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【小泉悠】「いいところなし」の少年に、「細部から全体像を描く」を教えてくれた人

Breakthrough 突破する力
東大のオープンキャンパスの催しで、かぶり物をつけた小泉悠さん
東大のオープンキャンパスの催しで、かぶり物をつけた小泉悠さん=本人提供

手元に置いた携帯電話がひっきりなしに鳴っている。ほとんどが取材依頼だという。2月24日のロシアによるウクライナ侵攻後、時の人になった。

引っ張りだこになるのには訳がある。相手に目線を合わせつつ、複雑な事象をわかりやすく説明する力。ロシアにもウクライナにもくみせず、膨大な軍事情報をつないで全体像を描き出す分析力。

「彼は言葉の力で一種の社会現象を起こしている」。そう話すのは、2019年、小泉さんを東大先端科学技術研究センター(先端研)に誘った先端研教授の池内恵さんだ。

「彼が話すと議論が整理されていくんです。いろんな人が投げた球を一つずつ拾い、それに答えつつまとめるという、非常に高度なことをやっている」。だが、人気の理由は、明晰さだけではなさそうだ。ときおり垣間見せるユーモアや、硬軟とりまぜた引き出しの多さ。自ら「軍事オタク」ぶりを見せて、楽しんでいるふしもある。

小泉悠さん。東京大学先端科学技術研究センターの研究室にて
東京大学先端科学技術研究センターの研究室にて=相場郁朗撮影

本名をどこにも書いていないツイッターのアカウント名は、突然OLになったり、全裸の中年男性になったり、研究者とも軍事オタクともいえない奔放さ。そんな一面にひかれてか、16万人以上がツイッターをフォローし、ファンクラブを名乗るアカウントまであるのを見れば、たしかに立派な「社会現象」と言えるかもしれない。ネットでは、ペンネームの「ユーリィ・イズムィコ」の名でも知られている。イズムィコ先生は、いかにして生まれたのか――。

千葉県松戸市六実は、古い住宅と団地、梨畑が混在する土地だ。小泉さんはこの場所で、絵本の挿絵を描くイラストレーターの母と、中学の社会科教員の父の元に生まれた。2歳年下には妹がいる。

小泉家とロシアとの縁をたどると、不思議な接点がある。父方の祖父は、シベリア抑留の経験者だった。祖父は帰国後、千葉県柏市の米軍基地(現・海上自衛隊下総航空基地)で軍属の職を得て、基地に近いこの土地で暮らし始めた。

のちに、この米軍基地は自衛隊の基地になり、P3C哨戒機の乗組員の養成が行われるようになった。幼い頃から、空にはいつもP3Cが飛んでいた。

ロシアと米軍と自衛隊――。これらが時を隔てて交差するこの土地は、小泉さんのその後に少なからぬ影響を与えたように見える。

小学校、中学校時代を振り返ると、「ぱっとしなかった」という言葉が何度も出てくる。「テストのたびに、のび太のテスト用紙みたいなのが返ってきた。運動もできないし、いいところがなかったんですよ」

だが、両親はさほど気にすることもなく、勉強についてうるさく言われることもなかった。

授業時間は、ノートの余白に軍艦の絵を書いたり、教室の窓の外から聞こえてくるP3Cのエンジン音に耳を澄ませたりして、やりすごしていた。気がつくと、エンジン音だけでどの機種か区別が付くようになっていた。

学校での集団生活も苦痛だった。そもそも、みんなでわいわいと遊ぶのが苦手。学校から帰ると疲れ果てて寝込むほどだった。「みんなで一緒に泣いて笑って……みたいなのがすごく嫌いで。教師から命令されるのも嫌だった」

そんななか、居場所となったのは、近所の市民センターの1階にあった図書館と近所のプラモデル屋だ。図書館で片っぱしから本を読み、中でも軍事本や戦記ものに夢中になった。本は、人に干渉されずに現実逃避できる場所だった。

もう一つの居場所だったプラモデル屋は、いつも埃とシンナーの臭いに満ちていた。軍事オタクの大人たちがたむろし、基地の自衛隊員がよく立ち寄りに来た。プラモデルを作って見せに行くと、自衛隊員が「ここは違っているよ。よく構造を考えてごらん」と教えてくれた。

一時離れていたプラモデル作りをコロナ禍で再開した小泉悠さん
一時離れていたプラモデル作りをコロナ禍で再開した。「これは色をうまく出せて雑誌に載ったんです」=相場郁朗撮影

中学・高校は美術部に入った。絵を描くのは好きだったが、それより大きな理由は、先生が放っておいてくれたからだ。油絵を習い、描いていたのは、もっぱらロケットの絵。

多くの子どもがそうであるように、軍艦や戦闘機に夢中になったのは、最初は見た目のかっこよさだった。だが、その先へと大きく世界を広げてくれたのが、軍事評論家の江畑謙介さんだ。

中学生の時、近所の本屋で江畑さんの本に出会い、戦闘機がどう使われ、どんな政治的な意味合いを持つのかを知るようになった。

江畑さんは、「戦闘機のその先」にあるものを見せ、断片的な情報から全体像を描く面白さを教えてくれた。やがて関心は日本の軍事だけでなく、外国の軍隊、そしてロシア軍へも広がっていった。

このころ、社会主義圏の国々にも興味を持ち始めた。理由は、団地だ。

小泉さんが暮らしていたのは、長屋のような家が立ち並ぶ古い住宅地だ。そこから近くの団地に行くと、別世界のように見えた。

「人間が理性を持って計画し、進歩の象徴のように作り出した人工都市に、不思議な魅力を感じていたんです。『人類は一つの都市を造り出すのだ!』という感じに、ひかれていたんでしょうね」

高校生になると、週末には自転車で20キロ近く離れた巨大団地まで行き、何をすることもなく、朝から晩まで団地を見て歩いて過ごした。

2016年にウラジオストクを訪れた小泉悠さん
2016年に訪れたウラジオストクで=本人提供

1999年、北大西洋条約機構(NATO)がユーゴスラビアの街を空爆したとき、映像を見て衝撃を受けた。爆撃されている住宅地が、近所の団地にそっくりだったのだ。

「なぜユーゴスラビアと松戸がこんなに似ているんだ?」

素朴な疑問は、社会主義の国への関心へとつながっていった。団地を作るという発想に社会主義の影響があることを知るのは、そのずっとあとのことだ。

「僕は細かいディテールに偏執狂的に執着して、それがどこかにつながっていく、というパターンが非常に多いんです」。細部から直観的に大きな事象への共通項を見いだして全体像を描くという、いまにつながる独特の視点は、このころすでに生まれていたのだろう。

こうして軍事に夢中になっている息子を、複雑な思いで見ていたのは、両親だった。両親との確執は、小泉さんに大きな影響を与えることになる。(つづく)