人生で一番キツかったアルバイトと聞かれたら、即答するのは交通警備員で経験した、ある現場の思い出だろうか。
その仕事は、国道に通じる田舎の市道を深夜22時から朝6時まで、600mほど先から通行止めにするものだった。
そして私の役割は、通行止めの入り口に立って「バリケードに異常がないか、ただ見張っているだけ」というものである。
1月下旬、工事現場は受け持ち場所から全く見えず、作業音すら聞こえないのでとにかく暇で寒い。
真っ暗闇の深夜、雪が降る山間部の静寂の中に一人、ただ立っているだけのお化けの真似ごとのような仕事だ。
何もやることがないのだから、こっそりスマホゲームでも楽しめばいいだろうと思うかもしれないが、時代は1990年代前半のこと。
スマホどころかインターネットもまだ一般に普及しておらず、そもそも警備の仕事なので暇つぶしなど厳禁であり、8時間その場に立っていることしか許されない。
「人間って、暇ほどキツい仕事はないんだな…」
大学生の浅はかさで、とにかく楽でたくさんお金がもらえるアルバイトを選んだつもりだったのだが、結果としてこれほどキツい仕事は無いことを思い知る体験になった。
しかしそれからずいぶんと時が経ち、いい年のオッサンになった今、思うことがある。
人間には、それよりも遥かに苦痛で耐え難い仕事が存在する。
そして恐ろしいことに世の中では、多くのリーダーたちがそんな仕事を部下や取引先に、無自覚に強制している。それはどういうものか。
”根本的にイカれている”
話は変わるが、私はかつて地方の中堅メーカーで経営の立て直しに携わっていたことがある。
創業社長が一代30年で築き上げ、地方では知られた存在の素晴らしい会社だ。
しかし経営難に陥り、縁あって社長を支えるポジションで任されることになった仕事だった。
挨拶もそこそこに、私が最初に向かったのは工場の製造部だった。
そして生産日報や製造報告書を見せて欲しいと依頼したのだが、現場リーダーからいきなり強烈な一言を浴びせられる。
「またですか…偉い人ってみんなそう!日報を書け、データを提出しろと同じことばかり!」
製造部の課長を務める彼女は怒りを隠そうともせず、私の訪問をあからさまに拒絶した。
さらに1週間分のデータだといい、紙の束を机に叩きつけると好きに見ろと言い捨てる。
「何様か存じ上げませんが、私たちが毎日、何種類の報告書を書いていると思います?」
「把握しておりません」
「社長、事業部長、工場長、営業部長向けに4種類です。しかも全部、フォーマットが違います。内容は全て、同じようなものなのに」
「…なるほど」
「私たちはこのレポートを作る為だけに毎日、1時間以上もサービス残業をしています。で、今日からはあなたの分も作れと言いに来たんですよね?」
叩きつけられた紙を一通り手に取り眺めると、なるほど彼女の怒りは十分に理解できた。
無意味で無秩序な色使い、文字の装飾、罫線の使い方など、仕事ができない人間が作ったエクセルフォーマットであることは明らかだ。
さらに記載を求める内容も、
・製造実績
・製造原価
・予定売上
など、同じデータばかりを報告させるものである。
彼女たちはそれを、パソコンの画面を見ながら何度も、4つの異なる報告書に繰り返し手入力している形だ。
これではストレスがたまらない方がおかしいだろう。
「課長、これら数字を打ち込む際に元になるデータがあると思います。csv形式で出力できますか?」
「…できますけど」
「では、これら報告書のフォーマットと、そのcsvデータを私に送って下さい。少し隅っこの机をお借りしますね」
そういうと私はその場で、4種類のクソフォーマットを1種類に統合した。
さらにcsvから必要なデータを転記するマクロプログラムを組むと、製造課長以下のメンバーを集め、説明を始める。
「日報ですが、このボタンを押せば自動で完了するようにしました」
「えぇ?どういうこと?」
「嘘やん!私たちがやってた無駄な仕事はなんやったん!?」
そういうと彼女たちは目を輝かせ、ストレスフルで無駄な仕事から解放されたことを口々に喜んでくれた。
そしてこれをきっかけに、日々困っていることを積極的に相談してくれるようになり、大いに助けてもらえることになる。
このような話は、枚挙に暇がない。
総務部をまわった時には、大量のタイムカードを机の上に重ね、皆が夜遅くまでなにやら作業をしているのを見かけることがあった。
いったい何をしているのかと聞くと、タイムカード数百枚をエクセルに手入力しているのだという。
そのため月初は、総出で毎日遅くまでサービス残業を強いられているのだと説明してくれた。
「データを直接扱えるタイムカード本体など、1台10万円もしないはずです。なぜそんなことを手作業でしているのですか?」
「事業部長に却下されたんです。貧乏会社でそんな投資をする余裕があるかと…」
投資をする余力がないのはその通りだろう。
だからといって、無駄で無意味なこんな作業を削減できる価値は、10万円どころの騒ぎではないではないか。
何よりも、社員にサービス残業させればタダという考え方が、根本的にイカれている。
もちろんここでも、すぐに体制を改め翌月には新しいタイムカードでの運用を開始した。
総務部の皆が喜んでくれたのは言うまでもないが、しかし効果はそれだけではない。
パート・アルバイトさんの勤務状況がマクロでもミクロでも可視化され、人員の最適配置に大いに貢献することになったのである。当たり前だが。
結果として、たかだか10万円の投資は月間数百万円の労務費の最適化に繋がることになる。
私は結果として同社の黒字化に成功するが、やったことなど本当にこの程度のことに過ぎない。
明らかに無駄で無意味な仕事を、ただ止めさせただけである。
断言できるが、世の中にはこのように部下の足を引っ張る、ブルシットジョブ(クソどうでもいい仕事)を強制するリーダーが溢れている。
“管理してます感”のために無駄な仕事を作り出し、会社の利益も信頼も台無しにするどうしようもない人たちだ。
悪質なことに、こういうリーダーたちは「社員を長時間働かせることこそ管理能力」という、狂った価値観を併せ持っていることが多い。
こういう仕事、こういうリーダーを排除するだけで、多くの会社では間違いなく利益が上がる。
もちろん、従業員満足度も桁違いに改善する。
ぜひ、経営がうまく行っている会社も、そうでない会社でも、参考にして欲しいと願っている。
心を破壊する"最凶のパワハラ"の正体
話は冒頭の、「人間って、暇ほどキツい仕事はないんだな…」についてだ。
学生時代、そんな風に考えていた私が今、どんな仕事を知り「人生には、それよりも遥かに苦痛な仕事が存在する」と考えを改めたのか。
ロシアの前身であるソ連は、捕らえた捕虜に「囚人の穴掘り」という罰を課していたことをご存知の人はいるだろうか。
毎日、朝からひたすら穴を掘らせ、そして夜になると自分で掘った穴を埋め戻すことを命じるものである。
穴の大きさも深さも看守の思いつきで、無意味な作業であることは疑いようがない“仕事”だ。
そんな生活を1ヶ月も続けさせると、どれほど屈強な捕虜も泣きを入れ、看守に従順になったそうだ。
つまり人間にとって、暇よりも遥かに苦痛で心を破壊する仕事とは、「クソどうでもいい無意味な作業」と考えられていたということだ。
まさに、ブルシットジョブである。
4種類の日報フォーマットに同じデータをひたすら入力させ、問題と思わない上司。
数百人分のタイムカードを目視でエクセルに手入力させ、経費削減と考える上司。
こういう人間には絶対に、部下と組織を預けてはならない。
ブルシットジョブを指示するリーダーの存在こそが最凶のパワハラであり、”囚人の穴掘り”で会社と人の心を破壊する元凶だからだ。
経営者だけでなく、僅かでもそんな自覚のあるリーダーはぜひ、自分のマネジメントスタイルを見直して欲しいと願っている。