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戦争と覚醒剤の歴史を振り返る ナチスから湾岸戦争まで…自衛隊法も例外を認めていた

World Now 更新日: 公開日:
特攻隊員の出撃壮行式で、杯を交わす隊員ら
特攻隊員の出撃壮行式で、杯を交わす隊員ら。戦争末期、特攻隊員には大量のメタンフェタミンが投与されたという(写真と本文は直接関係ありません)=1945年5月、知覧基地、富重安雄撮影

自衛隊も覚醒剤取締法の例外?

覚醒剤は19世紀末に発明され、戦前は、疲労回復、眠気解消に効くといわれて、栄養ドリンクのように市販されていた。

当時の研究では、覚醒剤に依存性や命の危険性もなく、覚醒のリズムや気分の浮き沈みを一時的かつ任意にコントロールできる夢のような薬だといわれた。これを戦闘疲労が致命的となる戦争に利用しようというのは、だれもが思いつくアイデアである。日本軍も夜戦の兵士や水兵、戦闘機パイロット、特攻隊員らに支給していた。

今日、違法薬物が社会にいかに深刻な問題を投げかけているかを考えると、過去の薬物消費文化を現在の関心を通して見ないようにすることは難しい。ただ、当時は覚醒剤が決して今日のようなハード・ドラッグとは考えられていなかったことは念頭に置いておく必要がある。

もちろん、今では覚醒剤はもっとも厳しく取り締まられている薬物であるから、われわれの過去において覚醒剤が重要であったことを示す証拠があるからといって、その歴史的重要性を誇張することにも危険が伴う。

しかし、現在でも自衛隊については、覚醒剤取締法で禁じる覚醒剤原料の所持や譲受の例外が認められている(自衛隊法第115条の3)。実際に自衛隊に覚醒剤が備蓄されているのかどうか、またどのように使用されるかは分からないが、言えることは、覚醒剤は今でも戦争と切っても切れない関係にあることである。

ナチスが最初に軍事利用

ヨーロッパで古くから〈エフェドラ〉(Ephedora)という名前で知られていた〈麻黄=マオウ〉という植物がある。この比較的希少な砂漠の低木は、中国で5000年以上も前から漢方薬として使われており、咳や風邪などの一般的な病気の治療や、万里の長城の夜警をはじめ集中力や覚醒度を高める必要があるときによく使われていた。

19世紀後半に、この麻黄から覚醒剤の原料となる物質が抽出された。これをアメリカの製薬会社が1932年に喘息吸入治療薬「ベンゼドリン」(アンフェタミン=覚醒剤)として市場に投入し、数年後には錠剤で売り出した。世界大戦が勃発すると、これが戦場で使われるようになるのにそれほど時間はかからなかった。

薬理学は19世紀後半に飛躍的に発展した。近代工業化時代の典型的な薬物である覚醒剤も第2次世界大戦中に主要工業国によって大量消費されるのに合わせて商品化された。戦争からこれほど多大な刺激を受けた薬物は他に存在しない。戦争が、違法なブラックマーケットの乱用に今日まで続く最大の弾みをつけたのである。

覚醒剤のダイナミックな歴史は、ナチスが覚醒剤の軍事利用を最初に開いた1938年に始まった。兵士のドーピングによって戦闘に非対称性が生まれ、そのためイギリス、アメリカ、日本がこれに続き、自国の軍隊に覚醒剤の配布を許可したのは、むしろ戦争の条理だった。

第三帝国(ナチス支配下のドイツ)は、酩酊物質の社会的消費を激しく非難していた。ナチスのプロパガンダは、アルコールや大麻、アヘンなどをアーリア人支配階級の活力を奪う「酩酊の毒」としていた(ただし、純潔と禁欲は民間人の規律とされた)。

これに対して覚醒剤は、自信と危険に挑む意欲を高め、集中力を鋭くし、空腹感や痛みの感受性、睡眠の必要性を抑えるものであり、軍隊にとって非常に望ましいものだとされた。ドイツでは覚醒剤(メタンフェタミン)は「ペルビチン」の商品名で市販されていたが、ドイツ軍にとって完璧に魅力的な興奮剤となった。

ペルビチンには、ドイツ空軍パイロット、ドイツ国防軍兵士、ドイツ海軍水兵たちを超人的な戦士、つまり真のアーリア人の英雄による軍隊にすべく、大きな期待が込められた。

ナチ党の党大会であいさつするヒトラー
ナチ党の党大会であいさつするヒトラー=1937年9月、ドイツ・ニュルンベルク、DPA/Picture Alliance via Reuters

実際、1939年9月のポーランド侵攻の際にはペルビチンは「突撃薬」として使われた。さらにオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスを征服する過程で、3500万錠以上が兵士に支給された。撃墜のリスクを回避するために、ロンドン空爆は夜間に行なうようになったが、出撃したパイロットにもペルビチンが支給された。

戦況が進むにつれて戦場でペルビチンが不足するようになったが、兵士たちは家族への手紙で町の薬局でペルビチンを買って送るように懇願した。

全面戦争であった第2次世界大戦は、国家経済のすべてを軍事生産に転換し、さらに兵士と労働者の肉体的エネルギーと闘志に依存した。覚醒剤の増強効果は、権力、服従、耐久力、効率、超人的な力というナチの崇拝にぴったりと適合した。

連合国軍も追随

連合国軍(最初はイギリス軍、次にアメリカ軍)も熱心に兵士にドーピングを行なった。戦争末期にはドイツ軍が覚醒剤の副作用を懸念していたにもかかわらず、連合国軍の覚醒剤(アンフェタミン)は戦況の深刻さに応じて重要性を増していった。

イギリス空軍は大西洋上の定期的なパトロールを行っていたが、哨戒飛行は長時間かつ夜間という単調な飛行であったために、パイロットにとっては心身共にひどく消耗するストレスのたまる任務だった。かれらは、眠気防止のためにアメリカで市販されていた「ベンゼドリン」を自発的に服用していたが、のちにこれが軍の正式な支給品となった。

ドイツ本土への空爆はさらに危険で過酷だった。コックピット内は寒く、空気が希薄で、最悪の場合は失神することもあった。特殊なスーツも開発されたが、人の身体を内側から改善することも必要だった。

アンフェタミンはパイロットの強力なパフォーマンス向上剤として期待された。しかもアンフェタミンは、長時間の危険な出撃に伴う恐怖や不安も和らげてくれた。

イギリス軍は、第2次世界大戦中に全体で7200万錠のベンゼドリンを使用したといわれている。軍隊の薬理学的強化の当初の目的は、疲労と闘い覚醒度を高めるという一般的なものだったが、戦況が進むにつれて、それは軍隊の持久力と効率性を高めるという戦略的なものへと変わっていった。

アメリカ軍の覚醒剤利用も、空軍からだった。1942年後半には、パイロットの睡眠欲求を抑えるため、ベンゼドリンを大量発注して爆撃機の緊急キットに含ませた。

陸軍も海軍もこれに倣った。サンディエゴの海軍基地には、南太平洋に派遣される部隊に供給するためのアンフェタミン工場があった。

第2次世界大戦中にアメリカ軍が消費したベンゼドリンの総量は、1200万人の兵士のほぼ全員に支給するのに十分な量であったといわれている。とくに最大の消費者であり続けたのは空軍だった。高高度を飛ぶB-29爆撃機のキャビンは一定の気圧を保つ特別構造になってはいたが、ベンゼドリンはパイロットを肉体の内側から守った。

全面戦争という利害が、精神作用物質による人間の能力の拡張に対する倫理のブレーキを緩めたのである。

日本では「戦意高揚剤」の名前

1941年12月の真珠湾攻撃当時、日本国内には24種類のアンフェタミンやメタンフェタミンを含む覚醒剤が販売されていたが、この年には「ヒロポン」の製造が始まっていた。この薬物こそ、1919年に日本人化学者が初めて合成した「メタンフェタミン」である。

政府は、この薬物を戦場に投入し、軍需工場の生産性を高めるためにも使った。それは「戦意高揚剤」と呼ばれた。

まさに総力戦だった。重要なのは、生産能力と戦場への補給能力を維持することである。兵士に限らず、多くの労働者たちは、日常的に心身の限界を超えて追い込まれていった。戦争末期には特攻隊員に大量のメタンフェタミンが投与されたのは周知のことである。これは「突撃錠」または「特攻錠」と呼ばれた。

ベトナム戦争、湾岸戦争でも

第2次世界大戦が終わっても、アメリカではアンフェタミンの消費が急増した。朝鮮戦争(1950-1953)でも標準的な支給品だったし、ベトナム(1954-1975)では、デキストロアンフェタミン(製品名「デキセドリン」)がキャンディのように配られた。

ジャングルの中で民族解放戦線に包囲され、攻撃を受ける米軍兵ら
ジャングルの中で民族解放戦線に包囲され、攻撃を受ける米軍兵ら=1965年2月、サイゴンの北にあるベンカット地区、秋元啓一撮影

1986年のリビア空爆では、飛行時間が十数時間にも及んだため、乗組員にデキセドリンが投与された。また、1990年から1991年にかけての湾岸戦争、砂漠の盾作戦や砂漠の嵐作戦でもアンフェタミンが使われた。これらの作戦は、ノンストップで「スピード」をもって行なわれたのである。

アンフェタミンは、第2次世界大戦の戦場を活気づけて以来、究極の軍事能力を向上する薬物となっている。あの戦争は人類史上最も破壊的であっただけでなく、最も薬理学的に強化された戦争でもあった。

戦闘をより多く、睡眠をより少なくするために、数千万錠もの薬が戦闘員に配られた。覚醒剤がその後数十年の間に、広く入手可能なものから厳しく管理されるものへと変化したにもかかわらず、この薬は戦争で荒廃した地域で多くの戦闘員が選択する薬物となり、軍事大国によって処方され続けたのである。

睡眠不足による肉体疲労が人体に及ぼす影響は、飲酒や酩酊による影響とほぼ同一である。疲労はエラーのリスクを増大させ、文字通り死の危険につながる。高速で行われる長時間の軍事作戦でも、集中力と覚醒、そして高い効率性が要求される。

しかし、アンフェタミンの半減期は10時間以上だから、不眠症に悩むパイロットも多い。そこで、入眠を促して、体内時計の狂いを人工的に調整する薬物が不可欠となる。つまり、戦争には入眠を妨げる〈興奮剤〉と入眠を助ける〈抑圧剤〉が欠かせないのである。兵士たちはこれを〈ゴーピル〉と〈ノー・ゴーピル〉と呼んでいる。

問題は、薬理学的刺激と鎮静のサイクルで人が活動する場合、繊細な脳の生化学的安定性を乱すリスクが無視できないことである。近年、アンフェタミンよりも依存症が少なく、副作用も少ないといわれている〈モダフィニル〉(日本での商品名は「モディオダール」)に各国の軍隊が注目している。

最後に映画の話を紹介して結びとしたい。

日本でも大ヒットした映画『アポロ13』(1995年)。1970年4月17日、酸素タンクの爆発によって危機的な電力不足が生じ、クルーは極度の疲労と体温低下で強烈な睡魔に引きずり込まれそうになる。さらに司令官のミスで地球への帰還が絶望的な事態となった。映画には出てこなかったが、そのときヒューストンが実際にとった救出作戦のひとつは、クルーに事前に支給されていたデキセドリンを服用するように指示することだった。