東京・夢の島公園にある都立第五福竜丸展示館で8月下旬、「真夏のゴジラ」というトークショーがあった。日本の特撮怪獣映画の元祖「ゴジラ」の監督で、1993年に世を去った本多猪四郎の生誕100年を記念した催しだ。
「原発事故が起きたいま、核や放射能を生んだ科学への警告として、ゴジラの普遍性を改めて感じる」。展示館学芸員の安田和也(58)は、そう話す。
たしかに「ゴジラ」は、単なる怪獣映画としてくくるには深すぎる物語だ。海底深くに潜んでいたゴジラは、水爆実験によって安住の地を追われてしまう。体から強い放射線を発するようになり、放射能の炎で東京を焦土に変える――。
この映画が公開される8カ月ほど前の1954年3月、マグロ漁船・第五福竜丸が太平洋のビキニ環礁で、米国の水爆実験による「死の灰」を浴びた。当時、太平洋産のマグロが敬遠されたほか、日本各地にも放射性物質を含んだ雨が降り、野菜や飲料水の汚染が社会問題となった。
「原子マグロ、放射能の雨、そのうえ今度はゴジラときたわ。せっかく長崎の原爆から命拾いした体なのに」。映画の中でつぶやく市民の言葉からは、当時の世相がよく伝わってくる。
「ゴジラ」に限らず、特撮の映画やテレビ番組は、その時代の日本をよく映してきた。1966年にテレビ放映が始まった「ウルトラマン」もそう。
世は右肩上がりの高度成長期で、カラーテレビも家庭に普及し始めていた。銀色の滑らかな体に真っ赤な模様。ウルトラマンは、まばゆいまでの輝きを放っていたに違いない。
ウルトラマンがたたかう相手にもまた、この時代ならではの日本社会のさまざまな断面が投影されていた。東京湾の汚水で巨大化したゲスラ。すみかの森林を破壊されたザンボラー。万博の見せ物として未開の島から連れてこられたゴモラ。交通戦争の犠牲になった少年の化身であるヒドラ……。
光の国からやってきた異星人ウルトラマンは、高度成長の数々の「ひずみ」と向き合い、人間に代わって尻ぬぐいをしてくれていたようにも思える。
それから半世紀、特撮ヒーローは生き続け、いまも時代とともにある。
仮面ライダーシリーズは今年、誕生から40年になった。9月に始まった「仮面ライダーフォーゼ」(テレビ朝日系、日曜朝8時)は、友達との絆を大切にする高校生が主人公だ。
プロデューサーの塚田英明(39)は、ヒーローとは有事に決断し、行動する存在だと考える。「大震災の後、初めてのライダーなので、見る人を元気にするヒーローにしたい」
政治、経済、社会を見渡すと、時代はいま、大きな曲がり角にある。特撮ヒーローは、どんな「日本」を映していくのだろうか。