玉であったという幻想など、少しでも戦争の経過やリーダーたちの決断を自分の意志で学んだことがある人なら、全く支持しないだろう。
そしてその極めつけが、1944年10月に勃発した「台湾沖航空戦」である。
以下少し、このあまりに酷い「トップリーダーの決断」がもたらした大惨事について、概説したい。
なお数値とデータについては、戦史の名著「失敗の本質‐日本軍の組織論的研究(中央文庫)」から引く。
1944年7月、サイパン島が陥落すると日本の敗色は色濃いものになっていく。
そして次に米軍が目指したのは、フィリピンの奪還と日本のシーレーンの破壊だ。
ここを取られれば干上がるので、日本は完全に終わる。
そしてその準備と牽制のため、米軍は沖縄や台湾への空襲を開始した。
その中でも特に大規模だったものが、1944年10月12日から3日間、米機動部隊とのべ2,700機以上もの艦載機が台湾を襲った「台湾沖航空戦」である。
これを迎え撃つ日本の主力は、1,000機あまりの海軍の戦闘機や攻撃機、爆撃機など。
そして連日連夜、米軍に反撃を繰り返した海軍はこの3日間について、驚異的な大戦果を確認し発表する。
「敵の空母19隻、戦艦4隻、巡洋艦7隻などを撃沈もしくは撃破」
この数字は、戦いに参加した米機動部隊を殲滅したことを意味する。
もし本当であれば、戦局を一気にひっくり返すことすら夢ではないような大戦果だ。
しかし現実は全く異なり、この戦いで日本が撃沈した米艦船は、0。
さらに米艦船に与えた損傷は、空母1隻と軽巡洋艦2隻程度で、ほぼ無傷と言えるものだった。
なおこれは、よくあるような「嘘の大本営発表」という性質のものとは少し異なる。
パイロットたちの技量がどうにもならないほどに低下していたことに加え、夜間にも戦闘を繰り返していたこともあり、海軍は戦況を把握する能力を既に失っていた。
そのため現場から、「たぶん命中した気がする」というような報告があれば、それを戦果としてカウントするしか無かったのである。
そしてトップリーダーたちの悲惨な決断は、まさにここからだ。
いくらなんでも、この戦果はおかしいだろう…。
海軍内部でも多くがそう感じていたが、それが明らかになるのはこの局地戦が終結した2日後、10月16日のこと。
この日、海軍の偵察機は戦域を偵察飛行し、殲滅したはずの米機動部隊が無傷のままに、作戦行動を継続していることを確認する。
しかしすでに、戦果を発表してしまった後だ。
今さら「あれは全て誤認でした」というわけにもいかず、海軍はこの偵察で得た事実を、政府にも陸軍にも秘密にしてしまう。
それどころか、翌17日以降も「残敵を掃討せよ」と、大戦果を挙げたことを前提に身内の艦隊にすら、命令を発出し続けるのである。
さらに18日には、フィリピン・レイテ島で守備隊を率いる陸軍の牧野四郎・中将から要旨、こんな内容の打電が陸軍上層部にもたらされる。
「なんか知らんけど、米軍の大規模艦隊がレイテ湾に続々入港してんだけど…これ本当に残党なの?」
それでもなお、戦況の判断と作戦の変更が決定されることはなかった。
そしてこれらの戦果を前提に、日本の最後の反撃ともいうべきレイテ沖海戦が始まってしまう。
結果、日本海軍と連合艦隊は完全に壊滅し、陸軍も手痛い損害を受けることになった。
これで太平洋戦争の完敗は、決定づけられるのである。
戦争において、情報を統制し国民に誇大な戦果を宣伝することは、決して珍しいことではないだろう。
しかしどこの国のリーダーが、国家元首や友軍までも騙し、国を破滅に追い込んででも
「いまさら言えない…」
と、子どものような逃げ方をするというのか。
文字通り前代未聞で、もはや歴史的珍事とも言える「リーダーの決断」である。
そしてその結果、多くの命が無駄に近い形で失われ、日本は国を失うことになってしまった。
一般に余り知られていない台湾沖航空戦の戦訓だが、この信じがたい「リーダーの意思決定」について、私たちはもう少し学ぶべきだ。
そしてこういう情けない行動に逃げるリーダーは今も、どの組織にも存在することを、私たちは知っている。
「名前だけ部長」の末路
話は冒頭の、”こっぴどいふられ方”についてだ。
一体イワタは、どんな“そういうとこ”を好きになれず、私を突き放したのか。
思うに恋愛でも仕事でも、私たちは大きな勘違いを、人生で頻繁にやらかす。
それは、「心地よい人間関係とは、決して対等ではない」という事実に気がつきにくいということだ。
自分が心地よいと感じる人間関係は多くの場合、相手の人格や能力の方が遥かに優れており、それに甘えている。
上司と部下の関係でとらえればわかりやすいと思うが、居心地の良い上司というのは、自分の能力や弱さを補い、強さを引き出してくれる人である。
あらゆることに上回る人が自分のために力を尽くしてくれている状態であるにもかかわらず、私たちはそれを「心地よい人間関係」と勘違いする。
しかし実のところ、それは多くの恩恵をいただいている状態に他ならない。
異性への好意に置き換えるなら、「心地よい」のは相手がたくさん気を使ってくれているか、もしくは多くを譲歩してくれているバランスの悪い状態と考えてこそ、ちょうどいい。
その相手に、空気を読まずに「好き」と言ったら、「黙れ」と言われるに決まっている。
そんな私が最後、お別れの挨拶という“自己満足”のためイワタの前に酔っ払って現れたら、
「アンタ!そんなことより部長職はどうするのよ!」
と、胸ぐらを掴みたかったに決まっているだろう。
多少の好意があったところで、“負債”だけが続く人間関係など破綻して当然ということである。
そして話は、台湾沖航空戦における海軍のリーダーたちが下した決断についてだ。
これこそ、責任感も能力も欠如した「名前だけ部長」としか言いようがないトップリーダーたちが招いた結果である。
このエピソードを初めて知った人であれば、きっとドン引きしたはずだ。
しかし今、自分が所属する会社や組織では、能力や目的達成への強い責任感を基準にしてリーダーが選ばれていると、本当に言い切れるだろうか。
中小企業に勤務する人なら、ただ長年勤めているというだけで部長になっているオッサン、社長の奥さんというだけで役員に就いている取締役に日々、苦しめられているはずだ。
“ハンモックナンバー”という制度の下、勉強ができることが重要視され、運用能力や責任感に欠ける連中がトップリーダーになっていった日本海軍も同じである。
そしてそれは、決して過去の話でも別世界の話でもなく、もはや日本のリーダーたちに色濃くインプリンティングされている組織論なのかもしれない。
私たちはもう少し、「リーダー」というポジションに就くことを恐れ、そして白羽の矢が立ったのであれば覚悟を持って引き受けなくてはならない。
私たちはもう少し、「誰をリーダーに選ぶのか」について真剣に考え、そして選んだ結果責任を引き受ける覚悟を持たなければならない。
そうしなければ何度でも、国や組織は壊れてしまう。
もちろん妻や夫、彼女や彼氏にも逃げられる(泣)。