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80年前、太平洋を押さえようとした日本 ミッドウェー海戦と中国を重ねて見える教訓

揺れる世界 日本の針路
ミッドウェー海戦で米艦載機の攻撃を受け大破炎上する日本海軍の重巡洋艦「三隈」
ミッドウェー海戦で米艦載機の攻撃を受け大破炎上する日本海軍の重巡洋艦「三隈」=米軍提供

日本軍は1941年12月の真珠湾攻撃で勝利したが、米空母機動部隊は無傷だった。そこで急きょ、立案されたのが中部太平洋のミッドウェー島攻略だった。島を攻略すれば、米機動部隊が出動してくる。そこで艦隊決戦を挑んで勝利するというのが、日本軍の作戦だった。

日米両軍は日本時間の1942年6月5日から7日にかけ、中部太平洋の制海権をかけて戦った。日本軍は島の攻略と米機動部隊との決戦という二つの目標で揺れ動き、赤城や加賀など主力空母4隻とベテランのパイロット多数を失い、敗戦への転換点になった。

ミッドウェー島の地図

下平氏によれば、ミッドウェー海戦当時、日本軍が兵力で米軍を圧倒していた。日本軍は各地で勝利を続け、「不敗神話」が広がっていた。米海軍大などでの戦史研究でも、ミッドウェー海戦当時の日本の兵力や作戦計画は高く評価されているという。「当時、空母エンタープライズに乗艦していたスプールアンス提督が、艦載機を通常よりも早く発艦させたことが、米軍の勝利に大きくつながりました。これは偶然の産物だったという評価を受けています」

米メリーランド州アナポリスにある米海軍士官学校の中庭には、ミッドウェー海戦の記念碑群がある。これらには、ミッドウェー海戦は事前予想で、米軍敗戦の可能性が濃厚だったことが刻まれている。敗戦が決定的だったミッドウェー海戦で勝利した事実を伝え、米海軍の慢心を戒める。記念碑群には、そんな意味が込められている。

下平拓哉氏
事業構想大学院大学教授で元海将補の下平拓哉氏=本人提供

一方、下平氏は日本の敗戦を語る「以前からの評価」として、「ミッドウェー島とアリューシャン列島の攻略を同時に行って兵力を分散させてしまいました。ミッドウェーでも島の攻略と空母機動部隊の撃滅という2つの目的を持ち、混乱を招きました」と説明する。

下平氏によれば、ミッドウェー海戦当時、日本軍のパイロットは米軍の雷撃機を次々に撃墜し、日本空母への魚雷攻撃をほとんど許さなかった。米軍が成功した急降下爆撃は通常、船体に穴を開ける程度の破壊力しかないが、空母の甲板で航空機に搭載する爆弾と魚雷の交換作業などが行われていたため、被害を大きくしたとされる。

日本軍の攻撃を受けて黒煙を上げる米空母ヨークタウン
1942年6月4日(米国時間)、日本軍の攻撃を受けて黒煙を上げる米空母ヨークタウン=米海軍歴史・遺産コマンド(旧・米海軍歴史センター)のホームページから

しかし、敗戦の理由はそれだけではない、というのが下平氏の考えだ。「米軍は真珠湾攻撃や珊瑚海海戦の教訓から、情報収集や空母の防衛の重要性などを認識し、戦い方を修正していました」とも指摘する。

米空母エンタープライズからの出撃を待つ艦載機
1942年6月4日(米国時間)、米空母エンタープライズからの出撃を待つ艦載機=米海軍歴史・遺産コマンド(旧・米海軍歴史センター)のホームページから

米国は20世紀初めから、日本を仮想敵とした「オレンジプラン」の検討を始めた。1911年には、米海軍で初めての対日作戦案が完成。太平洋艦隊のニミッツ司令長官は開戦時から、4千ページにわたって日本に対する戦い方を分析・評価した「グレーブック」を作成していた。

下平氏によれば、グレーブックによって、「オレンジプラン」に二つの項目が抜け落ちていたことが明らかになった。一つは、真珠湾攻撃のように、日本が米軍の大規模な海軍基地をそっくり攻撃する場合の対応。そしてもう一つが、ミッドウェー海戦の直前の42年5月にあった、珊瑚海海戦で行われた空母決戦での対応だった。

下平氏は「米軍はこの二つの失敗から、情報収集の重要性を改めて認識しました。日本がミッドウェー島を攻略するという情報も事前につかんでいました」と語る。実際、日本軍はミッドウェー島攻略を始めた時、米機動部隊は真珠湾にいると考えていた。「予想と異なり、米機動部隊がすぐそばに迫っていたことも、日本軍の混乱を招くひとつの原因になりました」

米軍は珊瑚海海戦で、日本空母の防空能力が弱い事実を認識し、ミッドウェー海戦では空母を集中的に攻撃した。日本側が4隻の空母を分散配置させなかったことも被害を大きくしたという。

米軍の攻撃を受けて炎上する空母「飛龍」
1942年6月、米軍の攻撃を受けて炎上する空母「飛龍」=米海軍歴史・遺産コマンド(旧・米海軍歴史センター)のホームページから

下平氏は「そもそも、日本は米国に対する認識を誤りました。開戦すべきではなかったと思います」と語る。

真珠湾攻撃もミッドウェー海戦も、山本五十六連合艦隊司令長官が強く主張して実現した作戦だった。山本氏は当時、日米の圧倒的な国力の差を痛感していた。1940年には、当時の近衛文麿首相から対米戦争に対する意見を聞かれた際、「ぜひやれと言われれば半年や1年の間は暴れてご覧にいれるが、2年、3年となれば、まったく確信は持てない」と語っている。

下平氏は、その山本氏ですら、米国人の気質を十分理解していなかったと指摘する。「山本氏の戦略は、緒戦で米国をたたいて戦意をくじくという、日露戦争と同じ発想でした。でも、米国人は真珠湾攻撃に激怒し、徹底的に戦う姿勢を示しました」

ミッドウェー海戦インフォグラフ
米海軍歴史・遺産コマンド(旧・米海軍歴史センター)のミッドウェー海戦インフォグラフ。失った空母は米国1、日本4などと記されている。左下の右側の人物はニミッツ太平洋艦隊司令長官=同コマンドのホームページから

下平氏も在籍した米海軍大では第2次大戦以降も、ベトナム戦争やイラク戦争などの際、必ず図上演習を行う場として活用されてきた。米軍は現在、ミッドウェー海戦のような空母決戦はないと考えている。海戦は、「航行の自由作戦」のような任務遂行中の複数の艦艇が敵と遭遇した場合に行われるとみているという。「現代は、ミサイルや宇宙、サイバーなどを使った戦闘が主流になっています。小型艦艇を多数建造し、殺傷力の強い兵器を搭載する考えが主流です」

80年前の日本軍に代わり、現代では中国が中部太平洋の制海権に意欲を示している。中国の対米戦略は「A2・AD戦略」(接近阻止・領域拒否=Anti Access・Area Denial)。米軍の接近を、九州南端から沖縄・台湾などを経てフィリピンに至る「第1列島線」と、伊豆諸島からインドネシアに至る「第2列島線」の間で阻止し、第1列島線の内側に入ることを拒否しようとしている。

ミッドウェー島は、「第2列島線」と、中国が勢力の拡大を狙っているとされる、ハワイや米領サモアなどにかけて延びる「第3列島線」の中間海域にある。中国は5月30日、同じ海域に点在する南太平洋の10カ国と外相会議を行った。中国は安全保障関係の強化を含む新たな地域間合意をめざしたが、合意には至らなかったとされる。

下平氏は「『歴史は繰り返さないが、韻を踏む』という言葉があります。孫子やクラウゼビッツの言葉が今でも重視されるのは、このためです。中国の歴史や国民性、論理を知ることが、ミッドウェー海戦の敗北を繰り返さないことにつながるのではないでしょうか」と語った。