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「日本のリーダーはリスクを過剰評価」桃野泰徳さんがビジネスパーソンに訴えたいこと

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桃野泰徳さん
桃野泰徳さん=1月、奈良市の東大寺前、関根和弘撮影

桃野泰徳さんのインタビュー動画

――桃野さんの記事はビジネスパーソンに向けた内容が多く、中でも企業におけるリーダーのあり方について問題提起するものが多いですね。なぜでしょう。

企業であれ、そのほかの組織であれ、その中にいるリーダーの方は皆さん、どう振る舞うべきかと日頃から悩んでいらっしゃると思うんですね。その意味で言うと、リスクを背負う度胸のあるリーダーが本当に日本では育たないな、と僕は思っています。

日本のリーダーでありがちなのは、リスクしか評価しない人。極端ですが、分かりやすく例えると、「1万円もうかっても100円のコストがかかるならやるな」っていう発想の人です。

本来ビジネスというのは、リターンとコストの兼ね合いでやるものだと思うんです。倫理観やコンプライアンスを守ることは当然のことですが、リターンが大きければその事業に着手するでしょうし、仮にコストが一時的に上回ったとしても、長期的に見て利益が出るのであれば、やはり取り組む、と。

にもかかわらず、短期的なリスクばかりを評価して、「こういうクレームが来たらどうするんだ」というように、起きる可能性がせいぜい1%、3%というリスクまで過剰に評価して、やらないと決断してしまう。小さなリスクを言い訳に、やらないリーダーが多いなと思います。

取材に応じる桃野泰徳さん
取材に応じる桃野泰徳さん=東京・築地、関根和弘撮影

僕の会社は、ウェブメディアを運営したり、オウンドメディア向けコンテンツを制作したりしています。いわゆるコンテンツマーケティングをやっているのですが、その関係で取引先のマーケティング責任者の方から「桃野さんのところにぜひ、記事をいっぱい書いて欲しい」と言われることがあります。

その場合、最初に取引先と話し合って執筆のルールを作るのですが、時に記事が書けないぐらい先方から「禁止事項」を言われることがあります。

一番ひどかったのは、固有名詞はすべて禁止、というものでした。例えば奈良公園という単語を使うのもダメとか。「なぜですか」と問うと、「奈良公園を整備している管理者の許可がいる。管理者が勝手に奈良公園という名前を使われたら怒るかもしれない」と。こちらとしては「うーん」という感じで。

このようなことを言う人には二つのタイプがありまして、一つはリスク管理部門の責任者です。このタイプであれば、もう一つ上の上司の方と話さないと、どうしようもない。

もう一つはマーケティングや営業の担当者で、その場合は腹を割って話すことにしています。

「たぶん本気でおっしゃってないですよね」と聞くと、相手は最初、「どういうことですか」って気を悪くするんですが、例えば「この記事が出たときに、30件のコンバージョンが獲得できるとします。でも些細な2、3件のクレームを恐れて、30件のコンバージョンを捨てるということでいいんですか?」って質問するんです。

すると相手はたいていの場合、撤回することになります。ここから何が分かるかというと、この組織は社員を評価する際、手柄よりも失敗を犯さないことに重きを置いているという事実です。

リスクを取ってチャレンジしても、何か起こったら怒られるということになるので、リスクを過剰に気にするようになるんです。

そんなとき、僕はこう言います。「偉い人に責任を持ってもらいましょう」と。「どうせ偉い人なんて、それしかやることはないんですから」と言ってたきつけます(笑)。

まあ、これでうまくいくこともあれば、いかないこともあります。「桃野さん、あなたの言うとおりです。私の責任でやる」と決断してくれた上司の方もいますし、「あなたが言うことはわからないでもないけど、『炎上』したらどうするんだ」と言う人もいます。

もちろん、炎上するようなことを書くわけがないのですが、こう言われたらもう仕方がないので「わかりました。ではコンバージョンが取れないような、つまらない記事を納めますけど、怒らないで下さいね」と本音で言います。

僕は元々、証券会社の出身で、その後、20代で会社の役員もやっているんですが、言ってみればリスクばかりの世界で生きてきたので、リスクを背負わずにリターンを得ようなんて、およそあり得ないんですよね。

このことは常に僕の問題意識としてあって、僕の書き物もだいたいその辺がにじみ出ていると思います。

――リスクを気にしすぎる組織になってしまうのは、リーダーのあり方に問題がありそうですね。

はい。日本ではまともなリーダー教育を受けないまま大人になって、社会に出る印象ですね。なので、リーダーとはそもそもなんぞや、ということが分かっていない人が多いように思います。

日本で唯一、リーダー教育をやっているのは自衛隊ではないかと思います。

――それはどういうことでしょう。

僕は軍事マニアでも兵器マニアでもありません。自衛隊という組織と、自衛官という人に興味があるんですね。

そういう観点から自衛隊に興味を持ったのは、最初は本などで自衛隊の教育について知ったところからですね。

防衛大を卒業した20代前半の若者が、小隊長として50人ぐらいを率いるという組織運営のあり方とかですね。

ただ、もっと印象に残っているのは、平成22年から平成24年にかけて防衛省の嘱託職員である防衛モニターをやっていたころの経験です。

自衛隊の色んな行事に招いていただく中で、ある部隊の記念行事でのことでした。来賓席が、国会議員や各市町村の首長の方々が座る「超VIP」と、そのほかのVIPに別れていまして、私は間違って超VIPの方に入ろうとしてしまったんです。

そしたらいきなり、ある自衛官が前に立ちはだかったんです。「すいません、こちらではありません」とか、そういうことを言う前に、文字どおり体で止めに来たんですよ。

こちらに触ることはなかったのですが、「絶対に通さない」という強い意志を感じました。

意志の強さ、責任感、迷いのなさ…。言葉遣いは優しく、穏やかではありましたが、すごく圧を感じました。どうやったらこんな姿勢が身につくんだろうと、この組織のあり方や、こういった人材を束ねるリーダーに興味を持ったのがきっかけですね。

大きな組織の動かし方というものを、自衛隊の色んな立場の人に会えば必ず聞いていました。そこから得られるものは本当に多かったです。

例えば、陸上自衛隊における人の動かし方を表す言葉に「威圧統御」「心服統御」というものがあります。部下を威圧して部隊を統率し、任務遂行するか、あるいは部下の心を服せしめて統率するかですが、こうした自衛隊のリーダーシップ論というものを、民間はもっと学んでもいいと思います。

自衛隊でリーダー教育がしっかりしているのは、幹部自衛官、とりわけ将官以上の高級幹部という存在は、そもそもリーダーシップをとることがほぼ唯一の仕事だからだと思うんです。

ご存じのように、自衛隊は士と曹と幹部から構成されていますが、幹部の仕事は方針を示し、決断し、責任を取ること、そして部隊のパフォーマンスを上げることです。

防衛大学校を卒業するなどして幹部として入隊すれば、いきなり50代のベテラン陸曹長、空曹長、海曹長が部下につくことがあります。

実務はそうした部下たちがやってくれるので、幹部の存在意義は意思決定をすること、そして責任を取ることで、極論それ以外にないんです。

ひるがえって民間の組織を考えたとき、一体どうやってリーダー教育ができるのだろうかと思います。

特に終身雇用が崩壊し、上司の背中を見ながら長年時間をかけて教育をするという時代でもなくなってきた中で、どうやって若い人たちがリーダーシップを身につけ、学べばいいのか。

これは断言できますが、たとえMBAで学ぼうが、大学院で勉強し直そうが、全く身につくものではないでしょう。民間ではどうしたらいいのか。僕自身、「解」は持ち合わせていませんが…。

――それにしても日本は一体、いつからリスクを過剰に評価するという社会になったのでしょうか。

リスクテイクをした人をたたくという文化ですね。僕もまだ答えは持っていないんですが、一つ言えるのは「失敗の本質」にも書かれていますが、旧日本陸軍は失敗したけど、当時は、果敢にリスクを取ることを評価する組織文化はあったと思います。実際、臆病な指揮官よりも果敢に攻めて失敗した指揮官が出世するという文化がありました。

また、軍隊ではありませんが、日露戦争が終わった後、講和条約の内容に不満を持った人たちが「日比谷焼打事件」を起こし、大暴れして放火までするといったアグレッシブな一面が日本人にはありました。

日本人というのは元々、今の私たちのようにおとなしくてリスクテイクしないような性格ではなく、むしろ180度違っていて、この大転換はなぜ起きたのだろうかと、僕の中ではまだ結論は出てないんですが…。

完璧主義に固執せず、失敗を恐れずに挑戦するというのは間違っていない組織文化だったと思います。

ただ、問題なのは、そこに科学的知見が完全に欠落していた点です。例えば兵站や物量を無視するとか。そうなると「ただのばかだよね」ってことになる。勝てるかどうかわからないけど、無謀なことをするというのは優れたリーダーではありません。

その意味で言うと、織田信長のすごさを語るのに、桶狭間の戦いを挙げる人がいますが、これも違うと思います。

信長の生涯の中で、おそらく負けるであろうという形勢で武力に訴えたのは、桶狭間の戦いぐらいであり、これは成功体験ではなく、失敗体験なんです。

信長の本当のすごさは、兵站とか戦いの「根回し」であって、桶狭間以降は必ず、勝つための政治的、物理的環境を整えてから武力行使に踏み切っています。この政治力こそが彼のすごさだと思います。

誰も無理をせず、無謀なことをせず、仕組みを整えて成果を上げる、これができる人こそ優れたリーダーのはずですが、なぜか日本ではむちゃをして成功することが格好いいリーダーだと勘違いする人が少なくない気がします。

源義経の「鵯越の逆落とし」も何もすごくない。そもそも創作の可能性が高いと言われているものをすごいと思っている時点で、リーダー失格です。

いずれにしても、戦前はこういったアグレッシブな面が日本人、日本の社会にはあったわけですが、戦後になってなくなったというのは、もしかしたら無謀なことをしたリーダーたちのせいで日本は敗れてこうなってしまった、という社会的な合意形成があって、むちゃをするなという過剰学習をして、リスクをここまで回避しようとする社会になってしまったのかな、というのが、僕なりの仮説です。

――桃野さんのコラムでは毎回、「話は変わるが」という言い回しで、全く違うエピソードへと切り替わり、最終的にはそれらが一つの「結論」に収斂(しゅうれん)していきます。この独特な構成を思いついたきっかけは?

私の書き物はだいたい3部構成なんですね。一つ目のエピソード、二つ目のエピソード、そして最後にその二つのエピソードが一つの結論へと結ばれていく、という流れです。

この構成を思いついたきっかけは、アメリカのSFドラマ「新スタートレック」でした。「スタートレック」シリーズの実写テレビ番組の第2作にあたり、ピカード艦長が登場する、TNG(The Next Generation)と呼ばれる作品です。

僕はこの作品が、今でも繰り返しDVDを見るほど好きなんですが、あるときふと思ったんですよ。なぜこの作品が面白いんかな、と。

もちろん人間模様も面白いし、ストーリーもよくできているんですけど、それだけじゃないよなと思った時に、気づいたんです。

この作品て、まずイントロがあって、そこでちょっと引きの強い謎かけがあったかと思うと、いきなり場面転換して、別の話が始まるんです。

そして、三つ目の構成で、最初のイントロと、二つ目の話が融合して、一つの話になっていくんですよ。

最初に一番大きい伏線を見せておいて、次に見せ場になる大きな話を展開し、そして最後に伏線を回収しながら、二つのドラマや、登場人物の人生などが一つになっていくという構成で。それに気づいて、「よし、俺の書き物も同じようにしてみよう」と思ったんです。

ちなみに、知人の音楽家に「俺の書き物ってすごく読んでくれる人が多いんやけど、この構成って面白いと思わへん?」て聞いたことがあるんですよ。そしたら、「桃野さん、何言ってんの。それって、音楽では当たり前で、特にクラシックとかでは普通」って言われてしまって(笑)。

その知人からは、おそらくスタートレックも、ディレクターなりプロデューサーなりが、音楽の構成からヒントを得たのではないかとも言われ、「え、そうなん?」ってなって(笑)。

いずれにしても、僕はよく、こう例えるんです。三大うま味成分のグルタミン酸とイノシン酸は、それぞれ単独でもおいしいけど、合わさったら当然、味は相乗効果になるよねって。

二つの面白い話をまるでグラデーションのように一つに重ねていく中で、読者がこちらも思ってもみなかったような拡大解釈をしてくれる。そんな副次的な効果も狙っています。

――コラムでは、近現代史の偉人などのエピソードを紹介することも多いですね。

近現代に活躍した政治家や軍人については本もそれなりに読んでいて、人様に多少なりとも紹介できる知識があるからです。

ただ、実を言いますと、それは二次的な理由で、一番大きいのは、ウェブメディアの読者って、ライターのことを疑ってかかっていると思っているので、信用してもらえるよう歴史的ファクトを引用しているというのがあります。

新聞や本などといった紙媒体は、「さあ読もう」という姿勢で読者は読むと思うんです。手に取るのは基本、好きな作家や興味のある本などだったりするので、「どうせうそ書いているに決まっている」と思って読み始める人はいないと思います。

それに対してウェブ記事は、いい話であればあるほど「どうせうそに決まっている。話を盛っている」などと、基本読者は書き手を信じてくれません。

なので、書く側としては、それを前提として書き方を工夫しなければならない。そうなったとき、記事に説得力を持たせる方法というのは、自分が著名人であるか、著名人の言葉を引用するか、歴史的ファクトを使うか、の三つぐらいしかないんです。

要するに、間違いなく信じてもらえる何かを構成要素として入れなければ、説得力が持てないのです。自分の経験談だけを書いたところで、「お前の狭い経験でしょ」と疑われるのは目に見えているわけです。

そこで歴史上の著名人が下した意思決定を交えて、自分の経験談を紹介すると、すっと頭に入ってくる。偉人のエピソードだけでも知識として学びになりますし。

ウェブライターは、読者からお時間をいただいて読んでもらうわけですから当然、その時間の対価として、何かを持って帰っていただかないといけないので、そうなったときに「自分の体験談を聞いて下さい」では、「お土産」にならないんですね。

――それにしても、話題が豊富です。書く際に偉人のエピソードは改めて調べたり、本を読んだりするのでしょうか。

今のところはまだ、そのような「自転車操業」にはなっていないです。学生時代から純粋に興味を持って読んできた本などから得た知識の蓄積ですね。

僕は自己啓発本とかノウハウ本のたぐいはびっくりするぐらい読まないです。

僕自身、20代である程度の企業の役員になったものですから、どうしてもリーダーというのはどうあるべきか、誰も教えてくれない中で、どう振る舞うのが正解なのかというのを、過去のリーダーたちに求めました。彼らがある状況の中、どんな意思決定をしたのかというファクトに関心を寄せ、そういった本を読みました。

コラムを書くときは、まずテーマを決めて、それにふさわしい自分の体験談と、それに合う偉人の話を考えます。本棚を見ながらどれがいいだろうって感じですね。

近現代の話題が多いのは、その時代までであれば、さかのぼっても史実がしっかりしているからですね。それ以前だと、創作や伝説みたいな感じになってしまうものも多いので。

――今、20代で会社の役員になったというお話もありましたが、桃野さんのこれまでの経歴を教えて下さい。

プロフィール欄などに書いてあるように、大学を卒業して大和証券に入社しました。その後1990年代末から2000年代初頭にかけてITブームが起きるんです。それまで東京証券取引所は、赤字の会社は上場できないルールでしたが、新たに店頭特則市場を発足させ、赤字であっても成長する可能性があれば上場させようという流れが起きました。

一方で、IPOで大もうけしている経営者も次々と出てきましたし、それなら発行体(企業)の側に行ったほうが得やんって、短絡的に考えてしまったんです(笑)
そして、20代後半で大阪のIT企業で役員になりました。

この会社で僕はCFO(最高財務責任者)だったんですけど、いい感じに成長していきました。銀行系のベンチャーキャピタルなどからも出資していただいて。でも結果的には、この会社は3年ほどで経営が頓挫するんです。

CFOとして多額のお金を預かって会社をつぶしてしまったので、CFOとして今後はやらせてもらえないだろうなと。これからどうしよう、子どもも小さいし、「人生詰んだ」と思いました。

取材に応じる桃野泰徳さん
取材に応じる桃野泰徳さん=東京・築地、関根和弘撮影

もう素直に、親交のあった銀行の投資部長に「助けて下さい。ご投資先で僕をCFOとして使っていただけるところありませんか」と泣きつきました。

そしたら大阪の中堅企業を紹介してもらって。従業員は1千人近くいる老舗企業なんですが、債務超過でした。

「桃野君、この会社やれるか?つぶれるかもしれんけど、恨むなよ」って部長から言われて。でも僕としては選ぶことなんてできないので、「リスク取ります。頑張ります」と返事をしました。それが29歳のときでした。

最初は経営企画室長のポジションで入ったんですが、まあ、大変でした。まず月次決算が全然できていない。何にいくら使っているかもわからないし、そもそも月次決算が翌々月の10日とかに出てくるんです。

普通の会社だったら、月末に締めたら翌月の10日は前月の数字は上がってくるのが当たり前なんですが…。

なぜこんなことになっていたかというと、この会社はたくさんの事業所を抱えていたんですが、遠隔地にある事業所の数字も集計してから決算を締めていたんですね。

その事業所は売上のどのくらい占めているのかと聞くと、0.5%だと。しかも売上自体は安定していると。であれば、仮の数字を入れておいて、数字が確定後、差分を期末に調整すればいい話なんです。

そんなことから少しずつ改革していくと、1カ月後ぐらいには翌月の10日にはほぼ正確な月次決算が出てくるようになりまして。さらに2、3カ月後には工場の日次決算もわかるようになって。

事業所というのは食品工場だったんですが、お客さんの要望に応じてどの食品をどれだけ製造したら利益が出るのか、あるいは出にくいのかということも、工場の数字を全て可視化し、従業員の配置もルール化・標準化したんですね。そしたら劇的に数字が良くなって。

結果、数カ月で取締役CFOのポジションに返り咲きました(笑)

数字の可視化をさらに進めると、多くの課題が見えてきて。例えば、生産量に比例しない人件費の投入を工場によってはやっていて。

パートさんの希望通りにシフトを入れている工場があったのですが、パートさんは体感的に忙しい日は嫌がって、暇な日を好んで勤務に入りたがっていました。そのままシフトを組んでいたら、暇なときにパートさんがふくれあがって、忙しいときにパートさんがいなくて、その分は社員が働いて残業代がかさむという、無秩序な状況だったんです。

それを予測生産量に比例してシフトを組むようにしましょうと工場長に提案したら、工場長が本当に優秀な人で。可視化された数字をもとに完璧な工場管理の仕組みを作ってくれたんです。

これがやっぱりCFOやなって実感しました。単に数字を出して、それが多いとか少ないとか言うだけでなく、現場のリーダーたちに改善のために役立ててもらって、現場が生き生きとする、と。

結果的にこの会社はIPOに至りませんでしたが、同業他社への売却でイグジットし、そして僕もほどなくして会社を去りました。その後は別の会社をへて起業し、今にいたります。

――今後、書きたいテーマなどがあれば教えて下さい。

書きたいテーマは今すぐには思いつきませんが、自分の書き物を通じて一人でも多くの人の役に立ちたいと思っています。

具体的には、みんながおかしいとか、間違っているとか思いながらも、ついやってしまっていること、例えば疑問を持ちながらもリスクを過剰に評価してしまうこともそうですが、そうした人たちに、「あなたは間違っていない」というメッセージを伝えられたらと思います。

一方、リーダーに対しては、「あなたたちの仕事は決断し、リスクを取ること」と言いたいですね。特にリーダー中のリーダーである経営トップには、「あなたが言い続けなければ、変えなければ、組織は絶対に変わらないですよ」というメッセージを発信し続けたいと思っています。

そういうことができる企業が増えていくことで、日本の企業は生産性や競争力を取り戻すことができると思うんです。

なじみの寿司店でくつろぐ桃野泰徳さん
なじみの寿司店でくつろぐ桃野泰徳さん=1月、奈良市、関根和弘撮影