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ガダルカナルの大失敗、元自衛隊幹部が読み解いたら 80年後の私たちが学べること

揺れる世界 日本の針路
ガダルカナル島に残る旧日本軍の輸送船「鬼怒川丸」の船体
ガダルカナル島に残る旧日本軍の輸送船「鬼怒川丸」の船体=2016年、朝日新聞社機「あすか」から、橋本弦撮影

戦いの発端は、日本軍によるガダルカナル島での飛行場建設だった。米海兵隊が42年8月、同島に上陸して飛行場を占領した。日本は次々、増援部隊を投入しようとしたが、米軍の攻撃に遭って苦戦。兵士の間に飢餓も発生して、「餓(が)島」と呼ばれた。結局、日本軍は43年2月、同島から撤退した。

ガダルカナル島は、太平洋戦争の戦地のなかで、ほぼ南東端に位置する。日本軍の航空基地があったパプアニューギニア・ニューブリテン島のラバウルから南東に1千キロも離れた場所にあった。

海上自衛隊横須賀地方総監を務めた渡邊剛次郎元海将は、ガダルカナル島への飛行場建設は、軍部内においても意思統一ができておらず、その方針が二転三転した末の結果だったと指摘し、その一例としてFS作戦を挙げる。ガダルカナル島よりも更に南東に位置するフィジー、サモア、ニューカレドニアを攻略する作戦だ。

ガダルカナル島の位置図

FS作戦は、陸海軍作戦主務者(大本営陸軍参謀本部、海軍軍令部)が主導し、獲得したベトナム、マレーシア、シンガポール、インドネシアなどの「南方権益」を守るため、米国とオーストラリアの分断を狙って、42年7月に実施する方向で計画された。

一方、米国との長期戦を避けたかった海軍連合艦隊の山本五十六司令長官らは、ミッドウェー作戦を優先することを主張した。まず、米機動部隊を破って戦況を有利に進めた後でFS作戦を行うことになった。

ところが、同年6月のミッドウェー海戦で空母4隻などを失ったため、FS作戦も中止された。それでも、当初の作戦目的は放棄されず、空母部隊による艦隊決戦の代わりに、ガダルカナル島に飛行場を建設し、基地航空部隊を進出させて米国とオーストラリアの分断を目指すことになった。渡邊氏は、日本軍の一連の動きについて「米国との国力差と、その能力を十分に理解していませんでした。作戦の見通しも、開戦以来の勝利に対するおごりや、楽観的な認識に基づいていて、結果として、作戦自体がずさんでした」と語る。

ガダルカナル島の海岸からすぐ近くに見える旧日本軍の「鬼怒川丸」。海岸には海水浴を楽しむ観光客や地元の人たちの姿が見られた
ガダルカナル島の海岸からすぐ近くに見える旧日本軍の「鬼怒川丸」。海岸には海水浴を楽しむ観光客や地元の人たちの姿が見られた=2016年、橋本弦撮影

FS作戦自体、ガダルカナルよりさらに3千キロ、最も東側に位置するサモアの場合、最初から占領は諦め、地上施設を破壊したら引き揚げるという構想だった。渡邊氏は「FS作戦自体が、連合艦隊にとっては、ミッドウェー作戦に勝利したら、再び検討の必要があるというレベルの作戦でした。仮に緒戦でFS作戦が成功しても、最後にはガダルカナルの戦いよりさらに悲惨な結末が待っていたでしょう」と語る。

「戦前、戦中の日本人がいかに米国を知らなかったか、現代の物差しで測ることはできないでしょう。一方で、往々に戦略レベル、作戦目標立案におけるあいまいな妥協や、何に作戦を重心を置くかという方針の不徹底が失敗を招きました。途中で是正する努力も十分ではありませんでした」と語る。

42年8月、米軍に奪われたガダルカナル島の飛行場の奪回に向かった一木清直大佐率いる一木支隊は、米海兵隊の包囲殲滅戦に遭い、約900人の隊員のうち800人近くが死亡・行方不明になる壊滅的な敗北を喫した。

ガダルカナル島の密林で見つかった旧日本兵の鉄かぶとや武器
ガダルカナル島の密林で見つかった旧日本兵の鉄かぶとや武器=2016年、橋本弦撮影

陸自東部方面総監を務めた磯部晃一元陸将は現役時代、一木大佐が所属した第7師団(しちしだん)と同じ番号になる陸自第7師団長(千歳市)を務めた。旭川にある一木支隊鎮魂碑も訪れた。

磯部氏は、当時の状況判断をすべて結末がわかっている後世の人間が評するのは慎重であるべきだとしつつも、「大本営の陸海軍の共同作戦構想そのものが同床異夢でありました。また、上陸した米軍の兵力見積もりが甘かったと思います。1万人以上いる米軍兵士を2千人と見積もりました。指揮の命脈であるはずの通信手段の確保も無線中継すべき潜水艦の離脱で孤立無援、上級司令部との意思疎通ができない中で起こった悲惨な結末です」と話す。

作戦の準備が不十分だったため、補給もうまくいかなかった。日本軍も米軍も、作戦として避けるべき「戦力の逐次投入」を繰り返したが、最終的には物量で勝る米軍が制空権と制海権を握って勝利した。

磯部氏によれば、当時の大本営で作戦立案の中心にいた部員は中佐クラスの人々だった。「軍に入って15年くらいで、(1千人規模の)大隊長を終えた程度でのキャリアです。その参謀たちが中国大陸から南太平洋、さらにはインド洋にまで一気に地球規模に広がった作戦地域を分担しながら作戦構想を立案したのでしょうが、それはしょせん無理があったのではないでしょうか」

現代の自衛隊も幕僚監部の中枢にいる部員は1佐、2佐クラスが担っている。磯部氏は「有事になれば、経験豊富な再任用の幕僚を増強したり、状況によっては、大部隊を運営した経験者がアドバイスしたりできる仕組みが必要ではないでしょうか」と話す。

ガダルカナル島の密林の奥に残された零戦
ガダルカナル島の密林の奥に残された零戦=2016年、橋本弦撮影

一方、現代ではインターネットなどが発達し、80年前とは質も量も比べものにならないほどの情報が流れている。ロシアによるウクライナ侵攻では、米スペースX社がウクライナに通信衛星サービス「スターリンク」を提供した。専門家の1人は「端末と衛星通信機材があれば、どこでも衛星を通じて情報共有ができる。ロシア軍の状況をリアルタイムで伝える情報公開戦術で、ロシアは大きな打撃を被った」と語る。

ただ、磯部氏は「客観的な状況がわかっても、相手の政治指導者や指揮官の意図まではわからないケースがあります。ウクライナ国境に集結したロシア軍をみて、最後まで演習かもしれないと考えた人も多かったはずです」と話す。その意味で、相手の意図を把握するための情報収集や外交交渉が重要になる。

FS作戦もガダルカナルの戦いも、出発点は「米国とオーストラリアを分断する」という発想から始まっていた。「日本軍が飛行場を建設している」という情報を得て、ガダルカナル島に急派された米海兵隊第1海兵師団も、ニュージーランドで準備をしていた部隊だった。

磯部氏は「この戦いをみても、国際的な同盟や友好関係は大事です。様々な国々と協力関係にあることで、相手の行動を抑止することができます」と指摘。こうした意味から、日本が進めている日米豪印による安全保障対話(QUAD)や、「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)構想などの取り組みは、高く評価できるという。

最後に磯部氏は「80年前の悲劇を繰り返さないためには、戦争にならないように外交、情報、経済、軍事などのあらゆる努力すべきです。戦争が始まれば、ただではすみませんから」と語る。ウクライナでも多数の市民が殺害され、領土の一部を占領される事態が続いている。「軍事はいらないから外交で何でも解決しろという意見には賛成できませんが、どうやったら戦争を抑止できるかをまず考えて欲しいと思います」