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「やりたいことを仕事に」の勘違い 鉄鋼王カーネギーが昇給2ドルで感動した話に学ぶ

桃野泰徳の「話は変わるが」~歴史と経験に学ぶリーダー論 更新日: 公開日:
鉄鋼王と呼ばれた実業家のアンドリュー・カーネギー
鉄鋼王と呼ばれた実業家のアンドリュー・カーネギー=gettyimages

もう随分と前の話だが、転職を考えていると友人から相談を受けたことがある。

誰もが知る会社の開発エンジニアで、稼ぎもいいと聞いていたので驚き、理由を聞くと、こんな事を話す。

「将来、独立を考えてるんや。だから若いうちに、営業系の仕事で外を経験しといた方がいいと思ったねん」

エンジニアのイメージ写真
写真はイメージです=gettyimages

大胆な行動力そのものはとても素晴らしいのだが、しかし控えめに言っても彼は相当な偏屈者だ。

正確さにこだわる反面、融通が効かない頑固さに友人の私でも手を焼くことがある。

エンジニアという仕事にはそれがプラスに働いていると思うが、営業職で成果を出せるとはとても思えない。

「やめとけ。お前、絶対に営業なんかできへんやろ。独立そのものは止めへんけど、信頼できる営業パートナーを見つけるとか、他の方法を考えろ」

「意外やな…お前なら、『やりたいことをやるべき』とか、背中を押してくれると思ってたんやけどな」

「俺は仕事に関して、そんなこと全く思ってへんぞ。むしろやりたいことなんか仕事にしたら、120%失敗するわ」

「まあええ。必ずやり切ってみせるんで、みといてくれ」

「…」

やはり彼は、仕事を捉えそこねている。

「やりたいことを仕事に」などという何かのキレイごとを真に受けて、本質を見失っている。

このままではきっと、彼の転職も独立も確実に失敗することになるだろう。

”人生最高の感動”

話は変わるが、19世紀を代表するアメリカの大富豪に、アンドリュー・カーネギーという人物がいる。

「鉄鋼王」の異名や、カーネギーメロン大学の創設者と言えば、ピンとくる人もいるだろうか。

近年まで「世界一の資産家」と呼ばれ、また多額の寄付を慈善事業に投じた篤志家としても知られる人物だ。

以下、少し彼の自伝からその生涯をご紹介していきたい。

カーネギーは元々、産業革命の影響で職を失った家族とともにアメリカに移住した、スコットランドからの移民であった。

学校教育は13歳までしか受けられず、家計を助けるため渡米後すぐに、辛く過酷な労働に従事する。

最初の仕事は綿織工場の糸巻き係で、給与は週に1ドル20セントだった。連日、夜が明ける前から暗くなるまで、ただ糸を巻き続ける仕事である。

この時の記憶を後にカーネギーは、こう振り返っている。

「仕事それ自体も私にはなんの興味もなかった」

本を読む少年のイメージ写真
写真はイメージです=gettyimages

この何の変化も無い、無機質で感情が動かない仕事に嫌気が差したのだろう。知人のツテで、すぐにボビン工場のボイラー火夫に転職する。

しかしこの仕事は、さらに輪をかけて過酷なものであった。

蒸気圧が低すぎると怒鳴られる夢を見たかと思うと、次は圧力を上げすぎて釜を破裂させる夢を見るなど、連日の悪夢にうなされるようになってしまったのである。

仕事を変えても、まったく明るい将来がみえない…。そんなある日、彼に一つの小さな転機が訪れる。

上司から請求書の作成業務を依頼されることになるのだが、彼はなぜか、学はなくとも字がきれいで計算にも秀でていた。

そのことを喜んだ上司は、彼にこの業務を任せるようになり、辛く厳しい悪夢の現場を離れることができたのだった。

するとこの成功体験から“気づき”を得たカーネギーは、夜学に通い始め、複式簿記を学び始める。

今の単式簿記のやり方では、上司にも、より多くの人にも喜んでもらうことなどできない限界をすぐに理解したからだ。

いうまでもなく、企業会計は複式簿記でなければまともな経営判断などできないので、妥当な投資だろう。

そしてこの時、彼がおぼろげながら自覚したであろう自身の適性は、次の転職で一気に開花することになる。

電報配達夫として週給2ドル50セントの仕事に転じた彼は、どうすれば人に喜んで頂けるのか、どんな小さなことでも徹底的に考え抜いた。

配達地域の住所と建物も全て記憶し、1分でも1秒でも早く電報を顧客に届けられるよう、あらゆる努力を尽くす。

さらにそれだけでは飽き足らず、顧客の顔と名前も徹底的に記憶し、道ですれ違った時に渡すようなことまで、やってみせるようになるのである。

この時のことを彼は後年、こう振り返っている。

「電報を手渡しすると、彼らはいつもその少年に注目し、褒めてくれるので、これがまたひどく嬉しかった」

そんな彼が、地域と顧客の信頼を得て、つまり会社と上司から評価されないはずがないだろう。

ある月の給料日、こんな出来事に遭遇することになる。

彼をはじめとした従業員は、上司のもとに行き給与を受け取ろうと並ぶ。

しかし待てども待てども、彼の名前が呼ばれることはなかった。

そのうち、給料袋を手にした他の従業員は皆嬉しそうに出て行ってしまい、部屋には上司とカーネギーの2人だけが残される。

何かをやらかしてしまったことに怯え、クビを言い渡されることを覚悟するカーネギー。

するとそんな彼に、上司はこんなことを伝えた。

「君は誰よりもしっかりと仕事をしている。だから11ドル25セントの月給を、今月から13ドル50セントに昇給することにした」

思いもよらないオファーに、目の前が真っ白になった。

そして昇給された現金がキッチリ全額入っている給料袋を受け取ると、家まで猛ダッシュする。

なぜ猛ダッシュしたのかまで書かれていないが、とにかく嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだろう。

意味不明の雄叫びを叫びながら走ったであろう170年ほど前の光景が、ありありと目に浮かぶ。

そして翌朝、家族会議でこの“人生ではじめての昇給”を家族に伝えると、父は誇らしそうに微笑み、母は泣いて喜んだそうだ。

この時の記憶を、カーネギーはこう振り返っている。

「この時ほど私を感動させたものはない。これこそ地上の天国であった」

後に世界一の大富豪になる男が、少年の時の“たった2ドル程度の昇給”こそ人生で最大の感動だったと、後年に振り返っているのである。

この後も、彼は何度か転職を繰り返し、そして鉄道事業での成功から製鉄業で財を成して行くことになるのだが、その原点はまさにここだったと言っているわけだ。

ではこの、カーネギーが貧しい移民から大富豪にのし上がった“成功の本質”とは、いったい何なのだろうか。

そしてなぜ、このたった2ドルの昇給こそが人生最大の感動になったのだろうか。

「やりたいことを仕事に」という言葉の本質

話は冒頭の、私の友人についてだ。

なぜ彼に転職を思いとどまるようアドバイスし、また「やりたいことを仕事に」などという妄想では必ず失敗すると伝えたのか。

確かに、「やりたいことを仕事に」という言葉は美しいし、誰もがそんな生き方に憧れ、またそうありたいと願っていることはわかる。

しかし考えてほしいのだが、自分にとってもし二つの選択肢が用意されてるとすれば、果たしてどちらを選ぶだろうか。

「全く成果が出ない、しかしやりたい仕事」

「特にやりたい仕事ではないが、成果を出し続けられる仕事」

断言してもいいが、成果の出ない仕事のために終わりのない努力を繰り返したら、人の心身は簡単に壊れる。

そして仕事とは、「成果を出すこと」であり「努力をすること」ではないのだから、成果が出ない状態は仕事と言うことすら難しい。

当然お金を稼ぐこともできず、顧客からも会社からも認められず、ただただストレスしかない地獄のような人生になるだろう。

その一方で人は、成果が出始めると必ずその仕事が楽しくなり、好きになり始めるものだ。

これこそが、「やりたいことを仕事に」という言葉の本質である。

「成果が出る仕事は、必ずやりたい仕事になる」ということである。

そして話は、カーネギーの人生についてだ。

彼の自伝では明確に語られていないが、彼の成功の本質は、

「人に喜んでもらうことが、何よりも幸せ」

という価値観を徹底できる仕事を探し求め、転職を繰り返し、その実現に全力を傾けたことなのだろう。

彼は13歳の時、最初の仕事で糸巻き工になった。

しかしこの仕事に求められる能力は、正確に規格通りの仕上がりを追求することである。

同様にボイラー火夫になった時も、機械や仕組みを正しく運用し、制御する能力が求められたはずだ。

彼はこれらの仕事を、「油や石炭の臭いが耐え難かった」と繰り返し書いているが、きっとそれは本質ではない。

アンドリュー・カーネギーの写真
アンドリュー・カーネギー=gettyimages

彼にとっての仕事とは、人の喜ぶ顔を直接見られることこそが何にも勝る幸せであり、ルーティンを正確にこなす職人になることではなかったのだろう。

だからこそ、ストレスと得られるもののバランスがとれず、長続きしなかったというのが本当のところなのではないのか。

請求書の作成を任された時に夜学に通い始めたこと、電報配達夫になった時に努力をした出来事の数々…。

そして2ドル余りの昇給こそが人生最大の感動だったと振り返る彼の価値観が、その事実を如実に物語っている。

人の笑顔を見ることこそが幸せであり、その結果として得られる給料こそが無意味に猛ダッシュしたくなるほどの、人生最高の興奮だったということだ。

現実を知らず現場を知らず、イメージだけでやりたいと思い込んでいる仕事など、絶対に長続きしない。

ぜひ、仕事に対する姿勢に迷ったときには、参考にしてほしいと願っている。