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山田寅次郎に学ぶ起業の教訓 エルトゥールル号遭難でトルコに尽くした異常な行動力

桃野泰徳の「話は変わるが」~歴史と経験に学ぶリーダー論 更新日: 公開日:
山田寅次郎氏の写真
山田寅次郎氏=©一般社団法人山田家

少し前のことだが、大学の後輩と飲んだ時にこんな話を聞くことがあった。

「桃野さん、あの高級食パンビジネスって実はオレ、独立してでもやろうと思ってたんです。先を越されました!」

大手商社に勤める後輩のことだ。

鼻が利き、ビジネスセンスもあるヤツなのできっと本音なんだろう。

高級食パンブランドが次々に立ち上がり、どの店も行列ができているのを横目で見ながら、悔しい思いをしていたのだろうか。

自分はこう考えていた、こうすればもっと上手くいくのにと、暑苦しい飲み会になったことをよく覚えている。

そしてその後輩と最近、久しぶりに飲んだ時のこと。

高級食パンブームは完全に終わり、その火付け役であった「乃が美」は閉店ラッシュからFC本部とオーナーの間で訴訟トラブルになるなど、消費者不在ともいえる末路を辿っている。

食パンのイメージ写真
写真はイメージです=gettyimages

そんなこともあり、後輩は改めて力説した。

「ほら、オレの言った通りじゃないですか。あのやり方じゃダメなんですよ!」

たしかに彼の言うことは、間違っていないのだろう。

しかし全く腹落ちしない「正論」に、思わずこんな事を言ってしまった。

「うーん…。きっとお前でも、同じようなことをやらかしたと思うぞ」

「自分で行きなよ」

話は変わるが、「何をしたのかよくわからないけど有名な、歴史上の偉人」といえば、誰を思い浮かべるだろう。

独断と偏見で恐縮だが、坂本龍馬を挙げる人が多いだろうか。時代劇で有名な「越後屋」も悪の代名詞として妙に有名だが、その偉業を知る人は少ないかもしれない。

しかし、中でも山田寅次郎ほどに、知名度の割に何をしたのかよく知られていない人物も珍しいのではないだろうか。

以下少し、この人物の生涯について触れていきたい。

なおファクトについては、以下の書籍を中心に引く。

「明治の快男児 トルコへ跳ぶ」(現代書館)

「明治の男子は星の数ほど夢を見た」(産学社)

山田寅次郎氏の写真
山田寅次郎氏=©一般社団法人山田家

寅次郎の功績が再注目されるきっかけになったのは、おそらく1985年3月17日のことだ。

イラン・イラク戦争のまっただ中にあった当時、イラクのサダム・フセイン大統領は一つの声明を出す。

「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を無差別に攻撃する」

和歌山県串本町公式Webサイト

このリミットまでにイランから脱出しなければ、戦場のど真ん中に取り残されることを意味する警告である。

しかしこの時点で、イランの在留邦人は215名。

皆、慌ててテヘランの国際空港に殺到するも、諸外国の航空会社は自国民の避難を優先し日本人を乗せようとしない。

自衛隊は憲法の縛りもあり、救出に向かうことすらできない。

いよいよ絶体絶命の危機が迫る中、ある国が日本人の救援に手を差し伸べる。

「私たちが特別機を差し向けます。避難希望者を全員、空港に集めて下さい」

そしてタイミリミット1時間前、撃墜の恐れもある中で文字通り命をかけ、日本人全員をイランから脱出させることに成功する。

トルコである。

なおこの時、在イランのトルコ人は陸路で避難させ、その分の輸送量を日本人のために割いてくれたものだった。

戦時下の国から、自国民よりも日本人の避難を優先してくれたトルコ。

なぜそこまでのことをしてくれたのか。

後日、ネジアティ・ウトカン駐日トルコ大使は、こう語っている。

「エルトゥールル号の借りを返しただけです」

そしてこのエルトゥールル号の悲劇こそが、山田寅次郎の人生を変えるきっかけになった事件だった。

イスタンブール港で撮影されたオスマントルコの軍艦エルトゥールル号
イスタンブール港で撮影されたオスマントルコの軍艦エルトゥールル号=串本町提供

話は一気に、明治23年(1890年)まで遡る。

欧米によるアジアの植民地化が進む19世紀、ギリギリの独立を維持していた日本は、諸外国との活発な外交を展開する。

その相手国のひとつがオスマン帝国であり、今のトルコだ。以下ではわかりやすさを考慮し、オスマン帝国のことを古い慣例に従い、トルコと表記する。

そんな中、1887年にトルコを訪問した小松宮彰仁親王の答礼として日本を訪問したトルコのエルトゥールル号が帰路、1890年9月16日に和歌山県串本沖で、台風に襲われてしまう。

座礁し、砕け散る船体。

皇族を含むトルコ使節団は海に放り出され、650名の乗組員のうち587名が死亡する大惨事となってしまった。

しかしその中でも、生き残ったわずかな乗組員は和歌山県串本町の紀伊大島にたどり着き、救助を求めた。

そして紀伊大島の島民たちは台風直撃の嵐の中、深夜に助けを求めてきたこの異国人たちを決して見捨てることはなかった。
「大変な海難事故が起きたに違いない」

そう判断すると、島民を上げて救助活動に出向き、なんとか泳ぎ着いた、あるいは漂着したトルコ人たちを岸に引き上げ寺や寄り合い所に助け入れる。

そして嵐の中、不足する食料や水も分け与え、文字通り命がけで63名もの命を救うのである。

この事態を重くみた明治政府は後日、海軍の最新鋭艦を仕立て救出したトルコ人を祖国に送り返すのだが、ここで登場するのが寅次郎その人である。

寅次郎はこの際、生き残った63名はもとより、落命した587名の遺族への支援こそ日本が果たすべき「義援」であり、使命であると考える。

そして全国を回り、義援金を募りあるいは新聞に投稿をするなどその信念を呼びかけ、1カ月で5,000円、現在の価値にして3,000万円もの義援金を集めてしまう。

この際、大手新聞社である時事新報が集めた義援金が4,200円、毎日新聞が128円であったというのだから、寅次郎が集めた金額の巨額さが、よく分かるのではないだろうか。

そして寅次郎、この義援金をトルコに送金したいと外務省に申し出るのだが、時の外務大臣である青木周蔵に呼び出され、こんなことを告げられる。

「日本とトルコには正式な外交関係がないんで、送金できないんだわ。っていうか、キミの熱心さマジですげえし、自分で持って行きなよ」(意訳)

こうして寅次郎は、わずか24歳の若さにして外務大臣の特命を帯び、トルコに向かうのである。

そしてトルコに到着した寅次郎は、皇帝に謁見を許され義援金を献上する。

それをきっかけに皇帝から全幅の信頼を得るとそのままトルコ国内に留まり、トルコ軍士官に日本語と日本文化を教育する特命を与えられることになる。

さらに日本のさまざまな文化財や調度品をトルコに輸出する窓口まで担うことになり、財界人としても大きな成功を収めることになるのである。

明治屈指の国際人であり、“総合商社”の先駆者として、歴史に刻まれるべき偉人といって間違いないのではないだろうか。

なお余談だが、余り知られていないこぼれ話についてだ。

1904年2月に日露戦争が始まると、ロシアとの関係悪化を恐れたトルコ皇帝・アブデュルハミト2世は中立を宣言し日本と一定の距離を取ってしまう。

そしてこの時、トルコ国内にいた寅次郎は日本政府の要請でロシア艦隊の動向を監視する役目を担うのだが、その行動の全てはトルコ政府から黙認された。

そしてボスポラス海峡に拠点を構え、黒海艦隊の動向を逐一母国に報告し、戦勝に貢献することになるのである。

この山田寅次郎という、「有名だけど、何をしたのかよくわからない偉人」の生涯から令和のビジネスパーソンは、いったい何を感じ、どんな教訓を得るだろうか。

「エルトゥールル号」の遺品を発掘調査するダイバー
砂や泥を吸い上げる装置を使い、料理用鍋(手前)など「エルトゥールル号」の遺品を発掘調査するダイバーたち=2008年1月、和歌山県串本町樫野沖、伊藤恵里奈撮影

“異常な行動力”の正体

話は冒頭の、後輩についてだ。

なぜ彼が、高級食パンビジネスを始めても、「きっと同じことをやらかした」と思うのか。

そもそもだが、成功するビジネスとは“類まれなアイデア”を思いついたから、上手くいくのではない。

ほとんどのビジネスは多かれ少なかれ、誰だって似たようなことを考え、そして同じような会社がゴマンとあるものだ。

その中で成功できるのは、「正しい努力を、異常な行動力で」やり続けることができた経営者だけである。

彼の場合、正確にはスタートラインにすら立っておらず、行動力ゼロであれば成功も失敗も想定することすら難しい。

加えて起業なんてものは多くの場合、2年はメシが食えるものではない。

先に“役に立てること”を証明するために多額の投資をし続けて、その後にやっと、少しずつ対価を頂戴できるようになるからだ。

多くの経営者はこの期間を乗り越えられずに、先に利益を求め、顧客や取引業者の信頼獲得を放棄し、目先の売上に走ってしまう。

言い換えれば、最初から利益を求めるような小賢しいビジネスモデルなど、大概は失敗するということだ。

彼はその全てを理解していないので、きっと起業しても同じことをやらかすと苦言したということである。

そして話は、山田寅次郎についてだ。

彼の生き方や生涯こそ、その事実を如実に物語っている。

エルトゥールル号の遭難から、いても立ってもいられず、遺族のために義援金集めに奔走する異常な行動力。

その結果として日本政府、トルコ政府の信頼を得て仕事が生まれ、結果として商売人として成功していく過程。

先に役に立てること、信頼に値する人物であることを知らしめれば、これほど汎用的な無敵の“資本”は他にない。

それさえ手に入れれば、例え水道水を売るビジネスであっても、きっと成功できるだろう。

なお先程、「異常な行動力」と言ったが、この言葉は少し適切ではない。

寅次郎のような“異常な行動力”に見える人物は多くの場合、「できるかできないか」で行動を判断しない。

「やるべきかどうか」という使命感と信念が行動原理なので、本人は異常ともなんとも思っていないものだ。

使命感や信念に突き動かされると、人はここまで、客観的に異常な行動力を発揮するということである。

もし今、起業を考えている人がいたらぜひ、この寅次郎の生き方を参考にしてみてはどうだろう。

それは、「できるかできないか」「儲かるかどうか」ではない。

「やるべきである」

その信念を持ち続けられるのかどうかで、判断するということだ。

決して大きく始める必要はない。副業からでも良いはずだ。

そんな信念を持てる仕事があれば、ぜひ今日から、いや今からでも始めてみてはどうだろうか。

エルトゥールル号の遭難慰霊碑の写真
エルトゥールル号の遭難慰霊碑=2015年5月、串本町樫野、平畑玄洋撮影