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五輪の懐を潤し、物語を紡ぐTVとIOCの蜜月関係  利益はスポーツ途上国にも

World Now
IOC本部前にある銅像/photo:Nishihata shiro

IOCに今の経済的な繁栄をもたらした最大の功労者は、米国のテレビ局だといっても過言ではない。

「43億8000万ドル」。2011年6月、米テレビ界に激震が走った。2014年から20年までの夏冬4大会の米国内の放送権を手にするために、米4大ネットワークの一つ、NBCが提示した額に業界は驚いた。FOXの入札額は34億ドル、ESPNは2大会で14億ドルと、足元にも及ばなかった。

この巨額の落札劇は、IOCの財政基盤が少なくとも2020年まで安泰であることを保証するものでもあった。

「IOCの今の隆盛を見れば、想像がつかないかもしれないが、サマランチが会長に就任した1980年当初、IOCの金庫はカラに近かった。劇的に変えたのが、テレビマネーだ」。IOCの初代マーケティング部長で『オリンピックはなぜ、世界最大のイベントに成長したのか』の著者マイケル・ペインは語る。

88年カルガリー大会をめぐり、ABCが84年サラエボ大会の3倍以上という異常な高値で落札したのは、今も語り草。当時の3大ネットワークの熾烈な争奪戦が世界の相場を一気に引き上げた。

IOCは米国、欧州、中東、日本、南米など、各地域ごとの放送局と個別に放送権の交渉をしている。日本の五輪放送権交渉に長年携わってきた元NHKスポーツプロデューサー、杉山茂は「米国の契約額が一つの指標となり、それと連動して日本の金額も引き上げられていった」と解説する。

日本の放送収支は初の赤字

90年代以降も右肩上がりが続いた要因は何か。一つは、94年リレハンメル大会以降、夏と冬の大会を同じ年ではなく、今のように2年ごとに別々に開催する方針を決めたこと。「ABCの社長がサマランチとランチをしていたとき、同じ年に2大会分の資金を出すのは、放送局にはもう無理だと提案したのがきっかけだった」とペインは振り返る。

二つ目は複数大会の契約だ。1995年9月、NBCは2000年夏と02年冬という史上初の夏冬同時契約を12億5000万ドルで結び、3カ月後には、まだ開催都市すら決まっていない3大会に23億ドルという破格の契約金を払うことを決めた。

NBCは、夏季は1988年ソウル以来、冬季は2002年ソルトレーク以来のすべての大会を独占。ロンドン大会は2億人以上が視聴し、「米国史上、最も多くの人が見たイベント」と発表した。

NBCの売り物は選手たちを主人公にした物語性の高い番組作りだ。「普段はスポーツ中継を見ない女性の視聴者の共感も呼び、広告を出す企業が好む状況となった」。ABC、NBCのスタッフとして計14大会の五輪放送に携わった米ホフストラ大准教授、デニス・マゾッコは人気の要因をそう分析する。

テレビマネーの威光にひれ伏すように、国際競技連盟は五輪競技に残るために、放送に適した試合時間の短縮やルールを変更する傾向が強まっている。アジアで開催された1988年ソウル大会、2008年北京大会では、米国のゴールデンタイムにあわせて米国の人気競技の決勝が行われた。

ただ、五輪のテレビ放送権料が今後も安泰かについて、ペインは懐疑的だ。「放送権交渉のカギは、各局の競争だが、欧米の経済、広告事情を考えると、もう限界」という。

いち早く、黄信号がともったのが日本だ。日本の五輪放送は、NHKと民放が合同で放送権を購入するのが伝統だが、日本民間放送連盟は昨年9月、ロンドン五輪の放送収支が赤字だったことを明らかにした。1984年ロサンゼルス大会以降、赤字は初めて。CM収入の伸び悩みが響いている。

テレビマネーが目減りしたら、IOCの財政基盤も、揺らいでしまう。
(中井大助、稲垣康介)(文中敬称略)

稼いだお金はどう使っている?

IOCの収入源の一番手は放送権料だが、もう一つの柱が「TOP(ザ・オリンピック・パートナー)」制度と呼ばれるスポンサーからの協賛金だ。1業種1社に限り、世界中で五輪のシンボルマークやマスコットを独占的に広告・宣伝に使うことを許可する。契約は五輪の開催にあわせて4年ごとだから、夏冬1大会ずつ。さらに長期契約を結ぶ企業もある。

このアイデアを提案したのが、アディダス社のトップ、ホルスト・ダスラーだった。1982年に大手広告会社・電通と共同で設立したマーケティング会社ISLがIOCのマーケティングを請け負い、85~88年の第1期にIOCが得た収入は9600万ドル(9社)だった。IOCが自ら募る今、2009~12年では9億5700万ドル(11社)に高騰している。

しかし、会長のロゲは、IOCは金の亡者ではないと強調する。「我々は収入の9割以上をスポーツ界に還元している。各国のオリンピック委員会、国際競技連盟、大会組織委員会にも分け、恵まれない国々のアスリートを経済的に支援している」。2008年のIOCの支出=グラフ参照=を見ると、支出のうち、IOCの運営費は1割にも満たない。

国際競技連盟への分配方法も、夏季競技の場合、テレビ放送時間、新聞、インターネットへの露出、世論調査、観客数などの基準から五つのランクに分かれている。最高位のグループAは陸上、水泳、体操だ。

TOPスポンサー収入から各国オリンピック委員会への配分は、1990年代までTOPの大半を米国系企業が占めていたことから、米国が他のすべての国・地域の合計額に匹敵する分配金を受けていたが、昨年、是正が決まった。(稲垣康介)(文中敬称略)

テレビマネーで支援するスポーツ途上国

優秀な選手は、優秀なコーチから/photo:Wake Shinya

IOCが五輪でもうけたお金の一部は、経済的援助が必要な国や地域のスポーツ発展に使われている。スリランカの最大都市のコロンボで6月末、10歳以下を対象にしたテニス大会が開かれた。低反発ボールを使うルールで、この国ではいまテニスをする子どもが増えている。推進したのはスペインへの短期留学の経験を持つナショナルコーチのクリス・ピレイ(32)だ。

クリケットの人気が圧倒的に高いスリランカでは、テニスはマイナースポーツ。世界ランキング上位の選手も、五輪出場選手もいない。状況を変えるため、スリランカのテニス協会とオリンピック委員会は2006年、国際テニス連盟がスペイン・バレンシアで開くコーチ育成プログラムへのコーチ派遣を決めた。選ばれたのがピレイだった。

独学で英語を習得し、国内各地で指導して回る熱心な姿勢が評価された。スペインへの渡航費など合わせて100万円ほどの経費が問題だった。頼ったのがIOCから出た支援金だ。

転機は84年ロス五輪

もともと、独立したばかりの国のスポーツ振興を後押ししようと1960年代初頭に始まった支援制度は、当初、資金不足で満足のいく支援はできなかった。しかし、84年のロサンゼルス五輪から状況が一変。潤沢な放送権料を元に、IOCは4年単位で取り組める選手やコーチの育成支援制度を充実させた。IOCの収入増加に伴い、途上国などへの支援金も増え、2005~08年に2億4400万ドル、09~12年に3億1100万ドルの予算が組まれた。

選手の直接的な育成でなくコーチ育成を優先させたことについて、スリランカ・オリンピック委員会事務局長のマクスウェル・デ・シルバは「優秀な選手を育てる環境づくりは、優秀なコーチを育てることから」と話す。ピレイは3カ月の研修で、最新のコーチ理論や実技を学び、国際テニス連盟がプロを指導できる水準と認めるコーチ資格も取得した。「世界屈指のダビド・フェレールの練習を目の前で見られた。刺激的な日々だった」。世界各地のテニス先進国を訪れ、世界で戦える選手を育てるにはテニス人口の拡大が必要だと痛感した。幼少期からテニスに親しめる環境をつくったのはこのためだ。

さらに今年2月、国内初の私立テニススクールを立ち上げ、発掘した才能を育成する事業にも乗り出した。「若い選手が夢を持てるトップ選手の成功モデルをつくりたい」と話す。16歳の選手は来年、女子ツアー参加に手が届く所まで実力をつけてきた。

南アの水泳、ブラジルの柔道。奨学金でメダリスト続々

IOCの奨学金で育った選手が、2012年ロンドン五輪でも、続々と輝きを放った。印象的な選手の代表格はジャマイカの陸上短距離選手、ヨハン・ブレークだ。100m、200mとも同郷のウサイン・ボルトに及ばず銀メダルだったが、ボルトと組んだ4×100mリレーでは世界記録樹立に貢献して金メダル。「野獣」の愛称で観客に親しまれ、主役級の活躍を見せたブレークは、IOCの援助でトレーニングや遠征をこなし、力をつけた。

ロンドン五輪に向けた09~12年には、177の国内オリンピック委員会に推薦された1264人の選手が合計1900万ドルの奨学金を受けた。

このうち、ヨーロッパ256人、アメリカ129人、アフリカ121人、アジア127人、オセアニア24人の計657人が実際にロンドン五輪に出場。計20種目に分かれて挑み、金と銀が各23個、銅30個で計76個のメダルを獲得した。

南アフリカのキャメロン・ファンデルバーグは競泳の100m平泳ぎで世界記録をたたき出し、競泳で南アフリカ初の金に輝いた。柔道の女子48キロ級に出場したブラジルのサラ・メネゼスも、地元女子柔道界に初の金メダルを持ち帰った。(和気真也)(文中敬称略)