「なぜお金や手間暇をかけてまで、地球や環境のことを考えなければいけないのだろう」
率直に、そんな疑問を感じたことはないだろうか。
個人レベルのゴミの分別程度なら、まあわからなくはない。しかし企業がSDGsなどソーシャルグッドと呼ばれるような取り組みを実践することに、本当に意味はあるのだろうか。
実際に内閣府が公表した調査結果によると、比較的体力に恵まれている上場企業ですら、その熱意には差がある。
従業員500人未満の企業規模の場合、SDGsに関して何らかの取り組みを行っている企業は半数にも満たないのが実情だ。
上場企業ですらこの数字なのだから、中小企業では言わずもがなである。
同調査によると、SDGsに関心があると回答した中小企業に限っても、実際に何らかの取り組みを行っている企業の割合は、わずか19%であった*2。
そもそも、本当に大事な活動なのであれば法律で義務化しなければ、不公平というものだ。
そのように考えて、体力のない会社ほど成果の見えにくい取り組みに消極的になるのは当然だろう。
しかし実は、SDGsやESGといったソーシャルグッドへの取り組みはこの先、事業規模の小さな中小企業こそ生き残りの条件になるといえば、驚くのではないだろうか。そして多くのリーダーたちはその事実に、おそらく気がついていない。そんなお話をしてみたい。
「頑張れと言ったことは、一度もありません」
話は変わるが、「自衛官はなぜ、あれほど頑張れるのか」と、不思議に思ったことはないだろうか。
東日本大震災の活躍を引き合いに出すまでもなく、災害時における自衛官の活躍ほど頼もしいものはない。
被災者には温かな食事と毛布を配りながら、自らは冷え切った戦闘食で空腹をごまかし、固い地面で束の間の休息をとる姿は、私たちの心の何かを揺さぶる。
人は人のためにここまで「分け与える」ことができるのかと、強い心身が生み出す優しさの本質に思いを馳せずにはいられなくなる。
「それが任務だから」と思われるかも知れないが、違う。
東日本大震災や北海道胆振東部地震で指揮を執った陸上自衛隊の田浦正人・元陸将はかつてメディアの取材に対し、
「私は被災地で隊員たちに、『頑張れ』と言ったことは一度もありません。それどころか、危険な任務を志願する隊員たちの安全管理だけが、私の仕事でした」
と語ったことがある。
こんなセリフを、会社経営者や企業幹部から聞くことなど、まずないだろう。
「いやー、ウチの社員頑張り過ぎるんで、必死に仕事をセーブしてるんだよ」
などという会社があれば立派なことだが、非現実的だ。
「任務だから」という義務を越える何かが、自衛官たちの背中を押していると考えるほうが自然である。
そんな漠然とした疑問を持っていたある日、元自衛官の友人にこんな質問をしたことがある。
「イラク派遣の時、現地で恐怖を感じることはありませんでしたか?」
友人の名は加藤直樹といい、2004年1月から始まった自衛隊イラク派遣に際して、復興業務支援隊の第1次隊員に選抜された男である。
15万人の陸上自衛官から選びぬかれた100人の一人であり、戦争の混乱が残る現地に渡り、イラクの復興と平和に汗を流した精鋭中の精鋭だ。
「恐怖は全くありませんでしたね。自分が果たすべき本来の任務が与えられたことに、身震いを感じていました」
「どういうことですか?」
「世界平和に貢献できていることを、肌で実感できた仕事だったんです。自衛官になってそれを一番感じることができた、かけがえのない時間でした」
さすがに、第1次隊に選ばれるほどの自衛官の言葉だ。20年近く前の話とは思えないほどに、加藤の眼に力が戻ってくる。
「なるほど。ところで加藤さん、イラクで自衛隊員たちに用意された棺桶を見た時、本当のところどんな思いだったのでしょう」
少し補足すると、自衛隊イラク派遣は当時、与野党間で大きな政治的対立を生んだ国政を揺るがすほどの一大事であった。
その際、「イラクは戦地ではない」という見解に基づき政府は自衛隊を派遣するのだが、現地に搬入された資材の中に棺桶が含まれていることを、野党が発見する。
そして「危険がないのに、なぜ棺桶が必要なのか!士気にも悪影響を与えるではないか」と、国会が紛糾するほどの騒ぎになったということだ。
「桃野さん。意外に思われるかも知れませんが、私たち隊員は皆、棺桶を見て安心したんです」
「安心…ですか?」
「はい。棺桶があるということは、私たちが殉職しても国はそれを隠さず、堂々と国に連れて帰ってくれるということですから」
「では、“自衛官の士気に関わる”という野党やメディアからの批判は?」
「失礼な話です。私たちはイラクの復興と世界の平和に命を捧げる覚悟で現地に渡りました。棺桶を見て士気が下がるような自衛官など、一人もいませんでした」
世界平和に貢献するという使命感とモチベーションとは、ここまで人の心を強くするものなのか。
自分が汗をかくことで、人々の生活を一日でも早く復旧することができる。自分が体を張ることで、街に子どもたちの笑顔が戻ってくる……。
そんなことを肌で感じることができるのであれば、「仕事を頑張りすぎてしまう」のも当然だろう。
指揮官が「危険な任務を志願する隊員たちの安全管理だけが、私の仕事でした」というのも、無理もない話だ。
「自衛官はなぜ、あれほど頑張れるのか」という疑問の答えは、きっとここにある。
大規模災害などに際し、復興支援にあたる自衛隊、警察、消防、その他全ての公務員やエッセンシャルワーカーの皆さんへの、心からの敬意と感謝を新たにした話であった。
「社会のために働きたい」という想いは、強い
話は冒頭の、ソーシャルグッドへの取り組みについてだ。
まだまだ利益への期待よりもコストへの不安を考えてしまいがちなこの取り組みが、なぜ中小企業の生き残りの条件になるのか。
ここで一つのデータをご紹介したい。日本生産性本部が昭和44年から実施している、新入社員を対象にした働く目的の意識調査だ。
ご覧のように、平成10年以降に新たに社会に出た新入社員からは、大きな意識の変化が見て取れる。
一つは「社会に役立つ」という意識が顕著に増加していることだ。特に平成18年以降、いわゆるミレニアル世代やZ世代と呼ばれる20~30代の変化が大きい。平成24年以降ぐらいから一時減少したが、それでも昭和時代と比べれば高い水準を維持している。
その一方で「自分の能力をためす」という意識の減少は著しく、また「楽しい生活をしたい」「経済的に豊かになる」という意識は増減を繰り返しつつも、それ以前の世代に近い。
つまり現在の20~30代は、「社会に役立つ仕事にやりがいを感じ、経済的にも豊かになり、楽しく暮らしていきたい」という意識が強いということだ。
それに対し、現在企業や組織で社長やリーダーを務めている40代半ば以上の世代は、「自分の能力をためし、成功を得て経済的に豊かになり、楽しく生きていきたい」という意識で社会に飛び出したことを、グラフは示している。
きっと多くの同世代の人にとって、心当たりのある意識だろう。
いつの時代にもジェネレーションギャップがあるとはいえ、現在のリーダー層たちは若者たちのこの意識変化に敏感である必要がある。
すなわち「自分のあり方」よりも「社会のあり方」への関心が高まっているという事実だ。
ではなぜ、中小企業ほどこの傾向に大きな影響を受けるのか。
事業規模の小さな会社では、上司どころか経営トップですら毎日顔を合わせる。
会社がどんな仕事をしており、具体的にどうやって儲けを出しているのかを新入社員ですら容易に把握できてしまう。
経営トップが無意味に飲み歩いていれば、それすらも敏感に感じ取るだろう。
つまり、「こんな経営者や会社を儲けさせるために、私は努力してきたんじゃない」という想いをもたれやすいということだ。
給与や待遇でよほどの条件でも提示しない限り、「社会に役立つ」という価値観で仕事を選ぶようになった世代を取り込むことは、中小企業にとって今後ますます困難になっていくだろう。
では思い切って、この意識を逆手に取ってみるというのはどうだろうか。
会社や経営トップの姿勢や意識が丸見えになってしまうのであれば、敢えてさらけ出し、「こういう会社で働きたい!」と思わせる仕掛けを持てばよいのである。
人間は不思議なもので、困っている人、悲しみに暮れている人を助けることができれば、助けた方が幸せな気持ちになれるおかしな性質がある。
自分の欲望のためにはなかなか頑張れないが、困っている子どもを助けるためであれば容易に限界を突破できてしまう。
それこそ、被災地などで信じられない強靭さを発揮する、加藤を始めとした多くの自衛官のように。
だからこそ中小企業の経営者には、ソーシャルグッドと呼ばれるような取り組みに積極的になってほしいと願っている。
利益1,000万円ごとに10万円を「地域や社会に貢献できる、自社らしい何か」という形で予算化し、若い世代に使途を決めさせてもおもしろいかも知れない。
「地域の人たちは何に困っているのか」
「どうすれば人に喜んでもらえるのか」
を真剣に考える過程はきっと、若い世代のビジネスパーソンにとって大きなやりがいと成長をもたらしてくれるはずだ。
そして「人を笑顔にする快感」を覚えてしまったビジネスパーソンたちは、投資とは比べ物にならない利益を会社にもたらしてくれるだろう。
このような取り組みへの投資は、決して回収の難しいコストではない。社員のやる気を引き出し、彼らの頑張りが社会のためにも、会社の利益にもつながっていく。まさに「会社良し、従業員良し、世間良し」の”三方良し”である。
ぜひ、20~30代の世代を雇用する企業こそ熱心に取り組み、若い世代の成長とやりがいに繋げて欲しいと願っている。