日本を代表するハリウッドスターの渡辺謙について、その出演作の中でいちばん印象深いものと聞かれたら、なにを挙げるだろう。
きっと多くの人が、ラスト・サムライや硫黄島からの手紙、Fukushima50といった人気映画を答えるのではないだろうか。
しかし50代以上の年配の人であれば、独眼竜政宗を思い浮かべる人も多いはずだ。
渡辺の役者人生で金字塔になっているであろう、もう40年近く前のNHK大河ドラマである。
その独眼竜政宗には、やはり多くの人の記憶に残っているであろう、こんな名場面がある。
伊達政宗の父・輝宗が畠山義継に拉致され、まさに敵国に連れ去られようとしているさなか、阿武隈川のほとりで命を落とすシーンだ。
この時の、渡辺の鬼気迫る演技は凄まじかった。
「撃てーーー!!うわあぁぁぁ!!」
涙を流し、半狂乱になりながら言葉にならない発射命令を下し続ける政宗。
「政宗!わしを撃てーーーー!」
絶叫し、絶命する父・輝宗。
その迫力あるシーンから、当時中学生だった私はこんなメッセージ性を感じ取っていた。
「戦国武将として大成するには、非情な決断も時に必要なんだな…」
しかし時が経ちオッサンになった今、あの場面を全く別の意味で理解している。
「きっと輝宗は、安らかに死ねたのだろうな…」
渡辺も、政宗のそんなジレンマを表現するために、あの半狂乱を演じたのではないだろうか。
「おおきに… おおきに…」
話は変わるが、もう随分昔のことだ。
末期がんで余命が宣告され、いつ“その時”がきてもおかしくない父の病室に泊まり込むことがあった。
令和の今では、どんな緩和ケアがなされているのか知らない。
痛み止めのモルヒネがどんどん増えていった当時、父の意識はやがて飛んでしまい、家族すらわからなくなっていった。
入院しているのは個室、つまり“看取り”部屋である。
「部屋の隅っこに誰かいる…。それ誰なんや?」
「誰もおらんよ?ほら、俺が今、立ってる場所な、誰もおらんやろ?」
「お前の横に立ってるねん。白い服着て…誰や?」
いくらモルヒネの影響とはいえ、真っ暗な病室の隅を指差しそんな事を言うとは、怖すぎるだろう。
誰かゆかりの人がお迎えに来ているのかも知れないが、あまり深く考えないようにして恐怖を忘れた。
しかし家族の看取りや介護は、本当に終わりのみえない過酷な“重労働”だ。
どれだけ心身が追い詰められても、終わりを期待することがはばかられるので、なおさらである。
点滴を引き抜き血まみれになったかと思うと、トイレをしたいと30分ごとに起きあがろうとする。
病室に簡易ベッドを持ち込んでいたが、とても寝られたものではないので体力が削られ、気持ちが荒んでいく。
(チッ…またか)
(もういい加減にしてくれよ…)
やがて堪えきれず、そんな言葉が小声で出るようになった。
薬でイカれた目の前のオッサンは、もはや私の尊敬できるオヤジではない…。
そんな思いもあり、なぜ“父とは別人格の誰か”の面倒をみないといけないのか、共倒れになりそうだった。
そんなある日のこと。
深夜に上半身を起こすと、また虚空に向かって話し始める父。
「そうか、悪いな…。… … … でもな、…なんや。本当にスマン」
何を言っているのかよく聞き取れないが、親しい誰かがみえているようだ。
家族というよりも、古くからの友人に向けての言葉に思える。
そしてしきりに謝っている。
「…世話になりっぱなしやったんに…」
「…お返し…できずに、本当にスマン」
そんな途切れ途切れの言葉の最後に、こんな事を言った。
「…先に逝くけど、…許してくれるか?」
思わず父をハグし、応える。
「当たり前やろ!後のことは大丈夫だから…心配するな」
「…そうか、お前も泣いてくれるんか…。ありがとう、ありがとう…」
弱りきった腕で私を抱き返すと力が抜け、そのまま横になり眠りについた。
そしてその日は珍しく、そのまま朝まで目を覚まさなかった。
大事な友人(?)になりすましたことに少し心が痛んだが、きっとなにか一つ、心残りを解消できたのだろう。
そして“その時”は急に訪れる。
意味不明な言動に眠れぬ夜を過ごし、もう我慢も限界を突破していたある深夜のこと。
「…ヤスノリ」
「…え??」
父が私の名を呼んだのは、3ヶ月ぶりだろうか。
もうそれくらいの期間、モルヒネで意識が飛んでいたからだ。
素人にもわかる、間もなく命が尽きるであろう荒い呼吸で、父が続ける。
「そろそろだと思う…だからこのまま…ここにいてくれ…」
「わかった、大丈夫。そばにいるから」
「母さんだけ…頼む…」
父の手を握り、一つ一つに頷く。
「長いこと本当にスマンかった…」
「何言ってるねん、当たり前やろ!」
「おおきに… おおきに…」
そういうとまた混沌とした意識に落ちていき、やがて目を閉じた。
そのまま翌朝を迎え、昼過ぎには集まった家族全員に見守られ、穏やかに息を引き取った。
間もなく死ぬというのに、人の意志とは、ここまで強いものなのか…。
臨終のわずか12時間ほど前の出来事だったと思うが、ほんの3分だけ正気を取り戻すなど、ドラマでもやりすぎな設定だろう。
文字通り「死の苦しみ」の中で、モルヒネの影響を振り払い正気を取り戻して最期のメッセージを伝え切るなど、とても言葉にならない。
ラガーマンだったそんなオヤジが、“ノーサイド”の瞬間まで戦いきった事実、戦いきった思い出は今も、心の支えになり続けている。
「最期を迎える権利」
話は冒頭の、伊達政宗についてだ。
「きっと輝宗は、安らかに死ねたのだろうな…」
なぜ父を”見捨てた”政宗の判断を、そのように感じるようになったのか。
危機的状況の中、輝宗は拉致され人質になることを由とせず、敵ごと自分を討つよう何度も呼びかけた。
しかしそんなこと、簡単にできるはず無いだろう。
スキを見て父を奪い返せるかも知れない。このまま畠山領に連れ去られたとしても、外交力で取り返すことだって不可能ではないはずだ。
しかし輝宗を拉致され、人質として様々な交渉を持ちかけられれば、伊達家の弱体化もまた避けられるものではない。
だからこそ、自分ごと敵を殺せと繰り返し呼びかける父に従い政宗は、半狂乱で発砲を命じた。
諸説ある歴史の出来事ではあるが、少なくともこの筋書きに感情移入した当時の私は、渡辺の演技に圧倒され心奪われた。
そして話は、私の父についてだ。
父は余命を宣告されると、痛み止めの処方だけを希望し、その他一切の治療を求めなかった。
本質的に意味の無い延命治療を全て拒否し、医師も最後までその通りにしてくれた。
だからこそ、最期のメッセージを伝えることができる“奇跡的な”機会を得られたのだろう。
歴史に名を残す名将・伊達輝宗の最期に父をなぞらえるのはおこがましいこと、百も承知している。
しかしながら、「無意味な延命よりも、子と家族の繁栄を願う親の想い」は、立場や時代を異にしても大差など無いはずだ。
その結果として、輝宗はタフな英断を下した息子・政宗の手によって、自分の意志の通り最期の時を迎えることができた。
私の父は、最期の時にしっかりと、最期の想いを子に伝えることができた。
これが人として父親として、本望でないはずなど無いだろう。
「きっと輝宗は、安らかに死ねたのだろうな…」
だからこそ今は、あのシーンのメッセージ性をそんな形で受け止めているということだ。
そう言えば、まさにこの2024年3月末で、介護療養型の医療施設が完全廃止されるそうだ。
重度の要介護者を受け入れ、事実上、その最期を看取る病院であると理解している。
私たちの社会には、今まさに現役世代の負担と高齢者福祉の狭間で、さまざまな議論が巻き起こっている。
「惜しまれ愛されながら、最期を迎える権利」
「誇りある最期を迎える権利と、家族の葛藤」
これこそが40年の時を超えて、半狂乱の渡辺謙の演技が令和の私たちに語りかけている本当の課題ではないのか。
そこまで言ったら、言い過ぎだろうか。